山形の森 保守醒論

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橋田壽賀子の朝ドラ「おしん」執筆で、昭和20年山形疎開での記憶違い。

2013-10-13 17:32:01 | Weblog
               大沼(西川町沼山)、龍神伝説の沼

橋田壽賀子が「おしん」のドラマ企画を再提案(1979年、最初は却下)し、NHKがテレビ放送30周年の朝ドラマ化として了承を得たのが、1981年夏のことである。
制作サイドとの打ち合わせで、橋田が昭和20年10月頃に一ヶ月ほど山形(材木店)に疎開して、見聞きした思い出がベースとなり、山形舞台のヒロイン「おしん」、奉公先(左沢)材木店などが設定されている。
橋田の記憶では、山形駅で(支線に)乗り換えて、終着の駅で車両の引き込み線があり、疎開したのは駅に隣接の材木店であったとの微かな記憶であった。
NHK制作スタッフは、山形駅乗換の支線から、それは左沢線で終着駅の左沢(駅)、直ぐ近くには最上川が流れており、昭和40年代頃までたしかに材木店もあった。
疎開先は「左沢」で間違いないだろう、との確信からドラマは制作され、高視聴率を記録して、国民的ドラマとして海外でも好評を得てきた。
放送から16年経った世紀末(1999)、友人のK記者は、綿密な取材を重ねて橋田とのインタビュー取材に臨んだ。
そこで、実際の疎開先は左沢(大江町)ではなく、隣町の西川町間沢(佐藤材木店)であったことを取材資料で示し、50年以上まえの橋田の記憶(違い)を呼び起こしたのであった。
当時、左沢線からさらに支線山形交通三山線(羽前高松-間沢)が開業されていて、昭和49年(1974.11)に全線廃止されている。
ブロブ子も幾度か乗車したことがあり、沿線には多くの友人(同級生)がいる。
橋田の、「疎開先は終着駅前の(佐藤)材木店」との微かな記憶は間違いなかったのである。
さらに記憶違いの解明は、最上川である。
西川町間沢には最上川は流れておらず、佐藤材木店近くには支流の寒河江川が流れている。
だが、寒河江川は川幅も狭く(30mぐらいか)、雄大な最上川の流れとはまったくスケールが違う。
間沢(佐藤材木店)の対岸から山間(沼山)に歩くと長沼・大沼の二つの沼がある。
佐藤家の子どもたちはおにぎりを携え、橋田を誘ってよく沼に遊びにいったそうである。
(橋田は)そこで寝そべりながら読書をしていたと言う。
この大きな沼を最上川と間違えた記憶だったようである。 大沼には龍神伝説がある。
佐藤材木店(間沢18番地、山形銀行西川支店隣地)は、1995年2月に全焼火災を起こし、翌年に法人解散。 廃線跡の傍でいまも空き地のままになっている。
寒河江川上流の西川町大井沢は、母ふじ(泉ピン子)の堕胎入水シーンなどのロケ地となった。
ロケ隊が滞在した旅館の女主人から直接聞いたエピソードであるが、仮設の風呂を緊急増設したそうだ。
橋田壽賀子の「おしん」執筆で、昭和20年山形疎開での記憶違いを解き明かした、A社K記者(本社論説委員)。


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