山形の森 保守醒論

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阿信県行旅、「本当のおしんの生家」は何処?、「おしんの生家・撮影地」が「おしんの家」となった怪!。

2012-06-12 02:21:22 | Weblog

   崩落過程の「おしん記念館」中山町岩谷

「『おしんの生家解体』、庄内映画村へ移築」との報道がなされて約一ヶ月。  全国に配信報道もされた。
4月初旬に豪雪の影響で、かやぶき屋根が崩落している現状を見ていたので、その後、どうなったものかと去る休日に現地を訪れてみた。
解体途中で支柱・梁だけが残っている状態であった。
自称『おしん研究家(オタク)』として、もうひとつの拘りは「本当のおしんの生家」は何処(位置)にあったのかを検証したいことだった。
広く「おしんの家」として知られる「おしん記念館」は、撮影で生家モデルとされた「本物」ではない。
中山町観光協会ホームページには『おしんの生家撮影地』として、「NHK連続テレビ小説「おしん」(1983年4月から84年3月に初回放送)が中山町岩谷地区で撮影されました。 ドラマで「生家」として使われた家はすでにありませんが、保存会の人達が「おしんの生家」と呼ぶこの家は、出演者やスタッフの控室として使用されたほか、セットの囲炉裏のモデルになっており撮影地の記念に保存されております。 この家は建てられてから150年ほどたっていて昔の農家の生活が感じられます。 この家は平成12年の大雪で倒壊寸前になり、平成13年8月に町の有志がテレビのクイズ番組に出演し修繕費を獲得、平成14年に現在の状態に修復しております。」との正確な記述がなされている。
さすがに中山町としても「撮影地(域)」であって、「本当のおしんの生家」とする虚偽記載などはしていない。
記念館の二箇所の掛け看板も「『おしんの生家』撮影地」とし、「おしんの生家」の大きな文字の下に小さく「撮影地」と付記されている。
が、世間一般の風評として「おしんの生家」として知られ報道もなされて、全国から「おしん」に魅せられた観光客が訪れると言う。
当日にも群馬ナンバーの車が見られた。さて「本当のおしんの生家(モデル)」は、正確にはどの場所にあったのだろう。
それが知りたくて所蔵のDVDを見直した。
第4回放送(1983.4.7)、おしん(乙羽信子)が、雪道を八代圭(加代の実孫)におぶさりながら廃村に辿りつく。
「あっ、見えた見えたっ」と叫び、生家にズーミングアップされ、やがて回想編につながる涙に濡れてゆくシーンがある。
このシーンのコピーを手に現場検証と相成った。
実際に岩谷地区の現場を訪れないと想像も出来ないことであるが、(「おしんの家」とされてきた)記念館に向かう直ぐ手前が緩やかなS字カーブとなっている。
その左側に大きな杉木が2~3本立っている。実はそこが「本当のおしんの生家モデル」の立地場所であった。
放送シーンを見直すと、生家とされた家の前に(当時の)小さな杉木が写っている。
撮影から30年も経過するとこれだけの大木になるんだなと検めて思い知らされ、ここに(本当の)家が建っていたことさえ想像できない変わりようであった。
NHKロケハンが多くの廃村を巡り、立ち枯れたような崩落寸前の撮影用の「おしんの生家」モデルを、中山町岩谷地区に見つけたものとうかがえる。
それゆえ現在に残るまでもなく撮影後まもなくに崩壊したことだろう。
国内放送後の海外放送展開で、「国際的おしんブーム」の到来から地元保存会が立ち上がり、「おしんの生家撮影地(2001.おしん記念館)」となった。
「おしんの生家解体工事中」との工事看板を掲げ、県費(山形県)を使って庄内映画村への移築搬送中とされる。
はたして庄内映画村では、この移築物(古民家)に、なんと名付けるのだろうか気になるところである。
「本当のおしんの生家(モデル)」でもなく、「『おしんの生家』撮影地」でもなくなる。
移築後の中山町岩谷地区には跡地の案内版等を立てる計画のようであるが、『おしんの生家撮影地』とともに、「本当の『おしんの生家』モデル」の位置図・撮影時の本物写真などを掲示されたらと考える。
現在と隔たる時の流れを感じ取るのも原作者橋田壽賀子が「ドラマおしん」で描きたかった狙いでもあることだから。
先般県庁(観光交流課)に、これらのことを愚見しに赴いたが、知ってか知らずか反応は薄い。
橋田は「おしんドローム」と評された爆発的ブームに、「辛抱ドラマ」として筋書きばかりが面白がられた。
膨れすぎると日本も危ない。(人は身の丈)身のほどを知るべきだということの警告が「隠れたテーマ」だと述べている。
最高視聴率62.9%を記録し日本中を感動させた朝ドラ「おしん」。
日本人は橋田の秘めた想いも空しく、その後約10年、浮遊の膨張を続けて崩落。
バブル崩壊後の日本は失われた20年と揶揄される脱け出せない暗く長いトンネルの中にある。
深読み出来ない情緒的な表層だけの日本人軽薄化は、いまや政界にまで及んでいる。
明2013年は「『おしん』放送30周年」、ちょうど一世代経過の時となった。
「ドラマおしん」の「隠れたテーマ」を再確認する絶好の機会ではなかろうか。
なお、(橋田の)原作上のおしんの生誕地イメージは、西置賜郡白鷹町鮎貝の旧栃窪地区(最上川上流の廃村設定、生家周辺地として西川町大井沢・寒河江川でロケ)で、奉公先中川材木店(大江町左沢)、母ふじの出稼ぎ先(尾花沢市銀山温泉)、米問屋加賀屋(酒田市)となるドラマは、最上川伝いに置賜・村山・最上・庄内と山形県4地域を距てる全県構成となっている。
それだけに行政当局・関係者にこそしっかりと、国民を魅了した(山形主要舞台の)ドラマの真髄を精確に深読みして頂きたいものだ。
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