山形の森 保守醒論

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「超原発」への挑戦、死去した評論家・吉本隆明考

2012-03-21 17:44:17 | Weblog
評論家の吉本隆明が死去した。脱原発、反原発、卒原発などと原発稼働に対するネガティブな言葉が乱れ飛ぶなかで、吉本は「(人類の文明論から)科学技術に後退はありえない」との論を説いた。
吉本とは多くを異にするものだが、この「科学技術文明論」には賛同する。
今日、国民は電気利用を当然の如く感じているものだが、エジソンがランプと発電所建設に取り組んだのは1880年で僅か130年余前。 日本の一般家庭まで電力普及したのは約100年程度のことで、郡部僻地はさらに遅れた。
自動車は独ベンツ(1886.三輪自動車)、米フォード(1896.自作4輪自動車)に始まり、トヨタ自動車設立は1937.8で、国民車的に普及したカローラの発売が1966年であるから、僅かここ半世紀のことだ。
ライト兄弟が飛行機の初飛行したのは1903年。 敗戦国となった日本は占領期間中に航空機関連産業が停止、日本航空が設立され国民期待の初飛行は1953年であるから、これも約60年ほど。
世界最初の原子力発電所運転は、ソ連のオブニンスク発電所(1954.6)、日本初の東海発電所運転開始は1966.7で、ちょうど半世紀の歴史となる。
このように人類の科学技術は近現代において急激な進展を遂げてきたものである。
その派生技術(民生)による生産性・利便性向上が図られ国民生活を豊かにしてきた。
このたびの大震災による二次的原発災害事故による痛ましい被害にお見舞いするものであるが、人類が開発した原子力に対して、科学的・医学的にも対処安全策を講じるのも人類に突きつけられた宿命の責任と義務ではなかろうかと考える。
吉本の「科学技術文明論」は悲観的なネガティブ論調溢れるなかで説いた中立論として支持したい。
さて、原発被害について民主党政権(政府)の初動対応の拙さが拡大させた感は否めない。
吉本は震災当時の菅直人首相を始めとする団塊世代の(反国家)全共闘運動、60年安保闘争などの左翼運動のカリスマ的煽動論者として支持されてきた。
反帝・反戦を唱えながら反米一辺倒の丸山真男ら進歩派知識人に対して、ソ連帝国主義をも批判対象(反ソ)としたことから全共闘運動の若者に脚光を浴びる存在となった。 が、結果として全共闘過激派(連合赤軍結成など)が(反帝・反米反ソで)親中国に走ることにも繋がった。
中国はすでに(1964.10)核実験を行い核保有陣営に入っていたのに、中ソ対立の政治情勢下で(毛沢東による)文化大革命の悲劇を覆い隠し、親中国に陽動したものと取られても仕方ないだろう。
(1972.9)日中国交正常化前のことであるから、現民主党政権の系譜に続く(親中左翼)路線上にあったことは明らかである。
その意味では不作為無能な今日の政治家連を誕生させた責任を問いたいものだ。
原発被害に対してマスコミ世論はネガティブな言葉だけが圧倒し、現状を乗り越えようとするポジティブな国民機運が低いことに危機感を覚える。
惨事にあたっては責任放棄の「想定外」に終始する。反戦だけを声高に叫び、戦時に於ける国家の危機管理(国防)に及ばないナイーブな偽善左翼と同様に感じるものだ。
その意味からも原発(の科学技術)を乗越える「超原発」を提案したい。
山形の美栄子知事は嘉田滋賀県知事と一緒に「卒原発」なる言葉を発しているようだが、母性は見えても父性は覗えない。
「鉄の女サッチャー」は、政治的両性を持ち合わせたことから首相たりえた。
はたして日本女性の政治家器量は世界的に見て如何ほどのものか・・・・。 公民選挙で選出する日本人全体の真贋見極めの眼力が問われているようだ。
コメント
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