東京・広尾の住宅街にあり、約3,000坪の広大な森の中に佇む「羽澤ガーデン」が、再開発によるマンション建設に伴い、屋敷解体する報道を目にした。
六本木通りから少し入るのだが、西麻布交差点からわずかな一等地のところにこれほどの森が存在することなど、初めて行くまでは知る由もなかった。
以来、数度訪れることになるのだが、思い起こしたのは、国全体が東日本大震災で復興に取り組んでいる今、この「羽澤ガーデン」が、1923.9に発生した関東大震災後の復興に、後藤新平内相兼復興院総裁から請われて、東京市長に就任した中村是公元満鉄総裁の私邸であったことからである。
就任直後の10.19に東京市長として大震災犠牲者の府市合同追悼式(49日)が本所区被服廠跡で執り行われる。
時の東京府知事は山形・米沢藩出身の宇佐美勝夫(宇佐美洵日銀総裁・宇佐美毅宮内庁長官の父)であった。
9.1の大震災発生から帝都復興院発足は、9.27と実に素早い対応であった。
時代と規模は違えど東日本大震災における現政府の遅滞には、政治家の歴史に学ぶ智恵のなさを感じてしまう。
政府予算原案の打ち上げに県主催(東京事務所)の慰労会が行われたこともあった。母校同窓会の幹事会に使ったこともある。
ビルが立ち並ぶなかにある自然の森を思わせる一角、環境問題を述べるつもりもないが、都心にもう少し緑があって欲しいとは思う。
中村の私邸建設が1915年(大正4年)と言われるから、約百年近くになんとする歴史を重ねた武家屋敷のような日本建築である。
(三菱地所の)最高級のマンションとしてお目見えしそうだが、敷地に関わる歴史談は語り続けて欲しいものだ。
失われた20年の経済失速は、我が国の歴史的文化的遺産をも霧散させて行く。
六本木通りから少し入るのだが、西麻布交差点からわずかな一等地のところにこれほどの森が存在することなど、初めて行くまでは知る由もなかった。
以来、数度訪れることになるのだが、思い起こしたのは、国全体が東日本大震災で復興に取り組んでいる今、この「羽澤ガーデン」が、1923.9に発生した関東大震災後の復興に、後藤新平内相兼復興院総裁から請われて、東京市長に就任した中村是公元満鉄総裁の私邸であったことからである。
就任直後の10.19に東京市長として大震災犠牲者の府市合同追悼式(49日)が本所区被服廠跡で執り行われる。
時の東京府知事は山形・米沢藩出身の宇佐美勝夫(宇佐美洵日銀総裁・宇佐美毅宮内庁長官の父)であった。
9.1の大震災発生から帝都復興院発足は、9.27と実に素早い対応であった。
時代と規模は違えど東日本大震災における現政府の遅滞には、政治家の歴史に学ぶ智恵のなさを感じてしまう。
政府予算原案の打ち上げに県主催(東京事務所)の慰労会が行われたこともあった。母校同窓会の幹事会に使ったこともある。
ビルが立ち並ぶなかにある自然の森を思わせる一角、環境問題を述べるつもりもないが、都心にもう少し緑があって欲しいとは思う。
中村の私邸建設が1915年(大正4年)と言われるから、約百年近くになんとする歴史を重ねた武家屋敷のような日本建築である。
(三菱地所の)最高級のマンションとしてお目見えしそうだが、敷地に関わる歴史談は語り続けて欲しいものだ。
失われた20年の経済失速は、我が国の歴史的文化的遺産をも霧散させて行く。