山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

民主党って、ルーピー(鳩山由紀夫)が容易く前線復帰出来るほどの軽薄政治家集団なの?

2010-08-30 20:10:29 | Weblog
民主党代表選挙で鳩山由紀夫が、菅直人・小沢一郎の調整役を気取り振舞っていることには、なんとも呆れるものである。
民主党員・サポーター投票を含む代表選挙は、(2002.9実施の代表選挙)以来の2度目となる。
その間に9回の代表選挙があったのだが、所属国会議員のみの投票、もしくは無投票による現職再選で、永田町の外(党員・サポーター)に訴える代表選挙は実に8年ぶりである。
「政治とカネの疑惑」は、小沢・鳩山共々に抱える問題ではあるが、ここでは鳩山由紀夫について論じる。前述の2002.9、党員・サポーター投票を含む初の代表選挙こそが、鳩山(兄弟)の母鳩山安子による“子ども手当”と称される、月々1500万円の支出に深く関連していることである。
この「鳩山子ども手当」は、(2002.9実施)任期満了による定時代表選挙の2ヶ月前、7月から資金提供が開始されている。
もっとも、起訴された勝場秘書は「事務所の運営資金が、月1500万円くらい足りない」として、月々定額の1500万円の提供になったものである。
そのことからすれば、不定期(子ども手当一時金)の資金提供は別途に存在しているものと想定される(弟邦夫は途中(2007.4から)2500万円に増額している)。
だから、「(鳩山)子ども手当の全容」を公表出来ないものなのである。
鳩山由紀夫は、「新しい(広い)議員会館で、対応できるから」と述べて、(2010)4月末で永田町2の十全ビル事務所を閉鎖した。
ところが直ぐに、赤坂1のアークヒルズ・エグゼクティブタワーに個人事務所を構え、小沢一郎などとの会談に使っている。
十全ビル事務所は、捜査供述で“子ども手当”を保管していた金庫があったもので、「政治とカネの疑惑」を目先封印するために事務所閉鎖したパフォーマンスとしか受け取れるものではない。
首相退陣表明で政界引退を公言したにも拘らず、発言を反故にして、(メディア報道によれば)「(外相)外交をやりたい」ともなれば、呆れて言葉も無い。
いったい、政治家には正常感・社会観の足りない人種が就いているのではと政治(家)不信は募るばかりだ。
たかが政治屋、されど政治家、せめて国民(日本人)目線で全うして欲しいものだ。
民主党って、(国際的な)国民目線で淘汰されたルーピー(鳩山由紀夫)を、容易く復帰出来るほどの軽薄政治家集団なの?。
鳩山由紀夫の政治的地位は“(鳩山マネー)カネで買った”身分(民主党代表→首相)であって、政界全体がその程度の賊議員で構成されているものと解される。
菅VS小沢(鳩山)で、相変わらずの政策理念不在の(金権)権力闘争だけが垣間見える。
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大蔵省からの出向組で、初代の山形県総務部長に就いた浜田恵造が、香川県知事選で初当選

2010-08-30 18:19:33 | Weblog
任期満了に伴う香川県知事選は29日投開票され、無所属で元東京税関長の浜田恵造が初当選した。
4月頃からだろうか。ブログ「山形の森」への「浜田恵造」キーワードでのアクセスが目立って増えていた。
当初は、県庁職員など県内行政関係筋なのかなとも思っていたのだが、ほどなく香川県知事選の候補予定者として財務官僚の浜田恵造元東京税関長が上がっていることを知り、その方面からのアクセスであることを理解できたものである。
ブログ内容は、浜田が1990.4に(当時)大蔵省からの出向者として、山形県庁に初代の総務部長として赴任したことに触れている。
爾来、現在も財務官僚の山形県出向は続いており、総務部長を務めて本省に戻り、激烈な官僚トップの次官奪取競争を歩むことになる。
特に財務省から地方県への部長級出向組は入省同期でもトップクラスの選り優れが充てられ、ほぼ、熊本・徳島・三重・石川・山形の5県に限られていると言ってよい。
山形県はその中でも最後発であるのだが、初代総務部長として浜田恵造(1975入省)を招聘するまでには、県政に於けるある深い経緯があった。
前年の1989.10に5選を果たした板垣清一郎県知事は、自らの後継含みで(当時)大蔵官僚のO課長を副知事として迎えようとしたのだが、O課長が断ったことで、後輩にあたる課長補佐級からの本県部長級出向を懇請した結果として、浜田恵造の総務部長としての招聘となったものである。
浜田は、東海財務局長・理財局次長・東京税関長などを歴任して退官。このたび出身地香川県での知事選出馬、初当選となった次第だ。
山形県総務部長として県行政を仕切った経験が故郷で生かされるだろうことを期待するものだ。
1975年同期入省の勝栄二郎が財務省トップの事務次官に昇任したのも、地方と中央(霞ヶ関)の情報直線の確保としても双方喜ばしいことであろう。
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