稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

シャッター通りにて

2012年05月26日 | 日々
 串本で母の入院先に通う日々。

 毎日、狭い道路を抜けて国道へ。

 ぼくの両親の店があった新町商店街。
 今はシャッターを下ろした店舗や駐車場、住宅にまじって小売店がいくつかあるだけだ。 


 ぼくらが子どもの頃、にぎわいが移っていった東海岸通り商店街も今は閑散としている。

 
 人と自転車、車が往来し、年末の大売り出しでは商工会の福引もにぎわっていた。
 なによりもぼくら子どもがバラバラいた。
 
 今の、人の気配のなさはどうだろう。


 代わりに町にはエバグリーン、Aコープ、オークワなどのスーパー、さらにドラッグストアなど各種量販店が立ち並ぶ。
 そこへ行けば、店は広く明るい。


 商品も豊富に並んでいる。
 昔、金物屋、八百屋、魚屋、酒屋、靴屋・・・で並んでいた商品はここにすべてある。
 いや、それ以上にある。


 従来の小売店が競争できるはずがない。
 都市部でも似たようなものながら、時の流れか。

 子どもの頃、町を歩いていると、ぼくらに気軽に声をかけてくれた町のおいやん、おばん。
 もうみんな逝ってしまった。

 あの頃遊んだみんな。
 今どこでどうしているのだろう。

 
  (西の岡から見る町内)
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2 コメント

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串本 (shirano)
2012-05-26 23:54:31
串本小学校のフェニックスがなくなり、奥の運動場もなくなって、西の丘が開発されていますね。僕の子どものころ(30年前)と比べても、すっかり様変わりです。
僕の以前の実家は新町通り商店街の近くでしたが、まだ僕が子どものころは新町も東海岸通りも賑わっていました。同級生にもそれらの商店街にあるお店の息子、娘が何人かいますが、みんな大阪など都会に出て、帰っていませんね。
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縮む町 (神田)
2012-05-27 09:31:12
 シラノさん、そのとおりですね。
 串本も商業を基盤で支えていた漁業と観光の不振、林業の崩壊という中で、縮小が続いているという印象です。
 量販店ができたのも、発展ではなく整理・統合という面が強いように思われます。
 仕事がなければ、人は地方には戻りませんね。生活していけないんですから。
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