稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

京都木屋町界隈 今むかし

2016年01月23日 | 日々
 長く会っていなかった友の誘い。
 久々に四条木屋町へ。

 学生時代の話に盛り上がり、再会を約して手を振り合った。

 そのあと、ぼくはこの界隈をしばらく歩いてみた。

        

 学生時代、ぼくはバーテンのアルバイトをしたことがあった。
 このあたりにあったバーだ。

 当時、平均時給が150円前後の頃、300円という破格。

 バーというから若いホステスさんがいるのかと思ったら、おばさんばかり。
 中にはおばあさん?という人も混じっていた(もっとも接客はピカイチ)。

 当時、学生運動で革命か改良か、変革の主体は・・・などという青臭い議論に明け暮れていたぼくら。

 それがここでの話といえば、男と女、セックス、カネ・・・。
 有線放送で流れ続ける「ムード歌謡」。

 一方、手もつけられずに捨てられていく料理や酒、高い支払。

 そんな光景を目にしていると「なんという世界!」とぼくには衝撃。
 
 大学でクソまじめに議論していることがバカバカしく思われさえしたのもなつかしい。

        

 ところで、店には「ヤエちゃん」という年輩のホステスさんがいた。

 デップリした人で、ひまなときには「カァンダッ!」と呼びかけ、カウンター内のぼくによく話しかけてくれた。

 歯医者がきらいなこと、自分のところに「ヤドロク」が通ってくること、広島出身であること・・・話はいろいろ。
 ぼくにとっては店で数少ない気の置けない人だった。

 そんなこともあって、その後、年賀状のやりとりはずっと続いてきた。

 ところが、数年前からこのヤエちゃんから年賀状がこなくなった。
 ぼくの出す年賀状は戻ってきてはいない。
 ということは届いているのだろう。

 ヤエちゃん、もう年賀状を書く体力も気力もなくなってしまったのか?。
 それでも、枕元に届くならばとぼくは今も毎年出し続けている。

 さて、久しぶりに歩くこの界隈。
 本当に変わった。

        

 昔、バーテン・チーフに連れられて入った店、ワイン・リバー、又兵、上海、南大門・・・どれもこれも今はない。
 バーという形の店も目に入らない。

 あの頃、ギターをかかえた流しの人が行き交ったこの街。

 すっかり別の街になってしまった。
 ヤエちゃんが見たら、さぞびっくりするだろう。

        
       ( 唯一記憶にある喫茶店 築地 開業82年だとか )
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