BSで久しぶりに「伊豆の踊子」(1963年 吉永、高橋主演)。
旅芸人一座のかおる(踊子 16歳)と学生(東京の高等学校生)との淡い恋と別れを描いた作品だ。
伊豆半島を徒歩で南下する旅芸人一座と学生が出会い、連れ立っての旅、物語はそこから始まる。
作品の一つの柱は二人がお互いに惹かれ合う展開、
もうひとつは旅芸人が置かれた社会的地位を明らかにしていく展開、作品はこれら二つの柱から成る。
映画のはじめ、一行が伊豆のある村を通過する場面、村の入口には木札が立てられている。
「物乞ひ 旅芸人 村に入るべからず」と。
一行は村の子どもたちにはやしたてられながら、足早に村を通り過ぎる。
茶店では、ばあさんが学生に一行を指して「あんな者・・・」と。
さらに、着いた宿場で一行が呼ばれたお座敷。
宴席での歌や踊り。
宿場は男たちの欲望の渦巻くところ。
それらはかおるの決して明るくない将来をも予感させる。
やがて、二人はますます惹かれ合うようになるが、
一座の母親役(浪花千栄子)は二人を引き離そうとする。
どう考えても成就しえない恋との思いからだ。
下田に着いた学生はそこから船で東京に帰ることになる。
二人の辛い別れ、物語はここで終わる。

伊豆の踊子の時代
原作(川端康成)が書かれたのは大正末期。
あまりに若すぎる二人の恋はむずかしいが、
それ以上に厳しい格差が恋の成就を阻んだのもこの時代の現実だったろう。
どこでもさげすまされる旅芸人たち。
他方で、学生はまわりから「書生さん」「学生さん」と大事にされるいわば当時のエリートだ。
恋の深まりの過程と格差の厳しさが明らかにされていく過程の終末にある別れ。
そこにこめられたある種のメッセージ性が、単純な悲恋物語とは異なり、
この作品を今日まで読み継がせ、何度もの映画化を果たさせたのかもしれない。
旅芸人一座のかおる(踊子 16歳)と学生(東京の高等学校生)との淡い恋と別れを描いた作品だ。
伊豆半島を徒歩で南下する旅芸人一座と学生が出会い、連れ立っての旅、物語はそこから始まる。
作品の一つの柱は二人がお互いに惹かれ合う展開、
もうひとつは旅芸人が置かれた社会的地位を明らかにしていく展開、作品はこれら二つの柱から成る。
映画のはじめ、一行が伊豆のある村を通過する場面、村の入口には木札が立てられている。
「物乞ひ 旅芸人 村に入るべからず」と。
一行は村の子どもたちにはやしたてられながら、足早に村を通り過ぎる。
茶店では、ばあさんが学生に一行を指して「あんな者・・・」と。
さらに、着いた宿場で一行が呼ばれたお座敷。
宴席での歌や踊り。
宿場は男たちの欲望の渦巻くところ。
それらはかおるの決して明るくない将来をも予感させる。
やがて、二人はますます惹かれ合うようになるが、
一座の母親役(浪花千栄子)は二人を引き離そうとする。
どう考えても成就しえない恋との思いからだ。
下田に着いた学生はそこから船で東京に帰ることになる。
二人の辛い別れ、物語はここで終わる。

伊豆の踊子の時代
原作(川端康成)が書かれたのは大正末期。
あまりに若すぎる二人の恋はむずかしいが、
それ以上に厳しい格差が恋の成就を阻んだのもこの時代の現実だったろう。
どこでもさげすまされる旅芸人たち。
他方で、学生はまわりから「書生さん」「学生さん」と大事にされるいわば当時のエリートだ。
恋の深まりの過程と格差の厳しさが明らかにされていく過程の終末にある別れ。
そこにこめられたある種のメッセージ性が、単純な悲恋物語とは異なり、
この作品を今日まで読み継がせ、何度もの映画化を果たさせたのかもしれない。
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