釣り再び
小学生時代、ぼくの釣りはアジ釣りから始まり、
6年生のころにはアカハタやクエの子など根魚釣りにまで及んだ。
けれども中学生になってそれは突然終わってしまった。
きっかけは大阪への転居で、海が身近なものでなくなったことによる。
ところが、忘れたころに再び釣りはぼくのところにやってきた。
ある日の仕事の休憩時間、
バス釣りを楽しむ垣内さんがぼくら同僚にルアーを見せてくれたのだ。
赤や黄色に塗られたプラグ、そのきれいな仕上がりにぼくはとても感心した。
垣内さんはこのプラグにバスが食いつくという。
しかし、いかにきれいでも、これはどう見てもつくりモノのオモチャ。
これをバスがホンモノの魚と間違え、食いつく?
信じられんッ!というのがぼくの率直な感想だった。
そこで次の休日、みんなで琵琶湖へバス釣りに行こうと話がまとまった。
初めてのバス釣り
さて、その休日、ぼくら初心者十数人は琵琶湖に集合。
垣内さんからひととおりの手ほどきを受け、全員釣り開始。
「動くものなら何でも食いつく」と聞いていたバス。
みんな簡単に釣れると思いこんでいたが、そうはいかなかった。
夕刻の集合。
結局釣ったのは垣内さん一人だけで、あとは全員釣果なし。
みんながっかりしてそれぞれ帰路についた。
ぼくもその一人だった。
しかしぼくはくやしく、あきらめられない。
一匹でいい、その一匹を釣るまではやめない!
と、そこからぼくの琵琶湖通いが始まった。
が、まったく釣れないのだ。
ある日、釣り好きの先輩 井上さんが見かねてぼくに言った。
「神田さん、苦労してますね。
よかったらぼくといっしょに行きませんか? 必ず釣れますから」と。
ぼくは喜び「ゼヒッ!よろしく」とお願いした。
釣行の前夜には初めてバスを釣った夢をみたほどで、
この夢のことは今でも苦笑しながら思い出す。
初めて釣れたバスだったが・・・
さて、当日ぼくは井上さんの準備した手漕ぎボートにのせてもらい出航。
井上さんからワームでの釣り方を教えられ、釣り開始。
ところが釣れないではないか、その井上さんにも。
井上さん「あれエ、おかしいなあ・・・釣れるはずなんやけど」
と首をひねることしきり。
結局、二人とも一匹も釣れないまま夕刻。
このときのぼくの落胆は大きかった。
期待が大きかったぶん、あたかも神に見放されたかのようで・・・。
緊張の糸が切れたぼくは、遊び半分でワームをミノーにつけかえ、ポチャン。
糸ふけをとると、何やらもぞもぞ。
リールを巻くと、
9センチミノーに10センチあまりのバスが食いついているではないか!
ただ、ぼくにはこれをどう受け止めたものか?と胸中は複雑だった。
釣ったという実感はなく、偶然釣れてしまったという感じ。
とても喜ぶ気にはなれなかったのだ。
バス釣りにのめりこむ
そんなわけで、ぼくのバス釣り挑戦はさらに続いた。
その後、ぼくは釣り場で知り合った人に
クランクベイトを教えられ、ここから安定した釣果に恵まれ始めた。
さらに、知り合った人からミノーの使い方を伝授され、
以後ミノーはぼくの基本ルアーともいうべきものになっていく。
さて、一匹釣るまではやめないと思っていたバス釣りだったが、
その後ぼくはやめるどころか、本格的にのめりこむことになってしまった。
初めて目にしたときは「つくりモノのオモチャ」に見えたルアー。
が、釣り人がそこに命を吹き込んでやれば、それはたちまちホンモノのように動き出す。
なんとも不思議でおもしろいルアー。
ぼくはその魅力にとりつかれてしまったのだ。
四十路も近いぼくのルアーとの出会いだった。
小学生時代、ぼくの釣りはアジ釣りから始まり、
6年生のころにはアカハタやクエの子など根魚釣りにまで及んだ。
けれども中学生になってそれは突然終わってしまった。
きっかけは大阪への転居で、海が身近なものでなくなったことによる。
ところが、忘れたころに再び釣りはぼくのところにやってきた。
ある日の仕事の休憩時間、
バス釣りを楽しむ垣内さんがぼくら同僚にルアーを見せてくれたのだ。
赤や黄色に塗られたプラグ、そのきれいな仕上がりにぼくはとても感心した。
垣内さんはこのプラグにバスが食いつくという。
しかし、いかにきれいでも、これはどう見てもつくりモノのオモチャ。
これをバスがホンモノの魚と間違え、食いつく?
信じられんッ!というのがぼくの率直な感想だった。
そこで次の休日、みんなで琵琶湖へバス釣りに行こうと話がまとまった。
初めてのバス釣り
さて、その休日、ぼくら初心者十数人は琵琶湖に集合。
垣内さんからひととおりの手ほどきを受け、全員釣り開始。
「動くものなら何でも食いつく」と聞いていたバス。
みんな簡単に釣れると思いこんでいたが、そうはいかなかった。
夕刻の集合。
結局釣ったのは垣内さん一人だけで、あとは全員釣果なし。
みんながっかりしてそれぞれ帰路についた。
ぼくもその一人だった。
しかしぼくはくやしく、あきらめられない。
一匹でいい、その一匹を釣るまではやめない!
と、そこからぼくの琵琶湖通いが始まった。
が、まったく釣れないのだ。
ある日、釣り好きの先輩 井上さんが見かねてぼくに言った。
「神田さん、苦労してますね。
よかったらぼくといっしょに行きませんか? 必ず釣れますから」と。
ぼくは喜び「ゼヒッ!よろしく」とお願いした。
釣行の前夜には初めてバスを釣った夢をみたほどで、
この夢のことは今でも苦笑しながら思い出す。
初めて釣れたバスだったが・・・
さて、当日ぼくは井上さんの準備した手漕ぎボートにのせてもらい出航。
井上さんからワームでの釣り方を教えられ、釣り開始。
ところが釣れないではないか、その井上さんにも。
井上さん「あれエ、おかしいなあ・・・釣れるはずなんやけど」
と首をひねることしきり。
結局、二人とも一匹も釣れないまま夕刻。
このときのぼくの落胆は大きかった。
期待が大きかったぶん、あたかも神に見放されたかのようで・・・。
緊張の糸が切れたぼくは、遊び半分でワームをミノーにつけかえ、ポチャン。
糸ふけをとると、何やらもぞもぞ。
リールを巻くと、
9センチミノーに10センチあまりのバスが食いついているではないか!
ただ、ぼくにはこれをどう受け止めたものか?と胸中は複雑だった。
釣ったという実感はなく、偶然釣れてしまったという感じ。
とても喜ぶ気にはなれなかったのだ。
バス釣りにのめりこむ
そんなわけで、ぼくのバス釣り挑戦はさらに続いた。
その後、ぼくは釣り場で知り合った人に
クランクベイトを教えられ、ここから安定した釣果に恵まれ始めた。
さらに、知り合った人からミノーの使い方を伝授され、
以後ミノーはぼくの基本ルアーともいうべきものになっていく。
さて、一匹釣るまではやめないと思っていたバス釣りだったが、
その後ぼくはやめるどころか、本格的にのめりこむことになってしまった。
初めて目にしたときは「つくりモノのオモチャ」に見えたルアー。
が、釣り人がそこに命を吹き込んでやれば、それはたちまちホンモノのように動き出す。
なんとも不思議でおもしろいルアー。
ぼくはその魅力にとりつかれてしまったのだ。
四十路も近いぼくのルアーとの出会いだった。
それから1985年にはゲリラ的放流仕掛人によって古座川の七川ダムではブラックバスが釣れ始めたと記憶しております。神田様は七川ダムでバス釣りをされた事はございますか?
長文コメント失礼いたしました。
古座川生まれさんもルアーをやってらっしゃったんですね。
お尋ねの件、ぼくも話に聞いて一度か二度、七川ダムに出かけたことがあります。トップで40cm級が出たことを覚えています。
もっとも、ダムの斜面は急で、ボートでなければ移動は大変なところという印象をもちました。バスよりもアマゴというのがぼくも関心事で、それ以降は行っていません。
ただ、後に明神橋の下流でバスを見たときは驚きでした。古座川でもバスはこんなに広がっているのだと。生態系からは残念なことです。
来歴を読んでいただき、おおきに。うれしいですね。
そうでしたか、琵琶湖はやりにくかったですか。ぼくは逆でしたね。野池などは苦手でした。
でも、釣りというのはその釣り場になじみ、そこの感覚を身に着けることが大事なのかもしれませんね。トラウトでも、川が違えばやりにくいということもよく経験したところですから。