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稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

クレタ島からサントリーニ島へ

2015年06月23日 | 
 クレタ島
 6日目の朝、ギリシャ最大の島 クレタ島に到着。

 一行はクノッソス宮殿を見学。

        

 紀元前2000年頃の文明と聞いたが、古い。

        

 王の部屋には木材が使われているなどの特徴。
 都市国家アテネの時代とはかなりおもむきが違う。

         
        現地ガイドの熱心な説明 
        みんな聞いているふり 英語なのでさっぱり

 サントリーニ島
 午後、サントリーニ島に到着。

 この島はエーゲ海の島めぐりではもっとも人気の島だ。

 建物は山の上にかたまっている。
 山肌には何層にも重なった地層が見え、実に荒々しい。

        

 ここは三日月型をした島で、カルデラなのだ。

 さて、上陸して、島の上の建物群へ。

        

 ここもエーゲ海の青と建物の白との対比がきれいだ。
 教会の青いドームも異国情緒がとても豊か。

        

 もっともガイドの話ではこの青いドームには経過があるという。

 当初は白いドーム→
 たまたま何かの事情で青く塗る→
 教会関係者が「もとに戻せ」と言い、再び白く塗る→
 青いドームの話を聞いてやってきた観光客が「なぜ白いドーム?」と文句→
 もう一度青く塗りなおす

 つまりこの青いドームは観光事業に深くかかわっているそうなのだ。

        
         ( とにかく暑い! みんな日陰に退避 )


 そう考えると、島々の建物の真っ白さはどこからくるのだろう。

 暑い太陽光をはねかえし、建物内を涼しく保つためという話もある。

 住民の自然な生活の工夫からそうなったのならいいが、観光目的だとしたらがっかりだ。
 
 実際のところはよくわからない。

         

 いま挙式を終えたばかりというカップルとすれ違った。
 ガイドの話では、ここで挙式するカップルで一番多いのは中国人だそうだ。

 公衆トイレ事情
 旅行会社の案内にはこう書かれていた。
 「ギリシャでは公衆トイレは多くありません。
  ホテル、レストランなどで必ずすませるように心がけてください」と。

 いや、確かにそうだ。
 しかも公衆トイレがあっても有料がけっこうある。

 ここサントリーニ島でも同じく。

        

 老夫婦が入り口で、一人につき50ユーロ・セント(約70円)を集めている。
 観光客の数が多いのですごい繁盛ぶり。

 が、この老夫婦が自分の土地にトイレを建てて経営しているわけではあるまい。
 どうなっているのだろう?

 迷子
 この時点でぼくらの一行のうちの一人がクレタ島に残されたことが判明。

 いや、この人、単独参加で80歳を超す爺さん。
 空港では一時所在不明になるわ、ホテルでは自室がわからなくなるわなどであぶないと思っていた人。

 クレタ島での自由行動ではぐれたようだ。

 添乗員は現地警察に依頼するなど大変。

 クルーズ船はおかまいなく予定時刻に出航し、ひたすらアテネへの帰港を目指す。

        
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クシャダスからパトモス島へ

2015年06月22日 | 
 エフェソス遺跡
 朝、トルコのクシャダス着。

 ここからバスでエフェソスの遺跡ツアー。

 ここはローマ時代に栄えた町だそうだ。
 恥ずかしながら、ぼくはまったく知らなかった。

 いずれにしても陽が高くなると暑い、猛烈に。

 ノラ猫が遺跡の壁のくぼみに座り込んで涼んでいる。

        

 エフェソスの図書館。

        

 古代エジプトのアレクサンドリアのものなどと並ぶ古代三大図書館のひとつだとか。

 野外劇場。

        

 ここの規模は大きい。 

 地中海世界
 それにしても、エーゲ海をはさんでトルコとギリシャが向かい合う。
 昔は、ペルシャがギリシャに幾度も攻め入ったというのも自然な位置関係だ。

 学生時代、「日本人とユダヤ人」という本を読んだことがある。
 記憶は不正確ながら、こんな趣旨のことが書かれていた。

 日本人は先の大戦で原爆の被害にあうなど、辛酸をなめたという。

 ところがユダヤの民はそんな生易しいものではない。
 何千年にもわたって侵略、殺戮、略奪にあってきた・・・と。

 確かに、地中海を中心として地図をみるとこの世界の厳しさを想わずにはいられない。

 北アフリカ、ヨーロッパ、中東。

 諸民族のせめぎあい。
 時には加害者となり、また被害者とも・・・。

 今、旅しているギリシャも、古代ギリシャの終焉ののち、その独立の回復は1829年まで待たなければならなかったこと。
 その事実にもこの世界の緊張の一端を見てとれる思いだ。

 海に囲まれた日本人には思い及び難い世界。

 脇が甘いと言われる日本、そして日本人。
 その根はこんなところにあるのかも知れない。

        

  ( トルコ領 クシャダスの港を見下ろす ) 

 パトモス島
 午後、船はクシャダスを出てパトモス港へ。

        

 港でアジでも泳いでいないかとじっと見つめる。
 小魚がいっぱい。

        

 底の方ではボラのような魚も。
 どこの港も同じようだ。

 21時、ギリシャ最大の島 クレタ島に向け出発。
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ピレウス港からミコノス島へ

2015年06月21日 | 
 4日目、ぼくらはホテルを出てアテネのピレウス港へ。

 3泊のエーゲ海クルーズが始まる。

 船は大きい!

 1450人の乗客を収容するという。
 これでもまだ中型だとか。

        

 ぼくが一番心配したのは船酔いのこと。

 3年ほど前に地中海クルージングに参加した釣友 カツヲさんの話では
 「いやあ、全然揺れないよ。波も風も関係ないよ。大きな船だから」

 一応酔い止めは持ってきていたが・・・。

 乗船すると、真っ先に避難訓練。

 ぼくらは指定のデッキに集められ、指定の救命ボートの前に整列。
 これは義務なのだそうだ。

        
 

 さて出航。

 体に伝わってくるのは機関の振動だけ。
 ユラーリ、フワーリという揺れはない。

 「これなら船酔いは大丈夫や」と安心。

 部屋の荷物を整理し、船内散策。

 プールに入るべく水着も持ってきたが、プールサイドは早くも人でいっぱい。
 そのほとんどが欧米人で、みんな体を焼いている。

 とても割り込めない。

 デッキから、海をながめる。
 
        

 きれいな空と海の青。

 ぼくはこれまで海の色をじっくり観察したことはない。
 が、エーゲ海の色はぼくの見慣れた太平洋の色とは少し違って見える。

 明るい青に見えるのは気のせいか?
 それともこれがエーゲ海の独特の色あいなのか?

 18時頃、ミコノス島に入港。

        

 写真でみたことのある真っ白な建物。

 海の色との対比がとても鮮やか。

 この島のレストランでぼくらは夕食となった。

        

 間もなく日没。

               

 島を歩いていると、ぼくらはあちこちでレストランやみやげもの店の店員から「ニイ・ハオ」「シェーシェ」と呼びかけられた。 

 閉口して「No、ヤポネソス!」と言うと
 あわてて「コンニチハ」。

 なかなか抜け目がない。

 それにしても中国人の勢いはすごい!と肌で感じる。

        

 23時、オリンピア号はトルコのクシャダスに向け再び出港。 
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コリントス運河を越えてペロポネソス半島へ

2015年06月20日 | 
  ミケーネにて
 3日目の朝、バスでコリントス運河へ。
 この運河は西のイオニア海と東のエーゲ海を結ぶ。

        

 運河を超えてミケーネへ。

        

 このアガメムノン王の墓はシュリーマンが発掘したものだという。
 「古代への情熱」の人 シュリーマンの興奮が伝わってくるようだ。

 そうして丘の上の遺跡群へ。

        

 この日の空は真っ青だった。

 が、ここを訪れる道すがら、ぼくが驚いたのはギリシャの山野の姿だ。

 バスでここに来る道の風景。

 乾燥に強いオリーブ畑が延々と続く。

 道端には松の木が多く自生。
 そして赤や白の花を咲かせた夾竹桃がたくさん。

        

 夾竹桃はインド原産で、乾燥と大気汚染に強いそうだ。
 おそらく乾燥したこの地で積極的に植えられたのだろう。

 山々はまばらな樹木、それにむき出しの岩肌。

        

 なんという光景。
 思わずのどの渇きを覚えてしまう。
 
 ギリシャは雨が少なく、乾燥した土地が多いと聞いたが、こういうことかと納得。


 ギリシャの駐車事情
 午後はナフプリオンの街へ。

 ところが市街地で急にバスが止まって動かなくなった。

        

 両面の路上駐車で、大型観光バスは通れない。

 運転手はクラクションを鳴らし続ける。
 が、誰も出てこない。

 バスの運転手は警察に電話。
 すぐに警察官二人がバイクで駆けつけ(このあたりは素早い)。

 そんなこんなで、とにかく通れるようにはなった。

 けれどもギリシャの道路、駐車車両はどこでもいっぱい。

        
        ( アテネ市内の一例 )

 ツアー同行者の話では、ヨーロッパはみんなこうだという。
 つまり終日路上を駐車場にしているというわけだ。


 円形劇場の不思議
 続いてエピダウロスへ。

 ここにも多くの遺跡がある。
 なかでもエピダウロスの円形劇場はすばらしい。

        

 この劇場は、55段の観客席で14000人を収容できるとか。
 今でも使われているというのがすごい。

        

 観客席もきれいに残っている。

 古代では音響設備なしでどうやって演劇などをしたのかと、ぼくには不思議だった。

 ためしに中央の舞台から最も遠く離れた最上段に登ってみた。
 舞台で話すガイドの声がよく聞こえる。
 
 どうなっているのだろうと思いつつ感心。

 こうしてぼくらはペロポネソス半島を引き上げた。

 ぼくとしてはスパルタの地や、古戦場テルモピレーなども見てみたかったが残念。
 
 チップ社会
 さて、初めての海外旅行にあたってよくわからないのがチップ。

 ツアーの添乗員が言うところでは
 「皆さんの食事は団体ですから、チップはまとめて払っていますのでチップはいりません。
 でもホテルでは枕チップ、おひとり1ユーロ程度を用意してください」

 「枕チップ?そら何ですねん?」
 「チェック・アウトのとき、各部屋を掃除に来る人にあげるチップです。
  枕元など目につくところに置いといてください」と言う。
 
 さて、この日は昨夜と同じホテルに宿泊。

 朝、ホテルを出るとき、ぼくはテーブルの上に2ユーロを置いて出た。
 メモ帳には「Thank you for cleaning」と記しておいた。

 部屋に戻ると、浴室もベッドもきれいに整っていた。
 テーブルのメモ帳には「SENKS」の文字。

        

 つづりは変だが、ぼくは思わずニッコリ。
 その人の笑顔が伝わってくるようで、うれしくなってしまった。

 でもチップ社会、ぼくにはよくわからんよ。
 欧米ではごく当たり前で、サービスのやりとりの潤滑剤のようなものなのだろうが・・・。
 
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パルテノン神殿にて

2015年06月19日 | 
 アクロポリス
 初日のアテネ市内観光。
 ぼくらのツアー一行25人は元気に出発。

 アクロポリスに至り、岩だらけの道や大理石の階段を登る。

 途中に見える遺跡群。

        

 そうして見えてきた。
 パルテノン神殿。

        

 大きい。
 
 修復工事の足場や重機は余計ながら、この工事は延々と続くらしいから仕方がない。

 現地ガイドの説明では、この円柱には芯が入っており、レバノン杉が使われていたという。
 修復では高価ながら、チタン製の芯柱が使われているそうだ。

 ぼくはもっと白い神殿を想像していたが、やや黒ずんでいる。
 これには大気汚染などが影響しているそうだ。

        

 古代ギリシャへの憧れ
 ぼくが古代ギリシャに強くひかれたのは、中高生の頃。
 世界史の授業だった。

 日本がまだ未開だった紀元前5世紀頃、もうこんな文明があったかと驚いた。

 そのひとつはこうした建造物だけでなく、古代のデモクラシーへの驚きだった。

 もちろん、女性は排除、また奴隷制の容認という限界からあえて「古代の」と形容されたそれではあったけれど。

 もうひとつはソクラテスに代表される哲学をはじめとする知性についてだ。
 それが多くの古代文明のなかで独自の様相を示しているように感じられたからだ。

                
        ( ソクラテス像 )

 そんなわけでぼくにとってパルテノン神殿は古代ギリシャを象徴する憧れのまとだった。

 とはいえ、当時の日本、海外旅行などは見果てぬ夢の時代。
 いま、ここに立つ自分がとても不思議な気がしてならない。

        
        アクロポリスから劇場を見下ろす

 ちなみに、ツアー参加者や添乗員との雑談でよく聞かれた。
 「ヘーッ、初めての海外旅行でギリシャへ!なんで?」と。
 ギリシャというのは、イタリア、フランス、スイスなどを訪れ、もう旅行するところがなくなった人が行くというのが一般的らしい。

         
         アクロポリスからアテネ市内を見おろす

 トイレと水
 ギリシャ在住の日本人ガイドから注意。
「水道水、飲めなくはありませんが、なるべくミネラル・ウォーターを買った方が安全です」
 この話は聞いたことがある。
 外国ではどこでもそうらしい。

 さらに
「トイレで使った紙は流さないでください。トイレのそばにある専用容器に入れてください」

 これには一同絶句。

 ギリシャのトイレット・ペーパーは水に溶けず、つまるらしい。
 それに配管の太さにも問題があるという。
 「台北もそうやったで」という声。

        
         紙捨て専用容器( 写真 右棚の下 )

 ギリシャの日本製品
 現地ガイドの話では、ギリシャでは日本の車や電気製品への信頼がとても高いという。

 ぼくも歩きながら、どこの車が多いのかと注意してみた。
 確かに日本車も走っているが、多いのは当然やはりヨーロッパ車。
 なかでもプジョーが目立った気がした。

 ガイドが言うには、ギリシャ人は日本製のものを買いたいが、とても高いそうだ。
 関税の影響だという。
 やはりEU域内の製品は有利なのだろう。

 もっともバイクは小型スクーターを除けばホンダ、ヤマハが多い。

        

 「ARAI」という看板を掲げたアテネ市内のヘルメット専門店。
 ヘルメットも日本製が人気らしい。

        
        ( アテネ市内のメリナ・メルクーリ像 )

 こうして初日の時差ボケに悩みつつ、アテネのホテル「クラウン・プラザ・シティ・センター」へ。
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関空からドーハへ、そしてアテネ

2015年06月18日 | 
 関空から飛翔。

 ドーハまで11時間。
 さらに乗り継いで、アテネへは5時間ほど。

 ぼくが一番心配したのは腰痛。
 一般のエコノミークラスでなくビジネスクラスなら楽。
 ゆったりしたイスなのだ。

 けれども、値段はすごい。

 例えば、ある旅行会社の場合。
 英国10日間のツアー。
 エコノミーなら約32万円、それがビジネスなら60万円に。
 イタリア10日間のツアーなら24万円が49万円に!

 この差額は往復の飛行機の座席代なのだ。

 で、ぼくら夫婦が参加したのは、当然ながらエコノミーでの「ギリシャ10日間」。

 さて、朝4時、ドーハ着。

         

 白っぽい民族衣装に身を包んだ現地の人がいっぱい。
 中国人旅行者グループが記念写真に歓声。

 そうしてアテネ行きの便に乗り換え。

 数時間して眼下を見おろすと一面の青。
「あっ、これはエーゲ海や!」

 こうしてついにアテネへ。

         

 いやあ、初めてながらヨーロッパは遠い。
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ユーロ交換

2015年06月08日 | 
 恥ずかしながら、初めての外貨交換。

 ユーロに換えた。
 事前に聞いていたように紙幣だけ。
 ( なぜ硬貨はアカンのか? )

 ユーロ札というのは日本の紙幣に比べて一回り小さい。

        

 おもちゃの銀行券のように見える。

 しかし、手数料が高い。
 計算すると6%ほども。

 1000円や2000円ならまだしも10万、20万となるとビックリ。

 これをまた日本円に戻すとそこでも手数料!
 外貨交換というのは高いもんなんや・・・。

        

 そんなわけで、明日から初めての海外旅行。
 ブログをしばらくお休みします。

 それにしても運悪く、円安さなかの時期、ブツブツ・・・。
 
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有馬の湯

2015年04月26日 | 
 親族の結婚披露があり、有馬温泉へ。

 現地に着くと、さすが大きなホテルが並ぶ。
 道後温泉のように大きな温泉郷だ。

 有馬温泉はぼくには初めての温泉。

 あの茶濁した温泉、どんなだろう?と興味深々。

 実際、有馬温泉には大別して2種類の温泉があるようだ。

 「金泉」と呼ばれる含鉄塩化物泉(赤湯)と透明な「銀泉」。
 
 さて、この金泉に入る。

        

 泥のような色、しかしぬめり感はない。
 臭いもさほど感じない。
 
 塩分が多いのはその名のとおりだ。。

 ふーん、こんなものか。

 宿泊したホテルは有馬では新しい方らしい。
 
 帰りにフロントで「ここの源泉は何度ですか?」と尋ねた。

「ここは源泉からトラックで運び込み、加熱しておりますので・・・」と言う。

「はあ、それで大浴場は朝6時から夜12時までの時間制なんや」
 と納得。 

        
 
 ややがっかりの次第。
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香肌峡温泉にて

2015年02月26日 | 
 鳴海君の住む山里を出発し、予約しておいた香肌峡温泉に到着。
 森のホテル スメール。

 ここは「黄金の湯」といわれる茶濁した温泉。
 前から入ってみたかったが、源泉が24℃と低いのがひっかかっていたところ。

 さて、温泉。

     

 確かに茶色だが、よくみると泥濁りでなく、透けて見える。
 匂いはほとんどなく、肌ざわりも特に・・・。

 泉質は~塩化物冷泉という長い名前。

     

 湯の色以外に個性もなく、がっかりしてしまった。

 が、冬季1泊2食で8900円は安い。

 料理は少し落としているかも・・・と思ったがそんなことはない。
 これはよかった。

 翌朝、食後にホテルのまわりを散歩。

    

 山里の風景がなんともゆったりしていてこれは最高。
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旅行最終日

2015年02月04日 | 
 最終日の予定は安曇野ワイナリーとガラス細工工房の見学。

 見学とはいえ、買い物に連れて行かれるだけ。
 ツアーの泣き所。

 安曇野ワイナリー。

      

 ブドウ畑に囲まれた工場・店舗。
 観光客用にか、清潔な感じに仕上がっている。

 ワイン熟成場 

      

 この熟成用樽はすべてフランスからの輸入だそうだ。

 日本では調達できないのか?と尋ねると
「日本には材料の樫(オーク)が入手できません。材料だけ輸入して日本で組み立てると高くついてしまいますので・・・」とのこと。

 あとは退屈なコース。

 帰りにバスの窓から見た美しいカラマツ林。

      

「ちょっと、停まって」と言いたいが、ツアーの哀しさ。
 またたく間に過ぎてしまう。

 今回の旅行では食事にどこでもサーモンが出た。
 おしながきには「信州サーモン」とか「アルプスサーモン」などと書かれている。

 尋ねると、食用に養殖されたニジマスだとか。

 最近は富山のマス寿司にも使われているとか聞いたが、すごい勢いの感。 

 こうして塩尻からJRで帰路に。

 ともかく白骨温泉、よかった。
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