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稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

富岡製糸場を経て万座温泉へ

2016年04月27日 | 
 群馬県嬬恋村 万座温泉へのバスツアーに参加。

 新幹線岐阜羽島駅からバスで群馬県富岡市までの長い行程。

 まずは富岡製糸場。

 一昨年、世界遺産に登録されたとあって、混雑を予想したが平日ゆえか静穏。

 敷地内に入ると雰囲気は一変して明治の世界へ。

     
         ( 国宝 東置繭所 )

 ガイドの説明による生糸の歴史は興味深い。

 幕末開港の際、生糸が最大の輸出品であったこと、欧州での蚕の病気の蔓延などが日本の生糸づくりの発展に追い風となったこと、ところが粗製乱造による国際的悪評・・・。
 中国産の廉価な生糸の登場などよる1987年の操業停止までの長い道のり。

 関係者の苦闘の歴史はそのまま日本産業史の一断面だという気がする。

     
       ( 作業の実演展示 )

 ぼくにとってもっとも興味深かったのは明治5年の建物がそのまま残っていること。

 木骨レンガ造という建物。
 これは関東大震災をはじめとする地震にも耐え今日に至っている。

 そのカギはトラス工法とかいう木骨の組み立て方にあるそうだ。
 太い杉の柱、梁などは今後も長く使えるという。

     
        ( 国宝 東置繭所 2階の様子 )

 これは地震大国日本に適応した型式だったのかもしれない。

      
      ( 北東からみた繰糸所 電気がなかった時代、窓を大きくとっている )

 さて、ここから万座温泉へ。

 万座温泉は標高1800メートルという高いところにある。

 車窓から見る山々。
 「オッ、ヤマザクラがいっぱい。
  ああ、ここではまだコブシが咲いている。
  カラマツの新緑、なんときれいな色!」
 などと楽しんでいたが、上に登るにつれ、カラマツは裸のまま。

     

 ダケカンバ林も新緑には程遠い丸裸。
 それに道路沿いには残雪。

 こうして万座温泉に到着。
 バスを降りると硫黄のにおい、そうしてひんやり。

 早速温泉へ。

     
       ( 万座高原ホテル 石庭露天風呂 )

 ここは硫化水素泉。
 この前入った酸ヶ湯温泉にそっくり。

 源泉は70℃とあって、水を注いで冷やしているとか。

 このにおい、感触、これがたまらん。
 おススメ。
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黄金崎 不老不死温泉

2016年03月03日 | 
 秘湯ツアーの最後は黄金崎不老不死温泉(西津軽郡深浦町)。

 バスで日本海沿いを南下。
 さすがに青森県でも、海岸にくると雪はほとんどない。

 さて、不老不死温泉に到着。
 旅館は1軒だけ。

 ここは海岸につくられた露天風呂が売り。

 この露天風呂に入るには、旅館を出て、磯に出なければならない。

        

 この磯にコンクリートを打ってつくった浴槽、そこにすだれで目隠し。

 波の高いときは露天風呂が波に包まれ、入浴不能になるそうだ。

        

 湯は赤茶けており、有馬の湯を思わせる。

 湧き出る湯は無色透明だが、出たとたんに赤茶けるそうだ。

        

 見てみると、確かに湯の出るところは無色透明。

 かなり塩分が高いという。

 たわむれに、熱いのをがまんして両手に受けて飲んでみる。
 塩辛いことこのうえない。

 海水浴をしたあとは体中がベトつく。
 ところがこの温泉に入ってもベトつかない。

 これはどうしてなのだろう。

 そんなことを考えながらひとり湯に入る。
 ここは混浴、おばちゃんが入ってきた。
 夫婦連れも。

 まずまず・・・かな。

 ナトリウム 塩化物泉 49℃

 ともかく、こうして秘湯ツアーは終了。

 今回の旅、やはり古い湯治場の雰囲気を残した酸ヶ湯が一番!
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あこがれの酸ヶ湯に

2016年03月02日 | 
 東北名湯ツアーの二つ目は酸ヶ湯(青森市)

 八甲田山系のふもと、標高900メートルにある温泉。

 強い酸性が特徴的。
 さらに男女混浴でも名高い。

 旅館のホーム・ページにある写真。

        
        ( 酸ヶ湯温泉旅館のホーム・ページから借用 ) 

 一応、男女の線引きはあるという。

 が、この写真をみると、目のやり場がないのでは?
 こちらも恥ずかしいのでは・・・などとやや心配。 

 さて、酸ヶ湯の玄関。

        

 ここも豪雪地帯。

 入口に「混浴を守る会 三ケ条」

「男性入浴者は女性入浴者を好奇の目で見るべからず。
 女性入浴者は男性入浴者を・・・(同文)・・・」とある。

        

 「好奇の目」なる言葉に思わずふきだしそう。

 玄関扉を開けると強烈な硫黄の臭い。
 ンーッ、これはエエ!

 さっそく、ここの名物「ヒバ千人風呂」へ。

        

 残念ながら撮影禁止。

 ところが、中に入ると撮影どころか、モウモウたる湯煙り。

       

 湯につかると強烈な硫黄の臭い。

 これはたまらん!
 これぞ温泉中の温泉!

 向こうを見ると、首まで湯につかった人。

 湯気でわかりにくいが、あの人、男では?
 あそこは女エリアではないのか?

 しばらくして、その人がイソイソとこちらに。
 ぼくに「ウッカリして女のところへ入ってしまってました」
 やはり男だった。

 次いで、もう一人がそのあたりで歩いている。
 またしても?と目をこらすとシルエットにたらちね。

 あわてて目を離してしまった。

 奥の方では、同じツアーで大阪からきた6人組のおばちゃんたちらしき元気な声。
 「ワーッ、キャーッ」
 「ガハハ」
 など、70代とは思えぬはしゃぎぶり。 

 こうみると、ホーム・ページの写真は夏など、湯気を窓から抜いた季節のものか?

         

 外に出ると、葉を落とした広葉樹の森。
 ここはブナが多いそうだ。

 酸性硫化水素泉 48℃~64℃

 酸ヶ湯をあとに、バスは雪深い広葉樹林帯の道を下っていった。

 いやあ、念願がかなった。
 いい温泉だった。
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ランプの宿 青荷温泉に来てみたが

2016年03月01日 | 
 東北秘湯めぐりツアーに参加。

 先ずは青森県黒石市の山中にある青荷温泉へ。
 ここはランプの宿として有名なところ。

 三沢空港から大型バス。
 道の駅 虹の湖でマイクロバスに乗り換え、雷(いかずち)山の峠道を約6キロ。

              

 踏み固められた雪道を下りきったところにその青荷温泉はあった。

       

 この温泉、電気がなく、明かりはランプのみ。
 携帯の電波も届かないという温泉。

 チェック・インしてからすぐ宿のまわりを探訪。    

 改めて宿の玄関をみるとすごい雪。

      

 ここは相当の豪雪地帯のようだ。

 宿の裏手に回ると渓谷。

       

 両岸に雪が積もり、実際の川幅はどんなものかよくわからない。
 水かさはそれほどない。

 宿に戻り、この渓流の釣りについて聞いてみることにした。

       

 フロント、いやこの宿で呼ぶ「帳場」に向かう。
 
 帳場のおじさんは電話中。 
 その電話が終わるのを待って尋ねてみた。

 「ここでは何か魚が釣れるんでしょうか?」
 「ええ、イワナが釣れます、このくらいのが」
 と答えておじさんが両手を広げると30cm近い!!

 ホンマかいなと半信半疑で「水かさはどんなもんでしょう?」
 「ええ、今は一年中で水のいちばん少ないときです。
  4月の雪解けの頃からどんどん増えてきます。」

      

 「入漁券などはどうなっているんですか?」
 「ここは漁協もありませんし、放流もありません。
  だから、よそが禁漁になったらよく釣りに来られますよ。」
 
 忙しい仕事時間帯だったが、ていねいにいろいろ教えてくれた。
 
 さて、部屋に戻った。
 もう夕闇が迫っている。

      

 部屋の明かりはランプひとつ。
 暖房は石油ストーブがひとつ。

 なんという暗さ。
 『しもた、明るいうちにふとんを敷いといたらよかった。』(ここはセルフ)

 夫婦で暗い中をドタバタ。
 ランプは言うならば豆球程度の明るさしかない。

「暗ければ部屋に置かれた懐中電灯を使ってください」とのことだった。

 さて、夕食。
 宿泊客全員、ざっと50人ほどが大広間へ。

      

 この写真では比較的明るくみえるが、実際は違う。
 暗くて料理がよくわからない。

 とくに黒っぽいものは食べてみて初めて何かがわかる。
 ある者は部屋から持参した懐中電灯で照らし、「あっ、これキノコや」
 という具合。

 さて、そのあと温泉に。

    

 ランプがふたつ。

 どこが湯船なのか?
 手さぐりならぬ足探りで・・・。

 『ここから入るのか・・・』
 しかし深さがわからない・・・という具合。

      
         (翌朝写した露天湯)

 単純泉で45℃~60℃とある。
 無色無臭で肌の感覚もどうということはない。

 温泉から上がると、テレビもなく、新聞なども読めず、寒いので寝るしかない。

 ところが、狭い6畳の客室。
 ここでのランプと石油ストーブ、くさいことこのうえない。
 が、寒いのでストーブを消すわけにはいかない。

 この臭いで喉や鼻がおかしくなり、なかなか熟睡できない。
 そのうえ、時々「ガリガリ、ドカーン」という音。

 屋根の凍った雪が窓の下に落ちるのだ。

     
         ( 客室の窓からみたひさし )

 こうして寝不足の一夜。 

 朝になって気づいたのだが、消防用設備の誘導灯、押しボタンがあるではないか!

     

『これって電源は?』

 従業員のひとりに尋ねると
「はい、最低限の電気はきています。消防関係の設備は法律上やむをえませんので。」

 そういうことか、やっぱり電気はきているんやと納得。

 こうして朝食のあと、再びマイクロ・バスに乗り込み、宿をあとに。

 うーん、イワナにはあこがれる。
 それに従業員の親切さ、素朴で暖かい応対もとてもいい。

 けど、せめて明かりだけは電気でお願いしたいね。
 こう暗いとだんだん気分が滅入ってくる。

 それに石油ストーブはなんとかならないか・・・。

 とはいえ、そうするとこの宿の「売り」がなくなるか・・・。



 
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冬の信州 二日目

2016年01月18日 | 
 朝、諏訪湖をながめる。
 琵琶湖を見慣れたぼくには、いかにもこぢんまりという感じだ。

 冷えこみで氷でも張っているのかと思ったが、まったく。

      

 地元の人に尋ねると
「今年は暖冬でだめですね。
 御神渡りは一日や二日の冷え込みではできません。
 十二月から冷え込みがずっと続かないと・・・」

 ほう、冷気の蓄積ともいうべきものが必要なのか?

「去年はどうでしたか?」
「去年もできませんでした。」

 御神渡り、温暖化でますます遠のきそうだ。

 さて、バスからJRの列車に乗り換え、中央アルプスや南アルプスを眺める。

      

 真っ青な空に白い峰々が映える。
 それにしても遠くの山々以外はまったく雪がない。

 続いて天竜舟下り。
 乗船前に救命胴衣の付け方講習。

 何年か前の転覆事故でしっかりやっているのかと思ったが違った。
 舟下りは、ここ飯田市域と下流の浜松市域に分かれているらしい。

 死者がでたあの事故は浜松市域だったとか。

 さて舟下り、意外に浅いところがほとんど。
 川底が真下に見える。

      

 終わってみれば「こんなものか」という感じ。

 みやげもの屋や食事に立ち寄るたびに気づいたが、ほとんどほかのバスがない。

     

 このシーズンは観光の空白期にあたるそうだ。
 添乗員の説明では「国の地域住民生活等緊急支援のための交付金」を活用して、一人あたり5000円が助成されているという。
 というと、ぼくらは5000円割安の代金でツアーに参加したということ?

 なにやらバラマキくさい。
 喜んでいいのか、悲しんでいいのか、複雑。

 ともかくこうして、雪景色への期待は無残に裏切られ、帰途に。
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冬の信州

2016年01月17日 | 

 「美しき信州 五つの冬景色二日間」というバスツアーに参加。
 信州の雪景色を見たいと、京都八条口をバスで出発。

 午前中に古刹 光前寺に到着。

     
      ( 光前寺の本堂 )

 パンフレットには「雪化粧の名刹」とある。
 が、雪などどこにもない。

 それでも杉の巨木の奥にある山門、本堂、三重塔。
 860年の創建とされるが、このたたずまいはすばらしい。

     
      ( 三重塔 )

 いすれも1800年代に再建されたもので古色蒼然。

 さて、境内の一角にある延命水といわれる山水。
 ここにみんなが集まっている。

     

 その横には注意書きの看板。

     

 なにやら「知らんでえ」というニュアンスがおもしろい。

 いずれにせよ、この寺、ご利益のあるお札や小物を売るでもない。
 そのあっさり加減がすがすがしい。

 諏訪湖を経て旅館へ。

 上諏訪温泉というそうだが、ぼくは初めてだ。
 諏訪湖の東岸に旅館、ホテルがズラリと並ぶ。

 温泉に入る。

       

 床はタイルなどではなく、たたみ(風)。
 この旅館では、すべって転ばないようそうしているらしい。

 肌にはぬめり感。
 とても感触はいい。

 表示には源泉60.5℃、弱アルカリ、単純泉とある。

 温泉の臭いのないのは少々ものたりないが、なかなかのもの。

 明日は天竜川へ。
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海外旅行余話 英会話

2015年07月01日 | 
 「動物農場」での挫折
 学生時代、ジョージ・オーウェルの「動物農場(Animal Farm)」を読みたいと英語版を買ったことがある。
 ところが1日目で挫折。
 会話がさっぱりわからない。
 
 「会話というのはむずかしいもんや」とそれ以来敬遠。

 英会話挑戦
 先日のギリシャ旅行。
 ギリシャでは英会話が通じると聞き、4月から英会話を開始。

 NHKの週4回、各10分の講座「おとなの基礎英語」。

        

 英会話なるもの、ぼくは習ったことがない。
 知識といえば、昔の英語の授業でならった教科書に含まれていたものだけ。

 この講座、海外旅行のいろいろな場面を想定して構成している。
 なかなか実践的なことに感心。

 けれどもその英会話、ぼくには縁のうすいものがほとんどだ。

 慣用句に満ちた英会話 
 例えば、ホテルのフロントで「チェック・インしたい」と頼むとき。

        

 I'd like to check in.

ぼくの英語感覚では、○○したいというときは Want to~なのだが・・・。

 それにI'd=I would。
 Would like toで○○したい、それが慣用句であることはわかった。
 けれども、wouldはwillの過去形。

 そもそもなんで過去形なのか?
 「説明がつかんやないか!」

 という具合に、いちいち疑問がわいてくる。

 人にものを頼むときのCould you~も同じ。

 が、考えてみればぼくの習った英語は「説明のつく」それだったのかもしれない。

 ならば、ぼくの習ってきた英語は会話よりも「読み」が主体だったのか?

        

 国際語としての英語
 今回のギリシャ旅行。
 ホテルもレストランもクルーズ船内もやりとりは英語だった。

 ギリシャ国内の看板は、もちろんギリシャ語が主ながら、英語もそれに並んでいた。

 英語は国際語だと聞く。
 今回の旅行ではその一端をまざまざと見せられた思いだ。

 英会話、もう少しやってみるか、と思っている。

 理屈は考えず、とにかく固くなった頭をほぐさなければ・・・。
コメント (4)
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最終日 アテネ リカヴィトスの丘から

2015年06月26日 | 
 いよいよ最終日。
 メテオラからアテネへ350キロを走る。

 ギリシャの観光バス
 ギリシャの観光バスは日本のそれより座席数が少ない。
 体の大きい欧米人向けに座席の前後の間を広くとっているようだ。

 乗降口は前後2カ所。
 これだと全員の乗り降りが早い。

        

 日本では、バスガイドが乗り降りに伴うバイクや自転車との接触事故などに注意する。
 その意味で2カ所からの乗降は安全管理上むずかしいのだろう。

 この国では自己責任のようだ。

 実際、この国では事故が起こったとき、シートベルトをしていなくて負傷すれば、乗客自身の責任とみなされるそうだ。

 外国全般ではそうなのかもしれない。

 トイレの扉
 途中のドライブインでトイレ休憩。

 ところがこのトイレ、男性用小便器がない。
 全部座るタイプの便器。

 困るのは扉がみな閉まっており、中の様子がわからないこと。
 日本のような「使用中」の表示がないのだ。

        

 同行の一人のおじさん、扉の下をのぞきこんで確かめてるよ(写真左)。

 いやはや、トイレというのはお国柄が出るものだ。

 レストラン
 アテネに戻り、プラカ地区で昼食。
 観光客でごった返す活気のある一角。

        

 ギリシャで気づくのは、レストランやカフェなどはどこでも道路を占拠。
 京都市なら市の建設局あたりがすぐ行政指導にやってくるところだ。
 が、ここでは公認されているように見える。

        
         ( 地方のレストランの一例 ここでも階段状の坂道を占拠 )

 この日頼んだのはポーク料理。
 野菜を切って並べた前菜に続いてメイン・ディッシュ。

        

 敷き詰めたポテト・フライの上にポークがドンッ。

 あとはデザートのフルーツ。

 食事はどこでもシンプルで品数が少ない。
 味はみんなコッテリと濃い。

 うまい・まずい以前に、こんなものを食べ続けていると体を悪くするのではという懸念。

 そういえば、バスの運転手もミニ小錦のような人だった。

 リカヴィトスの丘にて
 アテネ市内、標高277メートルのリカヴィトスの丘へ。
 ここからアテネ市内が一望できる。

 パルテノン神殿もむこうに。

        

 ひとつ思ったのは、想像以上に乾いた痩せ地に見えるギリシャのこと。

 四大文明がみんな大河と肥沃な土地をもっていたのに比べ、この地は実に対照的。
 にもかかわらず、ここに古代ギリシャの文明を築きえたのはどうしてだろう?

 そんなことを思いながら、空港に向かう時間がきた。

 まだ見ていないものも数多くあるが、それもやむなし。

 さらば、古代ギリシャの残像たち。
 
         

                                 ギリシャ旅行 おわり
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メテオラにて

2015年06月25日 | 
 8日目の朝、バスでデルフィからメテオラに向け250キロの走行。

 メテオラ
 メテオラというところ、奇岩の上に修道院があるという。

 メテオラの街に入ると、その奇岩が見えてきた。

        

 なんとも異様な光景だ。

 10世紀ごろ、修道僧が岩によじのぼり、岩のすきまで修業を始めたのが最初らしい。

 その後、資材が運び込まれ、鎖やロープでよじ登るように。
 さらにその後は階段も整備されて今に至っているそうな。

 ぼくらは今6カ所残っている修道院のひとつを訪問。

 この岩山をまじかに見ると砂岩のようだ。

        

 細かい砂や砂利が押し固めらている。
 海底から隆起し、その後風雨で浸食されたのかもしれない。

 「よう、まあこんなところで」と感心するばかり。

        

 ギリシャの川
 ヨーロッパはフライ・フィッシングが盛んなところ。
 ギリシャもその例にはもれないだろうと思いこんでいた。

 ところが、旅行してすぐ気付いたのはこの国では川らしい川を見ないこと。
 道中で初めて目にして車窓から撮影したのがこれ。

        

 ところが、このメテオラではるか向こうに白い一筋を発見!

        

 ほとんど枯れた川だが、砂地の真ん中に水らしきものが細く見える。
 大井川のような様相だ。

 今は雨の少ない季節だからこうなのか。

 いずれにしても渓流釣りなどは望めそうにない。

 ギリシャ語
 夕刻、奇岩の見えるホテルに投宿。

        

 こじんまりしたホテル。
 ぼくらはプールに入って楽しいひととき。

 さて、ぼくはこの旅行を申し込んでからギリシャ語をかじった。
 せめて看板や標識くらいは読めるように・・・と。

        

 ところがギリシャ語の発音には約束ごとが多い。
 母音Iでも五通り近くもある。

 これはあかんとあきらめ、カタコトのギリシャ語をメモするだけにした。

 案内書によると、ギリシャ人はギリシャ語は世界一むずかしいと信じているという。
 だから、ギリシャ語を覚えようとする者には親近感を持つと。

 観光客が普通、英語のあいさつをするところ、ぼくはギリシャ語で通した。
 
 カリメーラ(おはようございます)、ヤーサス(こんにちは)。

 覚えにくいのはエフカリストー(ありがとう)。
 が、これを言うと、ギリシャ人はニコリとし、パラカロー(どういたしまして)と返してくれる。
 これが楽しい。

 アクセントや抑揚についてはわからない。
 それを尋ねると、喜んで教えてくれる。

 次いで従業員から「Welcome」は日本語でどういうのかという質問。
 「いらっしゃいませ」と答えると「・・・」。
 むずかしいらしい。

 で、「ようこそ」と教えると、「ヨーコソ」。
 「ネー(Yes)」

 この従業員、それからあちこちのテーブルで「ヨーコソ」。

 異国の言葉を異国の人と交え合うのは実におもしろい。

         
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ピレウス港からデルフィへ

2015年06月24日 | 
 早朝、アテネのピレウスに帰港。

 行方不明になっていた爺さんは無事発見され、護送。
 ここで合流。

 ぼくらは再びバスに乗り北上。

 ギリシャの落書き
 アテネ市内の道路端は落書きだらけ。

        

 ガイドの話では、最近かなり深刻なのだという。

 確かにアテネ市内でも空き家、空きビルはほとんど落書きされていた。

        

 この種の落書き、日本でもよく見かけるが、とにかくその数がすごい。

 初めて畑を目にする
 さて、アテネ郊外を走ってぼくは初めて畑を見た。
 スプリンクラーが勢いよく水をまいている。

        

 これまでの光景から、ぼくはギリシャの農業はオリーブ栽培だけ?と思っていたくらいだった。
 ここにきて初めて麦やトウモロコシ畑を目にすることになった。

 谷間のながめ 
 オシオスルカス修道院(世界遺産)に到着。

        

 ぼくには修道院よりも、ここから見下ろす谷間の村の姿に関心。

        

 乾いた風景ながら、糸杉があちこちに見えるのがいかにも異国らしく感じられるからだ。
 糸杉はギリシャのどこにでも見られる。

        

 ゴッホの絵にもよく描かれている糸杉。
 地中海沿岸ではどこにでもあるのかも知れない。

 デルフィ遺跡
 続いてデルフィの遺跡に到着。

        
        ( アポロン神殿 )

 ここは古代ギリシャの各都市国家が神の託宣を求めた聖地という。

 いわば、古代ギリシャでそれぞれ独立した都市国家の統合の象徴だったのだろう。

 ぼくは遺跡の最上部に登り、円形劇場の上から見おろしてみた。

 この乾いた岩山によくぞ・・・と感嘆。

        

 いやあ、とにかく暑い!

 みんなで日陰へ。
 ところが日陰で乾いた風に吹かれると、これが涼しい。

 ここが日本と違うところなのか。

 遺跡を出ると、初めてジュースの自販機を見る。
 が「SOLD OUT]とテープが張られていた。

 いや、長く使われていないようだ。
 ぼくはギリシャで結局1台も自販機を見ることはなかった。

 日本が特異なのか?

 昼食
 この近くのレストランで昼食となった。

 めずらしく、天井や梁に木が使われている。

        

 東京に住んでいたことのあるギリシャ人ガイドの話
 「ギリシャ人を日本に連れた行ったら木造建物をうらやましがるでしょう。
  なにしろギリシャでは木材は高くて簡単には使えないのです。」
 
 ホテルの浴槽
 こうしてぼくらはデルフィのホテルに投宿。

 旅行会社の出発前のことわり書きでは
 「ギリシャではシャワーのみとなるホテルになるかもしれません。
  ご了解願います」と。

 が、クルーズ船を除き、すべてのホテルに浴槽があったのは助かった。

        

 でも、ガイドの注意事項。
 「使った湯を流すときは全開にしないでください。
  場合によっては湯が床や他の場所にあふれるおそれがあります。半開で・・・」

 うーん、なかなか大変なところやなあ。
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