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稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

奈良井宿から扉温泉へ

2015年02月03日 | 
 白骨温泉から中山道 奈良井宿に入る。

 一昨年、福島の大内宿を歩いたが、あまり風情はなかった。
 茅葺家屋が並ぶものの、中身は観光客目当ての店舗が多かったからだ。

 ここも同じかと期待してはいなかったが、違っていた。

   

 大内宿がきらびやかであるのに反し、ここは昔の雰囲気をよく残している。
 いや、雪が積もり、人が少ないことも影響しているのかもしれないが。

   

 みやげもの店の多くは閉まっていた。
 案内所で話を聞くと「今は寒いので休業が多いんです」とのこと。

 煙草屋を表からのぞくと、きせるなどが置いてある。
 子どもの頃にみたタバコ、「光」や「いこい」、「ゴールデンバット」それに缶ピース。

     

 父から小銭を渡され、買いに行かされたことを思い出す。

 この宿場の雰囲気、とても気に入った。

 このあと、松本城を経て扉温泉(明神館)へ。

    

 山の中の秘湯とされ、人気のある温泉らしい。

 客室は広く、豪華な造りとなっている。

 客室に設けられた大窓から森と渓流が見える。

    

 シーズン中ならば旅館が2000円で釣り道具を貸してくれて、イワナが釣れるそうだ。

 温泉は単純炭酸泉。
 立ち湯、寝湯など豪勢な造りながら、温泉自体は無色無臭でおもしろみはない。

    

 細かい雪がこやみなく降り続く。
 ここも寒いところだ。
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白川郷から白骨温泉へ

2015年02月02日 | 
 白川郷

 大牧温泉を出て岐阜県白川村 白川郷へ。

 バスを降りて庄川を渡る。

    

 川は緑色で水量も多く、大物がひそんでいそうな雰囲気。

    

 川底の石がすけてみえる。
 思わず長竿でミノーを泳がせてみたい!と思ってしまう。

 さて、白川郷。

 写真や映像で見た風景を初めて眼前にする。
 頑丈で重量感のある家並。

     

 合掌造りの一軒におじゃました。

 中ではいろりに火が入っている。
 煙突はなく、くべられたマキの煙が家中に漂う。
 この煙が虫除けになって家を守るのだという。

     

 天井を見上げるとアカマツの大木を使ったはり。
 その重厚さに圧倒されてしまう。

 2階に上がって古民具を見せていただいた。

 ぼくがいちばん気に入ったのはこれ。

     

 ネコが入る「ネコつぶら」。

 いろりを焚いても寒い山国。
 ネコはこの中に敷かれたワラの上で寝たそうだ。

 それにしても寒い。
 昔はいっぱい着込んでの暮らしだったのだろうか。
 

 このあと、高台に移動。

 白川郷全景が見える。

     

 庄川の力強い流れ。
 広葉樹を主にした自然林の山々。
 その恵みを受けながらの暮らし。

 日本の原風景というのはこういうものをさすのだろう。
 まさに絶景。

 白骨温泉

 白濁した温泉として名高い白骨温泉。
 かなり以前、この温泉に憧れ、何度か予約を試みたがいつも満室だった。

 その後、2004年の入浴剤事件でがっかり。
 憧れは萎えてしまっていた。
 そういうわけで、今回初めての訪問。

 バスは狭い山道を通って白骨温泉(松本市安曇)に着いた。

 バスを降りるとあたりには温泉の香り。
 ここは硫化水素泉なのだ。

 この香りがたまらない。

 それにしても刺すような冷え込み。

   

 宿泊する斉藤旅館玄関付近 軒下からの風景。

 あちこちの屋根には雪。
 積もり積もって何層にもなっている。

 早速浴場へ。

 浴槽のふちには白い模様。
 と思ったら炭酸カルシウムが固着したもの。



 湯温は40度、ゆったり体をのばせる。

 これはまさに名湯。
 
 やっぱり来てよかった!と心ゆくまで満喫。

 イワナ

 なお、夕食にはイワナの塩焼き。

 若い従業員にこのあたりの釣りについて尋ねると
「ここはイワナもいません。標高1500近くあり、水が冷たすぎるんです」
 とのこと。

 そんなに寒いのか、と驚き。
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大牧温泉

2015年02月01日 | 
 冬の温泉ツアーに参加。

 初日は富山 庄川沿いにある大牧温泉。

 関西電力の発電所がある小牧ダムに到着。

     
          

 ガイドの話では、ダムができたとき、日本初のエレベーター式魚道が併設されたという。
『それはぜひ見てみたい』
 と思ったが、過去の洪水で損壊。
 今はそのままになっているという。
 がっかり。

 大牧温泉は船でしか行けないところにある。

 そんな不便なところにわざわざ?
 と思ったが、そうではないらしい。

 小牧ダムを建設したとき、道路が水没。
 比較的高い位置にあった大牧温泉が残り、今日に至っているそうだ。

 さて、遊覧船で約30分。
 めざす大牧温泉に到着。

        
           (じゃらんから借用)

 水上に浮かぶかのような温泉。

 玄関から客室に案内される。

 廊下には高橋英樹、水野なんとかなど、俳優の写真がずらり。

     
         ( 廊下に貼りだされた写真の一部 )

 ここは船でしか行けないという立地条件から「殺人事件」ドラマなどによく使われるとか。
 人気の高さもそのあたりに関係しているらしい。

 さて、温泉に入る。
 温泉らしい香りに包まれたなかなかの雰囲気。

 浴衣を脱ぎながら、上がってくる同じツアーの客に尋ねる。
「温泉はどうですか?」
「いやあ、よろしいけど熱うて・・・」

 ぼくは熱い湯が大の苦手。

 温泉に入るとホントに熱い。
「ウッ」と体に力が入る。
 なかなか力が抜けない。
 首まで入るのにかなりの時間。

「これはアカン」と露天風呂に移動。

     

 ところがこちらも大差なし。

 散歩に出るとき、フロントに立ち寄って
「いい温泉ですけど、ちょっと熱いですねえ」
「ここは源泉が60度ほどもありますので、それは・・・」
 と一顧だにしない様子。

 あきらめた。

 旅館の船着き場で働くおじさんと雑談。
「ここは魚はウグイくらしか釣れんよ。イワナなんぞは・・・。
 ウグイなら部屋からでも釣れるよ」と笑う。

        

 いまひとつの温泉。

 夜のニュースでドイツの元大統領 ワイツゼッカーさんの訃報。
「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」の名言。
 日本でもこんな首相が出てほしいね。
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黒部峡谷にて

2014年11月16日 | 
 ホテルを出て、黒部峡谷鉄道 宇奈月駅へ。

      

 ここは標高200メートルあまり。
 小雨も降り、寒い。

 トロッコ電車。

      

 ぼくらは吹きさらしの電車に乗る。

 さて出発。

 黒部川、当初の予想と違って浅い。
 砂利、砕石が多く、車窓から見るかぎり大淵などはない。

 川の両岸は険しいV字谷の連続。
 さすがに人工林はほとんどなく、天然林ばかり。
 ここでは紅葉はすでに末期の感。

      

 約1時間で鐘釣駅に到着。

 ここで万年雪や河原に湧く温泉を見物。

      

 このあたりまでくると、川幅はせまく、変化に富み始める。

 漁協の看板がある。

      

 甘酒売りのおばさんが教えてくれる。
「看板には書いていますけど、ヤマメはいません。イワナだけです。
 ヤマメには水が冷たすぎるんです」とのこと。

 黒部川、奥はまだまだ深い。

 いつか来てみたいもの。

 帰りは再び吹きさらしの電車、乗客はみんな寒さでぶるぶる。

 遠くに望む山頂はもう白い。



 地図を広げてみると、黒部川の河口は富山湾に突き出ている。

 宇奈月温泉一帯から海側にかけての丘陵と平地。
 放射状に広がる道路。
 これは黒部川が気の遠くなるような歳月をかけてつくりあげた巨大な扇状地なのでは?

 そうだとすれば、この川、壮大なスケールだという気がしてくる。

 帰路の列車内でそんなことを考えた。
 
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宇奈月温泉

2014年11月15日 | 
 前から一度行ってみたいと思っていた富山の宇奈月温泉。

 やっと念願がかなった。

 ホテルに着いてすぐ近くの黒部川へ。

 橋からの眺め。

        

 紅葉はもう後半という感じ。

 V字谷の斜面は黄色、茶色に染まっている。

 川の色は淡い緑。
 これが黒部川の色なのだろう。

 ただ。ここから見下ろすかぎりでは変化に乏しい。

 日は間もなく暮れた。

 さて温泉。

        

 源泉は92~98℃で豊富な湧出量だそうな。 
 24時間入れるというのもそういうことか。

 一帯が大きな温泉街になっているのも納得。
 
 ただ、無色無臭で肌触りもあまり特徴はない。  

 その点では期待外れ。

 明日はトロッコ電車で黒部川をさかのぼる。
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五島列島 福江島

2014年04月06日 | 
 長崎の五島列島。

 ここは長崎市から西約100キロに位置する。

 過去には五島氏が治めていたとされる。
 今も残る石田城の石垣。

 けれども、このさいはての島にあっては戦国時代も平穏だったのでは・・・とさえ思えてならない。
 とにかく本土からは遠いのだ。

 島のいろいろな観光地をめぐったが、ぼくにはあまり心の動くものはなかった。

     

 ただ、この島には教会が多い。
 というより、天草、長崎はじめ、それは西海一帯の特色だといえるだろう。

     

 バスガイドに尋ねると、その元はやはり西欧の宣教師たちの布教活動によるようだ。

 ただ、秀吉の時代に始まったキリシタン弾圧。
 それ以降、キリスト教徒たちは、いわゆる「隠れキリシタン」となって、うわべは仏教徒を装いつつ、その信仰を守りとおしたとのこと。

 ということは、徳川時代の長い間、彼らはひそかにキリスト教を伝えていったわけだ。

 現存する教会が建設されたのは明治以降。
 宣教師、神父といった職業的宗教家が不在のまま、信仰を伝えぬいたということは驚異というほかない。

     
      (オオタニワタリに囲まれたマリア像)

 おそらく日本的変容も遂げながらではあったろうが、その真摯な臨み方には感心せざるをえない

 さらには、死の危険を冒してまでもその信仰を貫いた人々にとって、その源には何があったのだろうという尽きない疑問も改めて湧く。

     

 そんな思いを胸に帰路に着いた次第だ。

 
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軍艦島にて

2014年04月05日 | 
 長崎港から軍艦島を目指す。

  軍艦島、正式名 端島。

 明治から昭和49年の閉山まで石炭が採掘されたところ。
 最盛期には5000人を超える人がいたという島。

 行く先に島影。

     

 船内がざわつく。
 あれが軍艦島か。

 護岸が目の前に現れる。

     

 そして上陸。

     

 なんとも異様な光景だ。

 向こうに労働者住宅。
 左上には幹部社宅。

    

 レンガ造りの建物は事務所など中枢部。
 そのあたりから立て坑があり、地下深くもぐったそうだ。

 上には給水施設の残骸。

 島の西側へ回る。

    

 労働者住宅。
 鉄筋が赤く錆び、むき出しになっている。

 その昔、この島には、小中学校、寺、神社、映画館、パチンコ屋、市場等々があったそうだ。
 いわばひとつの共同体が閉山を境にして、廃墟になったということがとても不思議に思える。

 ここで生まれ育った子どもたちは、この故郷の姿をみてどう思うだろう。


 島は風と波で、年々風化が進んでいる。

     

 この島を世界遺産に登録すべく、その取り組みが始まっているそうだ。

 けれども、石炭の本格的な採掘が始まったのは明治期。
 おそらく過酷な労働・生活条件であったろう。

 エンゲルスの名著「イギリスにおける労働者階級の状態」に酷似していたのではなかったか、とも想像される。
 よく紹介される、島での「三種の神器」がいち早くそろった生活。
 これらはもっとあと、戦後のことであったはずだ。

 さらに、遺産登録には、韓国、中国がそれに反対しているらしい。 

 ここには、戦争中の労働力不足を補うべく、連れてこられた中国や朝鮮の方々がたくさん働かされていたらしい。

 過酷な条件に耐えられず、島からの脱出を試みた者はそのほとんどが溺死したと聞く。

 世界遺産登録をするなら、そんな負の歴史も併せて記録すべきではなかろうか。


  さて、軍艦島を離れる。
 
 船から海を見下ろすと、透き通った海だ。

     
 
 かつて島の子どもたちが飛び込んでいた海もおそらくこんなだったろう。

 再び長崎港へ。

 グラバー園を訪れる。

 ここではもうモミジが青葉をそろえている。

     

 実に早い。

 そこから一路、船で西へ。

 五島列島の福江港に到着。

 明日は福江島をめぐる。
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天草から長崎へ

2014年04月04日 | 
 妙見ヶ浦

 ホテルを出て、大江天主堂を経て妙見ヶ浦へ。

 
     

 ソメイヨシノが咲き始めている、と思ったら「もう散っているんですよ」と。
 なるほど木の下には花びらがいっぱい。
 やはりここは南国。

 イルカウォッチング

 口之津港から船でイルカ見物に。

 いるいる。

     

 イルカはじゃれつくように船の周りを泳ぎ回ると聞いたが、違っていた。

 船長がイルカの群れを目指して舵を切ると、イルカはすぐ潜ってしまう。
 どうやらイルカは迷惑しているようだ。

 船長の話では、この海域でイルカを見ることができる確率は98%。
 イルカは季節を問わず泳ぎ回っているらしい。

 アワビの昼食

 昼食には焼きアワビがついている。
 
 焼かれるアワビはもだえる。

     

 そこへ店のおばさんがあわてて走ってきた。
「あのう、そのまま召し上がっていただくんですが、貝がらだけは外してくださいね。
 先日、そのまま召し上がってくださいと言ったら、貝がらがついたまま食べようとしたお客様がおられてびっくりしたんですよ」
 一同爆笑。

 原城跡

 天草から島原半島に渡る。
 車窓から原城跡が見える。

     

 写真の左から海につきだした小高い丘、そこに城(砦)があったらしい。
 天草四郎ら反乱軍3万7千人は、海を背にして戦ったという。
 が、海からはオランダ船の砲撃、正面からは数倍の幕府軍により敗北したと。

 原城跡に立ち寄れなかったことは残念というほかない。

 島原城

 島原城に到着。
 鉄筋コンクリートによる復元ながら、堂々たる城だ。
 日本の名城百選のひとつだという。
 もっともだ。

      

 しかし、元はといえば、島原の乱はこの城を築くための重税に端を発したらしい。

 ならば、島原城と原城跡は併せてひとつの史跡といえるだろう。

 それにしてもこの反乱、農民とキリシタンがどう合流していったのだろう。
 興味は尽きない。

 長崎

 宿泊地、長崎市内に入る。
 ぼくには修学旅行以来の長崎だ。

 「坂の長崎」というが、ホテルの窓からの眺めは確かにそうだ。

     

 すり鉢状と言われるのはこういうことか。

 春日八郎の歌にあった「オランダ坂・・・」というのは・・・などと昔の記憶がよみがえる。

 これも歳のせいか。

 明日は念願の軍艦島。
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天草にて

2014年04月03日 | 
 西海方面をめぐるツアーに参加。

 伊丹空港から熊本空港、さらにそこから天草空港へ。

 この飛行機、双発のプロペラ機で小さい。
 定員は40人ほどだという。

     

 おもちゃみたいだが大丈夫か?

 と思ったが、無事天草空港に着陸。

 バスで本渡城跡にある天草殉教公園へ。

 ここには天草四郎像がある。

     

 四郎は島原の乱の総大将をつとめたとされる。
 が、四郎はこのときわずか十六歳だったとか。

 実際に反乱の指揮をとったのは庄屋などだったそうだ。

 四郎は絶世の美少年だったと伝えられる。
 そういう美貌ゆえに象徴として担ぎ上げられたのかもしれない。

 それにしても島原の乱。
 テレビや映画などではあまり題材とされないのはなぜなのだろう。

 宗教がからんでむずかしいのか。
  
 日本史上最大の一揆だっという規模からすれば、描きごたえがありそうなのだが。



 さて、夜は本渡温泉で宿泊。

    

 ここの温泉、37℃で加熱、無色無臭ながら、肌ざわりがいい。
 ぬめり感のある弱アルカリ性の単純温泉。

 ツアー一同満足。
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富士を見る

2014年03月01日 | 
 久しぶりに富士を訪れる。

 かつて富士五湖をめぐったのはもう二十年近く前。

 新幹線では何度か見たが、やはり回り込まなければ。

 ところが、天候はいまひとつ。

 氷結した山中湖、富士は霧の中。

 河口湖に至ってやっと晴れてきた。

     

 やっぱり富士はすごい。
 これまで幾たびも思った。
 その思いは今回も変わらない。

 道中、除雪が進んでいるとは聞くが、雪は多い。

     

 地元の話では百年ぶりの雪だったとか。

 富士の北西にある朝霧高原。
 ここでやっと富士がその全容を見せてくれた。



 富士の良さは、それが何よりも独立峰であることだそうだ。

 なるほど、連なった山々ではこうは見えない。

 さほどの標高がなくとも、青森の岩木山、鹿児島の開聞岳など、独立峰がもつすがすがしさは共通だ。

 それと重なるが、中でも富士の良さはやはりその大きさだろう。
 裾野から山頂に至るその重量感。
 ふだん富士を見慣れぬぼくらはその都度圧倒される。

 見るたびに新しい所以だ。

 もっとも富士は天候次第。
 今回は後半になってやっと見えた。
 ま、それでも幸運なのかもしれない。

 思い出したのは中学校の修学旅行。
 どこかの峠に立ち寄った際のガイドの説明。
「本来なら、この方向に見えるんですが・・・」

 あのときも厚い雲におおわれていた。

 今回も、夕刻には雲に包まれてしまった。
 
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