1957年の小山正明の投球ファームから、当時の彼の投球内容を勝手に推察したいと思います。先ずは球速ですが、小山正明の若い頃の球速は凄かったと多く語られている様に、確かに速かったと思います。それと同時に腰の捻りも大きくステップ幅も広く、球に体重が十分乗り後の彼より重い球質であった様に思えます。しかし私の知っている彼より腕の振りは大きいものの滑らかさには欠ける為、球の切れや伸びには後の彼と比較してやや欠けたのかなと思います。ではコントロールはどうだったのでしょうか、残念ながら数字上与四死球率だけの判断になりますが、その年250イニングで44の与四死球、与四死球率は1.58と非常に素晴らしいものです。又奪三振数は201で奪三振率は7.24と、与四死球が少なく、奪三振の非常に多い数字的には理想的な投手と言えるかと思います。しかし15勝17敗、防御率2.38というこの年の成績から、バックの援護力にもよりますが、後に語られる針の穴を通すとまで言われた本当の意味の制球力はなく、あくまでも推測ですが大事な場面での失投があったのかも知れません。入団の年、1試合に7個近く四死球を与え、その後数年間毎年三桁の数字を出し続けた後の400勝投手、金田正一よりその時点でもコントロールで優っていた事は間違いないかと思います。