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日米を問わず名選手を紹介。

快速球投手(5)

2010-02-27 21:31:26 | Weblog
このタイトルの最初の回でも書きましたが、勝利優先の為、球の速い投手の球速を抑えてまで、まとまりのある安定した投手を望む傾向はかなりあります。確かに球が滅法速くても、コントロールが悪かったり、決め球に乏しい投手はチームにとってはもう一つ歓迎できないのでしょう。しかしその一方、その投手の折角の才能を開花させる事なく終わっている例も多くあるかと思います。今年西武ライオンズに入団の雄星投手も、球速の向上を目指すよりも、チームの為に勝てる投手を目指したいと発言しています。この答えは多分模範的なのでしょうが、一ファンとしては、素人では想像もつかない、恐るべき快速球も見たいものなのです。ここからはその当時の投球を見た訳ではないので、勝手な推測で書きますが、プロ入り当時の快速球の球速をほぼそのまま、或いは向上させたかもしれませんが、コントロールに磨きをかけ、更に非常に武器と成る変化球を身につけた素晴らしい投手が一人いるかと思います。その投手は史上唯一であり、今後間違いなく破られないであろう400勝を挙げた金田正一です。入団当時の投球フォームを見る限り、かなり滅茶苦茶で制球難であった事も、容易に見当がつく程です。次回他の投手と比較しながら彼の素晴らしさに触れたく思います。

興津立雄(達雄)

2010-02-26 20:30:33 | Weblog
昭和34年から46年まで、広島カープ一筋に活躍した、主に三塁を守っていた選手です。34年に東都の長嶋という触れこみで、入団した選手です。確かに公称181cm,83kgと当時の選手としては、かなりの大型であり、体型的にも長嶋を一回り大きくした感じで、非常に期待感を抱かせる選手ではありました。打撃に関して、パワーはかなりありましたが矢張り体の柔軟性には欠けるのでしょうか、変化球にはかなり脆さを見せていたものでした。長距離打者の多くに見られる様に、懐の広い構えをしていましたが、十分に引き付ける事なくバットを出してしまい、凡打に終わるケースを度々見た記憶があります。彼の在籍当時非常に弱かった広島では、そのパワー、風貌からチームのスター選手となるべく、非常に期待されていたとは思いますが、安定した成績を残す事は出来ませんでした。しかし38年に、彼は打率5位の0.303,打点3位の93打点を挙げ、その後がもの凄く期待されたのですが、徐々に成績を下げていったものです。約4.5打数に1回の割合の三振と言う粗さが、彼の成長を阻んだと思わざるを得ないものです。


通算成績   1227試合   998安打    0.258   145本塁打   495打点

米田哲也(19)

2010-02-25 20:23:41 | Weblog
久し振りに豪速球右腕米田哲也投手です。去年から今年にかけてベースボールマガジン社より、週刊プロ野球セパ誕生60年という本が刊行されており、現在全部で50冊の内45冊まで発行されています。毎号ヒーローオブヒーローズという事で、その号の時代に非常に活躍した選手を紹介しているのですが、後5冊を残していますが米田哲也投手の登場は間違いなくなさそうです。通算最多登板の日本記録を誇り、又通算350勝を始めとして、積み重ねの記録の内多くを金田正一に次ぐ数字を挙げていますが、何故彼がこの企画に登場しないのか、考えて見ました。答えは簡単です。4ページから6ページに渡る、この企画に彼を登場させたとしても、記事が埋まらないのでしょう。つまり、もの凄い豪速球を誇り、通算記録では凄すぎる米田哲也ですが、非常に悲しいかな、どう贔屓目に考えてもベストゲームが思い浮かびません。又その球速も、相手打者や審判、記録員からは、史上最速という意見を始めとして、非常に高い評価を得ていますが、尾崎行雄のデビュー時や、日本シリーズでの山口高志の様に、全国から注目されている場面での披露はありませんでした。又更に彼のイメージを下げているのは、既に往年の球威を失っている時点での、対読売との日本シリーズでの登板でしょう。従って実績の割に記事にはしづらい投手の代表と言ってもいいかと思います。しかし私には昭和30年代前半から中半頃の、異常な程に速く且つ重い彼の豪速球は未だに忘れられるものではありません。

快速球投手(4)

2010-02-24 20:28:01 | Weblog
メジャーの快速球投手をもう少し紹介します。先日引退を発表した、208cmの長身ビッグユニットこと、ランディジョンソンのスリークオーターより、かなり低く横投げに近い位置から繰り出される快速球は本当に威力抜群で凄まじいものがありました。好調時には最速100マイル以上、平均97マイルの球速のストレートと、打者の視界から鋭く消え去るスライダーのみで恐ろしい程の奪三振率を誇っていました。彼に就いては、別途詳しく紹介したく思います。又彼と一時同僚だったビリーワグナーも同じ左腕投手でしたが、こちらは180cmとメジャーの投手としては非常に小柄ながらも、同じくストレートとスライダーのコンビネーションのみで面白い様に三振をうばっていました。巧く左腕の出所を隠す様な投球フォームから、鋭く伸びる球を武器としていました。1998年対カブス戦で、当時アストロズ所属の2人の投球をNHKBSで見ましたが、先発とリリーフの違いこそあれ、二人の甲乙付け難い速球の威力には圧倒されたものです。

藤川球児投手

2010-02-23 20:16:35 | Weblog
このブログの初回でも触れましたが、あまりにも凄すぎる彼の球の伸びに関して、再び触れたく思います。2008年、松下雄一郎著、「藤川球児 ストレートという名の魔球」という本が発刊されましたが、この本の題名にこそ彼のストレートの素晴らしさが、凝結されているかと思います。もっと言えば、彼以外の投手では、この題名は不可能かと思えます。それ程彼の投じる球は、二段ロケットかの様に、バッテリー間の途中と、打者の手元で異常な程に伸び、更に高目の球は本当にホップする感じで、打者の視界を妨げる感すらします。しかし彼の球速のマックスは一応155kmと言われ、メジャーリーグの速球投手の多くや、読売のクルーン投手には及ばない数字となっています。しかし実際の数字より打者の手元で伸びる球にこそ、投手の真髄はあると思います。かなり長い間、日米を問わず多くの快速球投手投手を見てきましたが、彼程の伸びる球を投げる投手を私は知りません。昭和41年読売の新人投手、堀内恒夫投手のデビュー時、第二の沢村栄治と呼ばれ、その快速球が人気球団所属の投手という事もあり、かなり話題になりましたが、球質的には非常に似ていましたが、その球をすらかなり凌いでいるのが藤川球児の球と言えるかと思います。

金城基泰

2010-02-22 21:47:11 | Weblog
比較的最近のブログ、一流のアンダスロー投手の内で、本当に実力のある投手を忘れていました。これ程力のある投手を見逃すとは、我ながら情けなく思います。その投手とは、今回紹介する金城基泰投手です。昭和47年から60年まで、広島カープ、南海ホークス、読売ジャイアンツに在籍し、読売以外では活躍した、右腕の下手投げ投手です。彼の投球フォームは、もの凄く腰を捻り、且つ右腕を後方に思い切り引っ張り、十分に沈み込んだ位置から投じており、ダイナミック且つ華麗なものでした。従って投じられる球は、もの凄く速く、伸びもあり、切れ味抜群で、更に変化球にもいいものがありました。特に入団2年目10勝を挙げた昭和48年と、20勝を挙げた翌49年の投球には凄いものがあり、将来どんな投手に育つのか、非常に楽しみでした。しかしシーズンオフの交通事故の影響の為か、その後この2シーズン程の威力のある球は見られなくなりました。当時の威力ある球は、阪急ブレーブスの同じく下手投げの山田久志をも凌駕する程、凄いものがあったかと思います。本当にもう一度見たい投手の筆頭といってもいいかと思います。



通算成績   461試合   68勝71敗    防御率   3.33 92セーブ    919奪三振

15勝投手の価値(?)

2010-02-20 21:21:35 | Weblog
確か入団数年目での発言だと思います。あの江川卓投手が、今の15勝は昔の20勝に匹敵するという発言をして、当時は結構物議を醸したものでした。確かにその当時の15勝投手の割合は、昔の20勝投手の割合とかなり近いものでした。昭和50年代に入り、かっての様にエースが先発も抑えもこなす事は、非常に少なくなりローテーションも確立されてきていました。従ってかってのエース達と異なり、年間300イニングを越す投手も殆ど見られなくなっていました。確かに江川卓投手の言う今の15勝イコール過去の20勝は、その割合からは肯ける発言かと思いますが、ここで重要な事を見逃してはいけないと思います。つまり昔の投手は、江川発言当時の投手達よりは、少なくとも多いイニングを投げた投手が多いという事です。当時は江川発言の時期より投高打低の時期ではあったかと思いますが、多くのイニングを投げた、或いは投げざるを得なかったという事実は曲げようがなかったかと思います。従って江川卓の発言に関しては、一概に否出来ないとは思うものの、多くのイニングを投げた投手達には、敬意を表したく思います。

石岡康三

2010-02-19 21:03:59 | Weblog
昭和39年に国鉄スワローズに入団、その後チーム名は変れど、同一球団に在籍した182cm,75kgと当時としては均整のとれた長身の右腕投手です。彼の入団時、同チームのエース金田正一が彼の本当に真上から投げ下ろす様な、投球フォームを見て、自身の投球フォームを反省する様なコメントが新聞に掲載された事を、昨日の事の様に覚えています。多分あの自身の塊、金田正一は決してそう思っていた訳ではなく、新人投手を歓迎する為に発言したかと思われます。確かに石岡康三はやや伸び上がる様にした感じから、ほぼ真上に近い位置から投じていましたが、その反面腰の捻り、腕の後方への引き方には欠け、打者に比較的正対したフォームからの球には、もう一つ迫力に欠けているものでした。あの金田正一がこの欠点に気が付かない訳はないかと思わざるを得ません。しかし石岡康三の投球は、その長身もあり角度に長け、その角度を巧く活かした大きく割れるカーブも武器としており、ある意味自身の投球フォームを巧く活かした投手と言えるのでしょう。43年には自身最多の10勝を挙げ、奪三振も169個を記録する等、縦の変化を武器とする投手らしく奪三振率も当時の投手としては、かなり高いものがありました。

快速球投手(3)

2010-02-18 20:32:56 | Weblog
1998年、実際の試合を見たのではないのですが,1試合20奪三振を記録した時の新人投手ケリーウッドの投球をニュースで見ましたが、本当に迫力十分で異常にに速かった事を記憶しています。イチロー渡米後では、先ずはトロイパーシバルが思い浮かびます。クローザーとして活躍していましたが、マリナーズ戦では100マイルの快速球を連発していました。捕手出身らしく、右腕の引きの少ない投球フォームながら、腰のタメを巧く活かし、速く且つ重い速球を武器としていました。又同じくクローザーとしては、ビリーコッチの切れ味抜群の快速球も本当に忘れられないものでした。メジャーの投手としては、決して大きくはない体躯ながら、体のバネを十分に効かし、スリークォーターからもの凄く伸びのある球を投じていました。日本の投手ですとイメージ的には、入団当時の鈴木孝政を彷彿させる様な感じでした。しかし彼の全盛期は短かかったものでした。メジャーの快速球投手の多くに見られる様なパワーのなかった彼には、矢張り100マイルの快速球を投げ続けるには、どこかに無理があったのではないかと思われます。

義原武敏

2010-02-16 21:22:53 | Weblog
昭和31年から37年まで、読売ジャイアンツ、近鉄バッファローズに在籍した左腕投手です。高校時代はかなり騒がれた投手らしく、当時の評価はもの凄く高かったみたいです。実際にはあまり多くは見た事がないのですが、悪く言えば二流の左腕投手の典型とも言うべきタイプだったかと思います。彼の最大の欠点としては、球に切れがない事に尽きると思います。スリークォーターよりやや低い位置からの投球でしたが、球速もそれ程速くはなく、腰の捻りの少ない投球フォーム、更にはあまり撓らない肘もあり、彼の投じる球は所謂棒球に近いものでした。又当時としても決して大きくはない体も相俟って、相手打者にとって、角度ある投球も出来ていたとは思えません。しかし今回彼の実績を調べてみると、一度たりとも規定回数には達していませんが、シーズン毎の防御率は素晴らしいものがあり、又通算防御率も2.06と決して侮れない数字かと思います。如何に当時が現在より投高打低とは言え、誇るべき数字かとは思います。彼の防御率を見ると、当時の打者の実力が如何程のものか、何故か疑問に思わざるを得ません。


通算成績   189試合   33勝23敗   防御率   2.06 奪三振   355