昭和44年ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団、48年シーズン途中にロッテオリオンズに移籍し63年まで現役を続けた左腕投手です。しかし45,46,63年度の一軍登板はありませんでした。中日ドラゴンズ時代の印象は殆どなく、ロッテオリオンズ時代しか記憶にない位です。公称177cm,76kgとなっていますが、もう少し細身の印象を受けました。投球フォームは、右足の上げ方、胸への引き付けが浅く、且つ腰のねじりの少ない感があり、力感には著しく乏しかったかと思います。スりークォーターから投じていましたが、所謂技巧派投手で、球速には見るべきものはなく、スライダー、カーブ等の変化球が武器だったと記憶しています。力む感じがなく軽く投げているのが良かったのでしょうか、球の伸び、切れには優れていたものがあったと思います。移籍後徐々に頭角を現し、4年連続二桁勝利を挙げるなど、チームにとって欠かせない投手となりましたが、球速のない投手の宿命と言うのでしょうか、それなりに活躍してはいるものの、ファンの印象は薄く、この投手が100勝以上の勝ち星を挙げた投手という事を知らない人は多いかと思います。彼程度の球速だと、打者を圧倒する事は出来ず、勝ったり負けたりの成績になるのもやむを得ないのでしょう。しかし実働17年、108勝は非常に頑張った結果だと思います。
通算成績 476試合 108勝111敗 防御率 4.01 952奪三振
通算成績 476試合 108勝111敗 防御率 4.01 952奪三振