3388 野球ブログ

日米を問わず名選手を紹介。

水谷則博

2011-03-31 17:46:17 | Weblog
昭和44年ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団、48年シーズン途中にロッテオリオンズに移籍し63年まで現役を続けた左腕投手です。しかし45,46,63年度の一軍登板はありませんでした。中日ドラゴンズ時代の印象は殆どなく、ロッテオリオンズ時代しか記憶にない位です。公称177cm,76kgとなっていますが、もう少し細身の印象を受けました。投球フォームは、右足の上げ方、胸への引き付けが浅く、且つ腰のねじりの少ない感があり、力感には著しく乏しかったかと思います。スりークォーターから投じていましたが、所謂技巧派投手で、球速には見るべきものはなく、スライダー、カーブ等の変化球が武器だったと記憶しています。力む感じがなく軽く投げているのが良かったのでしょうか、球の伸び、切れには優れていたものがあったと思います。移籍後徐々に頭角を現し、4年連続二桁勝利を挙げるなど、チームにとって欠かせない投手となりましたが、球速のない投手の宿命と言うのでしょうか、それなりに活躍してはいるものの、ファンの印象は薄く、この投手が100勝以上の勝ち星を挙げた投手という事を知らない人は多いかと思います。彼程度の球速だと、打者を圧倒する事は出来ず、勝ったり負けたりの成績になるのもやむを得ないのでしょう。しかし実働17年、108勝は非常に頑張った結果だと思います。



通算成績    476試合      108勝111敗      防御率  4.01    952奪三振

投手のローテーション(2)

2011-03-30 22:01:37 | Weblog
昔と現在で、投手のローテーションが如何に違ってきているかを示す一つの基準として、規定投球回数があります。私が野球を見始め、数字に物凄く興味を持った頃、規定投球回数はチームの試合数×1.4となっていたと思います。今調べ直して見ると、昭和34年から38年まで、およそその基準であり、33年まではセパ違ってはいるものの、イニング数で決まっていました。二リーグに分かれて以降33年までの規定投球回数は、多少の差こそあれ、大雑把に言えば試合数×1.5が基準となっている感じでした。一つの例として昭和31年ですが、パリーグは154試合数制をとており、規定投球回数は過去最大、およそ」1.5倍の230イニングとなっていました。その年新人の豪速球右腕米田哲也投手は204イニングを投げ、9勝15敗、防御率2.38を記録しましたが、規定投球回数には遥かに届かないものでした。しっかり調べた訳ではありませんが、200イニング以上投げて規定投球回数未満は,他に例がないかと推測します。しかしその年、パリーグの規定投球回数に達した投手は12人おり、必ずしも無茶苦茶な設定ではなかったかと思います。その後昭和39年から試合数×1と改訂され現在に至ってますが、この改訂こそ一人の投手の投げるイニング数が如何に変化してきているか、つまり投手ローテーションの変遷を物語っていると思えます。

大田卓司

2011-03-29 21:01:54 | Weblog
昭和44年ドラフト9位で西鉄ライオンズに入団、以降太平洋クラブ、クラウンライター、西武ライオンズとチーム名は変われど、ライオンズ一筋に昭和61年まで活躍した右投右打の選手です。当初は代打が多く、実績を残す様になってから外野手、指名打者として存在感を示しました。はっきり言って守備、走力には殆ど見るべきものがない為、類まれなる勝負強い打撃力があるにも関わらず、レギュラー定着は遅く、その為か規定打席到達は僅か2回と、意外と少ないものでした。公称170cm,79kgと小柄ながらも、思い切りのすこぶるいい打撃が物凄く印象にのこっています。打撃フォームはバットを投手寄りに傾け、必ずしも懐が深いとは言えないながらも、まるでヤマをはったかの様な鋭く,速いスイングをし、相手投手としては不気味と言うか、妙に怖い、何をしでかすか解らない打者であったと思います。出場試合数が極端に少なくなった晩年を除き、殆どの年にそれなりの打撃成績を残している点等は、彼の打撃力の素晴らしさを証明している気がします。全くの余談ですが、彼のホームランボールを西武球場でゲットし、今でも大切に持っている為、何故か忘れられない選手の一人です。  


通算成績    1314試合   923安打     0.267     171本塁打     564打点

投手のローテーション(1)

2011-03-28 13:41:57 | Weblog
50年以上日本のプロ野球を見て来ていますが、最も大きく変化したのが投手のローテーションではないかと思います。昭和30年代前半、プロ野球を見始めた頃、エース格の投手の多くは300イニング以上を投げ、権藤博、秋山登、稲尾和久、金田正一等は400イニングを超えた年もありました。しかしこれらの投手のイニング数も、当時決して驚く程の数字ではありませんでした。その時代は現在の様にネットで簡単に野球の各種記録を調べられる環境には全くなく、色々な選手がタイ記録や新記録に挑んだり達成した時に、従来の記録保持者の名前を初めて知ったり、週刊ベースボールの記事で知る位しか術がなかったものです。しかし、そうやって知った投手のイニング数ですが、前記の4投手共、ベスト10には入っていません。戦前戦後の投手の内には、500イニング以上を投げた投手も2人いた訳で、如何に400イニング以上を投げても、従来の記録を知ると、上には上があるものだと位しか考えなかったものです。つまり現在では信じられない様なイニング数ですが、当時の野球環境を考えると、投げている投手本人にも、酷使されているとか登板過多という意識もあまりなかった様に思えてなりません。

廣田浩章(広田浩章)

2011-03-27 22:40:50 | Weblog
1986年ドラフト2位で読売ジャイアンツに入団、翌1987年初登板、以降2000年までダイエーホークス、ヤクルトスワローズ、近鉄バッファロースに在籍した右腕投手です。しかし1993,1994年の登板はありませんでした。主にリリーフの役割をこなしていた彼の投球を見たのは、読売ジャイアンツ時代と長い低迷から復帰し、活躍したヤクルトスワローズ時代でした。公称176cm,76kgと決して大きくない体ながらも、一生懸命投げているという印象の強い投手でした。この投手を見て先ず感じたのは、物凄く素晴らしいという程の特長はなく、かといってこれぞ欠陥と言うべき点もない投手でした。つまり適度に長所があるのだが、武器になる程のものではなく、又どうしても直さなければ大成しない程の問題となる点はありませんでした。躍動感もあり、腰の捻りやタメ、肘の撓り等特に問題のないスリークォーターから投じており、又球速もかなりあり、球の伸び、キレも決して悪いものではないのだが、打者を圧倒する様な重みとか凄味のある球質ではありませんでした。変化球も落ちるボール、シュート等あり、それなりに威力はありましたが、やはり相手打者を諦めさす程のものではありませんでした。結果的にはもう一つの投手なのでしょうが、強気で小気味いい投球は何故か印象深いものです。



通算成績    342試合      29勝19敗      30セーブ      防御率3.00     289奪三振

中西清起

2011-03-26 21:03:50 | Weblog
1983年のダラフト1位で阪神タイガースに入団、以降1996年まで同チーム一筋に在籍した右腕投手です。社会人野球からの入団ですが、高校時代甲子園での優勝投手という事で人気は凄くあった投手です。1985年、阪神タイガースセリーグ優勝の時、マウンド上の彼の姿は、約四半世紀経た今でも鮮明に覚えているものです。しかし13年間の現役生活での彼の実績を考えると、必ずしも成功、活躍したとは言い切れない様な気がします。役目はリリーフが主でしたが、ある程度頑張ったのは入団後数年間だったと思います。中西清起の投球フォームを見て、先ず思ったのは体に切れがなく、シャープさは感じられず、悪く言えば鈍重な感すらありました。公称179cm,87kgとやや太めの体からオーバースローに近い位置からの投球でしたが、やや小さめのテークバック、スムースさに欠ける体重移動もあり、投じられる球は決して速くはなく、又切れ味、伸びも優れているものではありませんでした。但し球質は重く、回転の少ない球がズドンと来る感じでした。パームボールだと思いますが、落ちる球には見るべきものがあり、それが強気の投球と共に彼を支えていたと思います。



通算成績      477試合     63勝74敗     75セーブ      防御率    4.21     633奪三振

金光秀憲

2011-03-25 21:33:40 | Weblog
昭和34年大洋ホエールズに入団、以降同チーム一筋に44年まで現役を続けた右投左打の外野手です。今このブログを書くにあたり、プロ野球記録大百科で通算成績を調べましたが、一つ新しい発見をしました。それは彼が右投げ左打ちという事です。当時彼の打席は数多く見て記憶にもしっかり残っていたつもりなのですが、守備で右投げという意識はありませんでした。当時も含め多くの選手をブログに書いておきながら、守備での利き手を見逃す等、恥ずかしい限りです。現在右投左打の選手はかなり多くいますが、その当時の右投左打の打者と言えば、東映フライヤーズの中心打者として活躍した毒島章一位しか思い浮かばなかったものです。金光秀憲の打撃ですが、決して懐の深くはない打撃フォームから、当時の打者の多くに見られる様に、スイングスピードの速い選手ではありませんでした。かといって上手く打球を打ち分けるタイプでもなく、又パワーがあるでもなく、少し辛辣に言えば平凡な中途半端な打撃だった記憶があります。昭和35年の日本シリーズでの活躍もあり、残した数字以上に大洋ファンには印象強い選手の一人かと思います。



通算成績     739試合    325安打     0.250     27本塁打      154打点

投打の日本一(11)

2011-03-24 23:46:05 | Weblog
金田正一投手は途中入団の1年目を除き、2年目からの14年連続20勝以上を、弱小球団と言っていいのでしょう、国鉄スワローズ時代に挙げています。内30勝以上2回、4年連続防御率1点台等、シーズン毎の成績も素晴らしいものがあります。その当時のチームは優勝争いに絡んでいなかった為、一般のファンからのイメージでは弱いチーム、援護力に乏しい打線ながら孤軍奮闘する大投手と言う所が強かったと思います。最少失点に抑えても、打線の援護が全くなく、好投しながらも空しく敗れる試合は非常に多かったものです。確か1対0のスコアで負けた試合が通算で20試合以上あったと記憶しています。弱いチーム所属の為、多くのファンが注目する大一番での登板は殆どありませんでした。読売ジャイアンツ移籍後は、日本シリーズでの登板がありましたが、当時の彼の球威は往年のものとは全く異なったものになっていました。出来れば優勝争いに絡む試合で投げる全盛時の彼の姿を見たかったものです。物凄い成績を挙げ優勝争いに絡んだ投手のイメージは物凄く強烈ですが、不幸にして優勝争いには絡めなくとも、優勝争いに絡んだ投手達と殆ど変らないシーズンも何回かあり、且つ20年間の実働、通算400勝の彼を投手NO.1に推す事に、何のためらいもないものです。

投打の日本一(10)

2011-03-23 21:32:31 | Weblog
4人の大投手を例に出して来ましたが、長く安定した成績を維持し続けてきた投手と、素晴らしい成績を挙げたシーズンがありながらも、その酷使された事により、投手寿命が短くならざるを得なかった投手をどう評価するか。意見が分かれる所だと思います。例えばWBCの様な大会の投手を選出する場合、ほぼ間違いなく後者の投手達を選ぶでしょう。又そのシーズンに於ける投手達は、その凄まじい活躍によりファンの記憶に大きく残っているはずです。但しこの場合、優勝争いに絡まないと、いくら凄い成績を挙げていると言っても印象が薄くならざる事は否めないかと思います。既出の稲尾和久、杉浦忠以外では、昭和29年の杉下茂、36年の権藤博、37年の土橋正幸、小山正明、村山実もその範疇に入るかと思います。年代を無視して、何々年度の何々投手として選出するなら、こういった投手が選ばれるかと思います。一つの例として、中日ドラゴンズの歴代のベストナインを選ぶ時、その凄まじすぎるシーズンの活躍があったものの、通算では82勝の権藤博を選ぶ人は多くとも、46歳になる今年も現役を続け。通算210勝の山本昌を選ぶ人は少ないかと思います。つまり比較的長い期間活躍出来る打者と異なり、肩が命の投手をどういった面に重きをおいて評価すべきか、非常に困難な所かと思います。

ウインディ(Gordie Windhorn)

2011-03-22 20:20:26 | Weblog
昭和39年に来日、阪急ブレーブス一筋に44年まで在籍した右投右打の外野手です。この選手で先ず思い出すのは、以前にもこのブログで多少触れましたが、来日当初彼の身長の登録が202cmとなっており、同時来日のスペンサーの205cmと共に、物凄く体の大きい選手が二人阪急ブレーブスに入団したなと思った事です。その後時期は定かではないのですが、二人共マイナス15cmの身長に訂正され、彼の身長登録は187cmに変更されました。メジャーのエンサイクロペディアでは6フィート1インチとなっている為、多少の違いこそあれ187cmの身長が実際に近かったと思います。彼のイメージとしては、あまり残ってなくスペンサーの相棒、連れというかおまけと言った感が強いものです。来日当初から豪打を誇ったスペンサーと比較して、目立たない存在でした。30歳での来日でしたが、決して良くもなく悪くもなくという成績が続いたと思います。外国人特有のパワーはある程度あったと思いますが、基本的にバットスピードが速くはなく、あまり球足の速い打球は少なかったと思います。又守備、走塁に関しても、優れている面はなかったと思います。結果的に中途半端な実績しか残せず、スペンサーと一緒に来日した外国人選手というイメージが物凄く強いものです。



通算成績     641試合    501安打     0.255     86本塁打     217打点