3388 野球ブログ

日米を問わず名選手を紹介。

同率首位打者

2009-04-30 22:03:33 | Weblog
プロ野球の長い歴史において、同率での首位打者は見落としが無ければ過去2例しかないと思います。最初は1969年の張本勲、480打数160安打、0.333,永淵洋三486打数162安打0.333と1987年正田耕三393打数131安打,0.333,篠塚利夫429打数143安打,0.333と非常に稀なケースであります。つまり最低でもチームの試合数×3.1の打席にたった上で、同じ打率という事はなかなか難しいかと思います。ましてや首位打者になりうる打率を残してという事に成ると、単純に3打数1安打の0.333以外には、候補となる打率は少ないかと思います。もしあり得るとすれば、20打数7安打の倍数の例えば480打数168安打、とか520打数182安打の様な数字位しか思い浮かばないものです。他には25打数8安打の倍数の500打数160安打、550打数176安打の0.320の打率もあり得るのでしょうが、少し首位打者の打率としては低い為、同率での首位打者の可能性としては、低いかと思います。結論としては、現在144試合制のセパ両リーグで、今後同率首位打者が生まれる可能性は非常に少ないという事が言えるかと思います。

米田哲也と尾崎行雄の投げ合い

2009-04-29 14:25:49 | Weblog
昭和41年の多分夏頃かと記憶していますが、後楽園球場で歴代の投手で球速NO.1を争うかと思われる、米田哲也投手と尾崎行雄投手の投げ合いを観戦しました。当時のパリーグは先発予告はなかったものの、ある程度両投手の対戦を予想して観戦にいったものです。流石に両投手共に、球は速く、又捕手のミットに食い込む音が凄かった事を覚えています。その年米田哲也は25勝を挙げ最多勝を獲得、尾崎行雄は24勝を挙げています。勝ち星から見ると二人共全盛期かと思われるのですが、既に投球内容はかなり変化してきており、米田哲也の投球にはかなりの割合でフォークボールが入り、尾崎行雄も球速が落ち、変化球の割合が増えてきていました。米田哲也は防御率が3.19と、その当時の投手としては決して良くなく、又尾崎行雄も奪三振が122個、奪三振率が3.76異常に低い数字でした。従ってその当日の投球も、確かに前述の様に威力のある球を投げてはいたものの、彼等二人の全盛期の凄まじいまでの剛速球は見られませんでした。出来れば3,4年位前の二人の対決を球場で見たかったものです。

読売スポーツ

2009-04-28 20:36:45 | Weblog
昭和30年代に読売スポーツという週刊誌が存在しました。いつ発刊されて、いつ廃刊になったかは昔の事なので、定かな記憶はありませんが、間違いなく30年代の中頃にはあった週刊誌です。昭和33年に発刊された週刊ベースボールは非常に公正な記事を掲載していましたが、この読売スポーツは、その名称でお解りの通り明らかに読売ジャイアンツ贔屓の記事のオンパレードでした。現在で言えば報知スポーツの週刊誌版と思って戴ければ宜しいかと思います。当時不覚にも何冊か購入したものですが、その記事の殆どが読売ジャイアンツの記事であり、しかもその内容が、二流選手までもが一流選手にすりかわっており、明らかに提灯記事ばかりでした。当時未だ人気先行時点の王貞治選手は、この週刊誌上では既に正しく強打者扱いでした。しかし彼の様に、本当に超一流打者に成長したのは、本当に稀な例であり、殆どがこの週刊誌では過大評価された選手と言ってもいいのでしょう。この週刊誌の余りにも露骨な記事内容には辟易としたものです。

武上四郎

2009-04-27 21:00:19 | Weblog
1967年から1975年まで、サンケイアトムズーアトムズーヤクルトアトムズーヤクルトスワローズと名前は変れど1球団一筋に活躍した2塁手です。入団1年目の年には自己最高の0.299の打率を残し、あの江夏豊との新人王争いに勝った選手です。しかし新人王争いに敗れた江夏豊とは全く異なり、彼にとっては非常に巧い事に、欠点をもう一つ見抜かれぬ内にいい成績を挙げたかと思われます。1年目はいい成績を残しながらも2年目以降は、それに匹敵する様な成績を挙げられない、言ってみれば決して一流選手とは言えない選手の内の一人と言えるのでしょう。彼を見ていて思ったのは打撃、守備、走塁全てに残念ながら光るものが殆どなかったという事です。つまりシャープさに著しく欠ける選手だったかと思います。確か入団時のプロフィールには100mを10.9秒で走れる俊足という触れ込みでしたが、間違いなく嘘でしょう。彼の走りを見て、一度たりとも速く感じた事はありませんでした。しかし処世術は異常に長けていたのでしょう。その後監督やコーチを務めたりしており、この点でも実績では比較にもならない同期の江夏豊とは対照的な野球人生を歩んだのでした。



通算成績    977試合    871安打    0.266   71本塁打   301打点

片平晋作

2009-04-26 21:01:39 | Weblog
1972年から1991年まで、南海ホークス、西武ライオンズ、大洋ホエールズで活躍した当初は外野手、後に主に一塁を守った選手です。記憶は定かではないが、入団当初は普通の打撃スタイルでしたが、多分2,3年目位には一本足打法に変化していたと思います。しかし王貞治とは異なり、結果的にはタイミングを巧く取る為に上げていた感が強く、足を上げた際の腰の捻りが浅く、又長身でこそあれ、決してパワーのあるタイプではない為。一本足打法により飛躍的に長打力が増した訳ではありませんでした。結果としてその打法が彼に合っていたかどうかは、わかりませんが、1979年に自身唯一の3割をマークする等、レギュラー或いは準ラギュラーの位置を長く確保し、それなりの成績を残しました。脚に関しては速くはなく走塁面での記憶は殆どないのですが、守備は華麗な感こそないものの、結構堅実だった記憶があります。下記通算成績を見ると一流とは言えなくとも、それに近い実績を挙げた好選手と言えるかと思います。



通算成績    1503試合  1181安打    0.274   176本塁打    601打点

ボブチャンス(Bob Chance)

2009-04-24 20:41:12 | Weblog
1969,1970年とアトムズ、ヤクルトアトムズに在籍した右投左打の一塁手です。1969年はシーズン途中のメジャーからの移籍でしたが、当時もの凄い打者が入ってきた記憶があります。194打数62安打、0.320,16本塁打、46打点と当然規定打席不足ながらも、素晴らしすぎる成績を残し、翌年どれだけの成績を残してくれるのか、もの凄い期待を持っていたのですが、残念ながら253打数59安打、0.233,6本塁打、26打点と全く期待外れの成績に終わり、この年限りで退団を余儀なくされました。メジャーでも1964年に14本塁打を放っている様に、その左打席からのパワーは日本では並外れたレベルでした。しかし、変化球への対応が今一つであり、体の固さもあり、欠点を研究されつくし,1年目の好成績を維持する事は出来ませんでした。彼の1969年のメジャーでの成績は7打数1安打の成績であり、当時のメジャーと日本とのレベル差を実感させる選手の一人でもあります。



通算成績    143試合   121安打    0.271    22本塁打   72打点

連続フルイニング出場

2009-04-23 20:39:43 | Weblog
現在阪神タイガースのアニキこと、金本知憲選手が昨日まで1346試合連続フルイニング出場していますが、この事が果たして阪神タイガース及び金本知憲にとってプラスなのかマイナスなのかどうか、少し検証して見たいと思います。1994年から頭角を現した金本知憲ですが、その後も広島カープ、移籍した阪神タイガースでもチームの主力選手として素晴らしい活躍を続けています。打撃に関して、今年は特に出だしが良く、衰えを感じさせないどころか、更に進化し続けている様な印象すらあります。しかし先日41歳となった走塁面はどうでしょうか?残念ながら数年前からある程度の衰えを見せ始め、かって記録した様な30盗塁以上は望むべきもないレベルの脚の速さになってしまったと思います。又守備に関しては、昔から格別肩が強い訳でもなく、守備勘に優れている訳でもないのですが、矢張り走力の衰えもあり、全体的にはレベルダウンしているのが現状かと思います。従ってチーム及び本人にとって連続フルイニング出場に拘る事が、かえってマイナスにすらなる様な気がします。確かに貴重な記録だとは思いますが、敢えてある程度の休養を試合内でも与える事が、本人チーム双方により良い結果をもたらす様な気がしてなりません。

張本勲(21)

2009-04-22 20:58:52 | Weblog
先回張本勲が強打者の割に三振が非常に少ない事を記述しましたが、更に彼は選球眼も素晴らしく、四球を選ぶ技術を十分に持っていました。三振の少ない打者にも二通りあり、一つは早いカウントから積極的に打っていくタイプです。このタイプは三振も少ないのですが、必然的に四球も少なく選球眼がいいとはいえないのでしょう。もう一つは、十分に投手の投球を見つめ、好球必打を心がけるタイプです。張本勲は史上稀に見る打撃センスを誇り、正に後者のタイプであり、通算815三振に対し、1274の四球を選んでいます。稀にしか三振をせず、長打力もあり、打率ももの凄く高い彼こそ投手にとっては、本当に厄介な存在だったでしょう。比較的彼に近いタイプとしては、伝説の打者とまで言われる榎本喜八が存在し,12.0打数に1回の三振率の少なさを誇り、通算四球も1061と非常に多いものです。彼こそ全くボール球に手を出さず、常に完璧なスイングをしていましたが、矢張りパワーに関しては張本勲の比ではない為、投手としては張本勲の方が嫌だったのではないかと推測出来ます。

張本勲(20)

2009-04-21 20:34:40 | Weblog
今回も張本勲です。先日守備でも天才のイチローが、珍しくエラーをしていました。その内容は、ライト前ヒットで本塁を狙おうとする二塁走者を刺そうと、思い切った送球をするのですが、本当に珍しく、力み過ぎたのでしょうか、捕手のミットが届かない程の高さの暴投を投じていました。制球抜群のイチローらしくないエラーでした。しかし張本勲の場合、幸か不幸か、間違ってもこの種のエラーは絶対に有り得ません。彼の肩では浅いヒットでも、中継の野手に非常に遅い山なりの送球をするのが精一杯でした。従ってダイレクトに捕手を目指して、送球をした事は私の知る限りありませんでした。万が一あったとしても、捕手のミットが届かない程の送球は絶対無理な程の肩の弱さでした。エラーに関する評価は難しく、結果的に肩に自信のある選手程、この種のエラーを記録される危険性を秘めており、逆に張本勲の様な極端に肩の弱い選手は、幸運にもエラー以前のレベルの為、エラーの可能性すらない訳でもあります。更に守備での彼の欠点を述べると、自信がない為非常に深い守備位置をとる事です。脚力はありながらも、守備勘が極端に悪く、守備範囲の狭い彼の守るレフトは、相手打者にとって、本当に広すぎるエリア10に見えた事でしょう。以前にも紹介しましたが、張本勲こそ打っても、守っても安打製造機と言われる所以でしょう。

張本勲(19)

2009-04-20 21:03:13 | Weblog
久し振りに大打者張本勲に就いて触れます。今回は、シアトルにイチローの応援に行き、彼らしくない低姿勢に終始したスタイルを貫くという、意外な一面を見せてもくれました。あくまでも日本記録は張本自身の持つ3085安打であり、イチローの記録は参考であるという持論の展開を期待していたのですが、残念なのかどうか、最後までその言葉を発してはくれませんでした。何回か前のブログでも触れましたが、この件に関しては彼の発言は妥当だと思います。昨日のサンデーモーニングでイチローと張本勲の記録を紹介していましたが、改めて張本勲の素晴らしさが解った点があります。その一つは被三振率の低さです。通算で11.9打数に1回と、日米合算のイチローをもかなり凌いでいます。張本勲を凌ぐ選手はいるのですが、通算打率0.319,504本塁打と打率、長打力共に優れた選手でこれだけ三振の少ない選手は彼以外に有り得ません。通算500本塁打以上の打者は彼を除き全て1000三振以上を喫しており、彼の被三振率は群を抜いて低いものです。