基本的に本塁打や安打を狙って打席に立つ打者はあっても、最初から二塁打を狙って打席に立つ打者は、殆どいないかと思います。結果的に本塁打には距離不足や、上手く打球が野手の間を抜けて二塁打になった場合が、多い様に思えます。安打の内では、あまり話題にならないのが二塁打と言えると思います。長打も含めた安打数は、史上最高の安打製造機、イチローの出現により、日本プロ野球初の200本安打達成以降、非常に騒がれる様になりましたが、それ以前は、もう一つ話題性には欠ける様な感じでした。一方三塁打は、その特性故、結構ファンの関心は引いていたと思います。ある意味誰でも打つ事が可能な二塁打とは異なり、三塁打の場合、打者走者には脚力、更には次の塁を狙う積極さ、勇敢さが求められ、又相手チームには、それを防がんが為の守備力が求められ、非常にスリリング、且つ観ていて最も興奮する場合が多いのが、三塁打と言えるかと思います。つまり、三塁打を多く打てる打者は、パワーが必要な本塁打を数多く打てる打者同様、限られていると思います。従って本塁打数程話題にはならなくとも、二塁打より、その数にファンの興味はあったと思います。福本豊に抜かれるまでの通算三塁打数記録保持者、毒島章一選手も、そのプレイを実際に観るより先に、三塁打の記録と共にその存在、名前、更には読み方も知ったものでした。
今日の試合で、松井秀喜は二塁打を放ち、あくまでも日米通算ですが、通算488二塁打となり、立浪和義の日本記録487を上回りました。本塁打や安打の記録と異なり、もう一つ目立たない二塁打の記録ですが、長い間レギュラーとしてやっていなければ、出来ない素晴らしい記録と思います。しかし非常に面白い事に、二人ともシーズン毎に二塁打数でリーグトップに立った事はありません。又、同じく今日の試合で、イチローが2本二塁打を放ち、これも同じく日米通算ですが、立浪和義の487に並んでいます。このイチローも、210安打を放った1994年、41本で二塁打でもリーグトップになっていますが、日米併せてリーグトップはこのシーズンしかありません。例えば本塁打の記録だと、通算1位の王貞治はリーグトップ13回、安打数では通算1位の張本勲が、3回リーグトップになっています。又イチローも安打数に於いては、日本で5回、メジャーで7回リーグトップを記録しています。更に盗塁数でも、圧倒的な1065個の記録を誇る福本豊は、13回盗塁王に輝いています。以上の例だけで断言するのは早計なのでしょうが、ここに二塁打の特性がある様に思えてなりません。
前回記しました様に、入団当初から活躍している本格派投手の多くは、5年目頃から、奪三振率が落ちて来ます。つまりこの頃から球速が落ち、投球内容が変わって来る投手が多いものです。昭和30年代の投手では、梶本隆夫、米田哲也、村山実、尾崎行雄等、昭和40年代では江夏豊、鈴木啓示、森安敏明等、皆素晴らしい速球を誇っていましたが、いずれの投手とも、入団5年目頃から、球速に陰りが見え出して来ていました。この頃から、投球内容の変化が求められた、即ち真の本格派投手からの変換を余儀なくされた時期なのかと思います。そうした過去の事例から、年々奪三振率の落ちて来ている田中将大投手に対して、今後あまり成長が期待出来ない、つまり伸びしろがあまりないのかとの危惧を持っていたものでした。しかし幸いな事に、今年最速155kmをマークした球速を始めとし、球の伸び、キレ、投球術、制球力全てに於いて向上している様に思えます。従って今回の歴代第2位の18奪三振や、シーズン2度の15奪三振以上も今の彼の力なら頷けるものです。一つ注文をつけるとしたら、かっての江夏豊の様に、ストレートでより多くの三振を奪って欲しいと思います。
今日、東北楽天ゴールデンイーグルスの田中将大投手が、対福岡ソフトバンクホークス戦で18奪三振と素晴らしい記録を残しました。被安打6、与四球1の完封と文句のない投球でした。今年の彼の投球は、この試合も含めて安定感抜群のものを感じます。今や、ダルビッシュ有に次ぐ存在と言っていいかと思います。今年の彼は、150km前後のストレート、縦に落ちる感じのスライダー、スプリット系フォーク、チェンジアップ等の変化球を武器に、物凄く奪三振率が良くなっています。今日現在167.1イニング、175奪三振の奪三振率9.41となり、昨シーズンの155イニング、119奪三振の奪三振率6.91を、シーズン中とは言え遥かに凌いでいます。実は今年の彼に就いては結構心配していた事がありました。それは、今年入団5年目になる彼ですが、毎年奪三振率が悪くなっているという事です。特に前述の昨年の率は、彼にとって最も悪い数字でした。田中将大と同タイプ、速いストレートを武器としている投手で、入団時から活躍している投手の殆どは、入団の年から4年目までに、奪三振の数、率共にベストの数字を記録したシーズンがあるものです。つまり年数も経て、相手打者もそのスピードに慣れだした頃なのか、或いはスピードの衰えや、投球内容に変化が現れるのが、入団5年目位と言えるかと思います。
メジャーのセットアッパーで球速の素晴らしい投手を紹介して見ます。先ずは、レッドソックスのダニエルバードです。クローザーのジョナサンパペルボンもかなりの球速の持ち主ですが、それをも凌ぎ、100マイルを超す事も度々あり、ストレートの球速は、殆ど97マイルから102マイルの間を計時する程の速さです。又例によって、故障に拠り今年登板していない、右腕最速投手、かって104.8マイル計時のデトロイトタイガースのジョエルズマヤの主な任務もセットアッパーです。ホワイトソックスの左腕、マットソーントンの球速も、以前所属したシアトルマリナーズ時代より、遥かに速くなっている感じです。ニューヨークメッツのボビーパーネルも素晴らしく速く、同チームの五十嵐亮太の球速がかなり遅く感じる程です。シンシナティレッズの認定史上最速105.1マイルのアルロディスチャップマンは、必ずしも役目がセットアッパーではないのですが、その球速は言うまでもないのでしょう。以上何人か列記しましたが、彼らには一つの共通点があります。それは、彼らの主武器がフォーシーム、つまり綺麗な回転のストレートという事です。一般的に動くボール、ツーシームより球速は出易いと言われていますが、逆に素直な球筋の為か、不調時には打ち込まれ易い危険性も潜んでいるような気がします。勿論他の要素もあるのでしょうが、彼らがクローザーを球速では上回りながらも、セットアッパーの座に留まって居るのも、この球筋にある様に思えてなりません。
チコバルボン(Chico Barbon)とも言われている選手です。昭和30年、キューバより来日、阪急ブレーブスに入団、40年近鉄バッファローズに移籍、その年に11年間の現役生活を終えた、主にセカンドを守っていた右投右打の黒人選手です。昭和30年代前半から中盤頃までは現在と違い、街で外国人を見かける事は非常に少なく、まして黒人を見かける事は先ずありませんでした。従って、バルボン選手はその容貌で、物凄く印象に残る選手でした。引退後以降の体型と異なり、当時は非常にスマートで、見るからにバネに恵まれ、脚の速そうな選手と言うより、実際に物凄く脚の速い選手でした。主に1番を打っていましたが、入団から6年連続30盗塁以上と、本当によく走っていた選手というイメージがありました。打撃に関しては、投手寄りにバットをやや傾けたフォームでしたが、どちらかと言うと、単打狙いで、力強さには欠けるものでした。十分にボールを引き付けて打つというより、小さなステップから打ち返していた記憶があります。しかし体全体にバネがあるせいでしょうか、意外と打球は速く、二塁打、三塁打は非常に多かったものでした。兎に角一度見たら忘れられない選手でした。引退後、週刊ベースボールに彼の手記が連載されていましたが、現役時代の同僚梶本隆夫の球速を、物凄く高く評価していた事を、何故か今でも覚えております。
通算成績 1393試合 1123安打 0.241 33本塁打 260打点 308盗塁
通算成績 1393試合 1123安打 0.241 33本塁打 260打点 308盗塁
少し前、サンデーモーニングのスポーツコーナーに佐々岡真司氏がゲスト出演していました。久し振りに、彼の姿を観ましたが、体型がかなり変わっていた為、一瞬誰だか分らない程でした。現役時代、公称184cm,88kgとなっていましたが、体重はもっと少ない様に感じたものです。その投球スタイルからは、軽快且つ小気味よさを、物凄く感じました。投球の際の、左足の胸元への引き付け方や、スムースに右腕を後ろに引く点等、かなりバネに恵まれている投手という事を感じました。強いて欠点を挙げるとしたら、やや腰の捻りが不足し、比較的打者に正対しがちな点位かと思います。投じられる球は、かなり速く、当初は切れ味鋭いスライダー、後に球速のかなり落ちる、スプリットにも似た大きく割れるカーブ等、変化球にも優れていたと思います。決して重い球質ではありませんでしたが、切れ、伸び共一流のものがあったと思います。同チームの先輩大野豊投手と同様、その実力の為か、先発、りりーフ双方に起用されていました。ある意味、先発のみに最後まで拘り続けた鈴木啓示投手とは、考え方が対極にある様に思います。
通算成績 570試合 138勝153敗106セーブ 防御率 3.58 1806奪三振
通算成績 570試合 138勝153敗106セーブ 防御率 3.58 1806奪三振
土橋正幸、尾崎行雄の後、短期間ですが東映フライヤーズのエースとして、森安敏明投手がいました。サイドハンドからの物凄い球速と、何処へいくか分らない荒れ球が武器で、打者にとっては本当に打席に立ちたくない投手だったと思います。シュートの切れも凄く、と言うよりも、どういう回転で打者に襲いかかって来るか、見極める事の難しい投手でした。エゲツなさに関しては、彼の上をいく投手を、私は知りません。しかし、制球力、投球術等、ダルビッシュ有と比較して、遥かに劣るものでした。当然安定感にも乏しく、投手としてほぼ完成されつつあるダルビッシュ有とは、かなり差があるものでした。その後、同チームの速球投手としては、西崎幸広投手がいます。素晴らしいバネを存分に活かして、オーバースローから繰り出される球は、非常に速く、伸び、切れ味も十分なものでした。しかし狙った所に決める制球力や、球の重さにも欠ける点があり、矢張り総合力に於いて、ダルビッシュ有とは、かなり差があるものでした。その他高橋直樹、金田留広等好投手はいましたが、その力量は現在のダルビッシュ有の比ではなく、ダルビッシュ有こそチーム史上最高の投手と言えるかと思います。
佐々岡真司の通算成績は、138勝153敗、106セーブ、2344.1イニング、1806奪三振、防御率3.58になります。多少勝率は悪いものの、非常に素晴らしい成績です。しかし、タイトルを獲得したのは、入団2年目の1991年のみです。当然使われ方もあったのでしょうが、タイトル獲得の年が1年間しかないという事も、多少彼の評価を不当に低くした様な気が、しないでもありません。又彼は、名球会への入会資格も得ていません。現在名球会、投手の入会資格として、200勝或いは250セーブとなっています。つまり勝ち星とセーブ数を合計する規定はありません。間違いなく現実には有り得ないでしょうが、199勝、249セーブの投手には、入会の資格はありません。何となく腑に落ちないものを、感じざるを得ないものです。セーブ250を勝ち星200と評価しているみたいなので、彼のセーブ数106を、勝ち星換算すると、約85になります。彼の勝ち星138と合算すると223という数字になります。結果として名球会が認めている数字に、十分足りる数字になる訳です。私、個人的には、セーブの価値は勝利の8割より、かなり低いと思っていますが、現行の制度の上で、名球会はこの様な数字の投手の価値を、どの様に捉えるか興味深いものです。
ドラフト1位で広島東洋カープに入団、1990年から2007年まで、18年間同チーム一筋に大活躍した右腕投手です。入団2年目の1991年こそ、MVPを始めとし、投手部門の主な賞を獲得していますが、総体的に見て、何故か不当な評価、便利屋的な起用のされ方の非常に多い投手でした。、つまり実力が十分あるにも関わらず、低く評価されたり、先発、リリーフ双方こなせる力量が反って、どちらにも固定されない等、チーム状況もあるでしょうが、終始一貫した起用法をされなかった投手と思います。1990年、新人の年44試合登板、13勝11敗17セーブ、151.1イニング、防御率3.15と素晴らしい成績を挙げます。しかしセリーグの新人王には50試合登板、4勝5敗31セーブ、88.1イニング、防御率3.26の中日ドラゴンズの与田剛投手が選ばれています。この年は力のある新人投手が多く、その内でも特に、パリーグでは特異なフォームからの豪速球とフォークボールの野茂英雄投手が、脚光を浴び、セリーグでは最速157kmの与田剛投手の豪速球が最も注目されていたと思います。佐々岡真司投手も球の速さ、切れ味抜群のスライダーを主武器に、上記のような活躍をするのですが、物凄く速い球を武器に抑えとして大活躍した与田剛に、印象度の差で新人王を奪われたような気がしてなりません。私なら実績重視、先発、リリーフ共にこなし、13勝、17セーブの佐々岡真司投手に迷わず投票したく思うものです。