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日米を問わず名選手を紹介。

大島康徳(5)

2011-01-31 13:24:13 | Weblog
昭和54年、大島康徳は130試合制の当時、全試合に出場、内118試合ファーストを守り、打率0.317,36本塁打、103打点、リーグの最多安打数となる159安打をマークする等、彼にとって間違いなくキャリアハイと言ってもいい数字を残しました。しかし物凄く驚いた事に、彼はベストナインに選ばれておりません。それ以前も現在もそうでしょうが、ベストナインの選考には打撃力の評価を最優先にして、選考する傾向が強い為、当時も今でも何故彼が選考されなかったか不思議でなりません。ベストナインに選ばれたのはあのスーパースター王貞治選手です。引退前年の王貞治の成績は120試合出場、全てファーストを守り、打率0.285,33本塁打、81打点、116安打です。打撃面での数字はどう見ても大島康徳が上回っています。守備面では王貞治に分があると思いますが、走塁面は大きな差はなく、大島康徳の選考漏れには納得がいかないものでした。確かに過去の栄光、実績は素晴らし過ぎる王貞治ですが、ベストナインはその年の、各守備位置でのNO.1選手を選ぶ賞なのですから、大島康徳選手が選ばれて当然だと思います。もっと言えば、選考委員の記者達は、どんな成績であろうと、長嶋茂雄と王貞治の二人だけは絶対に外さないと、最初から決めている様に思えてなりません。数字だけで選考すべきとは、敢えて言いませんが、これ以外にも不思議な選考はかなり多いものです。



大島康徳(4)

2011-01-30 21:18:30 | Weblog
大島康徳の打撃フォームは、初期の頃の上段に高く構える形から、もう一つ個性がないというか普通の強打者のフォームに変化して来ていましたが、残念ながらその時期は私の記憶の中では定かではありません。彼の打撃に関してですが、物凄く分類しにくい打者だと思います。数字的には最高0.333の打率を始めとして、三割を3回記録していますが、毎年三割前後を記録する事もなく、又本塁打も、本塁打王を獲得した年の36本を始め30本以上を3回記録していますが、30本以上の本塁打数を記録した経験のある多くの強打者に見られる様に、不調の年でも20本塁打以上を記録する程の安定性もありませんでした。その不安定さもあり、打点も三桁をオーバーする年もありながら、全く主力打者とは思えない年もありました。つまりその年度による好不調の波が大きく、打撃以外には特長がない事もあり、ほぼ主力選手となった後でも、規定打席に達しない年もありました。彼の打撃に関してですが、バットスピードが物凄く速いという事はなく、又長距離打者に多い、上手くバットにボールを乗せて運ぶという感じでもありませんでした。しかし意外とミートが巧く、必ずしも荒っぽい打撃ではない点等、もう一つ捉えにくい面が彼の長所でもあり短所でもあると思えるものです。

バートロコロン(Bartolo Colon)(1)

2011-01-29 15:30:52 | Weblog
先日、ニューヨークヤンキースとマイナー契約を結んだ、現在37歳の右腕投手です。公称180cm,113kgと上背こそないものの、メジャーの投手の内でもひときわがっしりとした体格から、正しく剛速球を投げ込んでいた投手でした。敢えて過去形で紹介しました様に、昨シーズンはメジャーでの契約はありませんでした。2005年21勝を挙げ、メジャーの投手としての最高の勲章である、アメリカンリーグのサイヤング賞に選出されています。しかしシーズン後半から肩の痛みを訴え、ヤンキーズとのプレイオフでは、先発したものの、肩の痛みの為、早目に降板したことを、物凄く覚えています。サイヤング賞の明と、肩の故障の暗と、両方経験した年が2005年だったといっていいのでしょう。その翌年以降の彼は、矢張り肩の痛みが治り切らなかったのでしょうか?極端に成績を落し、もはやかっての勇姿は全く見られなくなってしまいました。従って昨2010年、メジャーとの契約がないのも止むを得ないのでしょう。マイナー契約とは言え、ヤンキースに入団の彼がどんな状態で戻ってくるのか、期待もありますが、不安を拭い去る事も出来ないものです。

大島康徳(3)

2011-01-28 16:39:38 | Weblog
大島康徳の守備、走塁に就いて少し触れます。先ずは脚力ですが、決して速くはありませんでした。脚の速さもさる事ながら、特に守備、主に外野手としての場合ですが、走り方にスマートさが全くなく、ドタドタした感じでした。又その走り方、守備勘にも恵まれていないせいもあるのでしょうが、後方への当りでも、常に打球を見ながら追いかけている印象すらありました。高校時代は投手だったらしいのですが、色々なポジションでの彼の送球を何回となく見ましたが、一度たりともその片鱗は見られませんでした。とは言え、同じく高校時代投手であった張本勲程の超弱肩というレベルではなく、当然年齢によっても異なりますが、最盛期でも平均クラスの肩の強さだったかと思います。又走塁面でも、速くはない脚のせいもあり、全く目立つ所はありませんでした。つまり守備、走塁部門に関しては、多くの強打者に見られる様に、特筆すべき長所は彼にもなかったと記憶しています。従って粗さの目立った打撃であった入団数年間の彼が、レギュラーに定着出来なかったのは止むを得なかったかと思います。

大島康徳(2)

2011-01-27 10:24:18 | Weblog
昭和46年、一軍に出場する様になってから数年間の大島康徳の打撃フォームは、バットを上段に高く構え、くるっと回すというよりも、傾けたりしていました。当時の強打者、土井正博の投手寄りにバットを傾けるフォームとは違いましたが、非常に豪快な感じを受け、いかにも長打力がありそうな印象を受けました。しかしその反面、まだまだ洗練されておらず、粗さが多分に残っていたと思います。その打撃フォームのせいもあるのでしょうか、その期間の打撃成績、は一定せず、完全なレギュラーにはなっていませんでした。49年、中日ドラゴンズ優勝の年、板東英二が歌う応援歌<燃えよドラゴンズ>の詞では、確か一発長打の代打大島君として紹介されていたと思います。公称182cm,85kgのサイズとなっていますが、肩幅が広く、胸板の厚い、長距離打者の多くに見られる体型ではないせいもあり、長打力ももう一つ物足りなく、かといって打率も上がらないという、その当時は中途半端な選手であったと言ってもいいのでしょう。

大島康徳(1)

2011-01-26 17:11:30 | Weblog
昭和44年入団、実働は46年からですが、平成6年まで実に24年間もの長い現役生活を過ごしました。中日ドラゴンズ、日本ハムファイターズで大活躍した右投右打の選手です。守備位置は、外野、サード、ファースト、日本ハム時代は指名打者での起用もありました。ここ数年、NHKのメジャー中継で彼の解説を聴く事が多いですが、私には結構好きな解説者です。メジャーに就いて、物凄く研究とか勉強している感じこそあまりないものの、流石に2000本以上の安打数を誇る打者出身らしく、こと打撃に関しては鋭い眼力を持っている様に感じます。又順位こそあまり芳しくはなかったですが、日本ハムファイターズで監督経験をしており、その視点からの選手の起用法等に就いても、時折触れており、聴いてて飽きない解説に感じます。最近幸いにも、殆どメジャー中継で解説する姿を見ないのですが、一流の実績を残した投手出身、高橋直樹の研究も分析も全くない退屈極まりない解説に比べ、遥かに大島康徳の解説は面白いものです。

矢作公一(光一)

2011-01-25 17:04:21 | Weblog
1989年から1992年まで、日本ハムファイターズに在籍した右投左打の選手です。しかし実働は1991年までの3年間です。立教大学からドラフト6位の入団ながら、公称175cm,105kgのかなりの肥満体で、同じ様な体型のドガベン香川伸行と同様、その体型でプロで通用するのかどうかの興味もあったのでしょう、キャンプではそれなりに人気のあった選手です。しかし実働10年とある程度活躍した、香川伸行と異なり、悲しいかな全く通用しなかったと言っていいのでしょう。出場機会も少なかった為、彼を見る機会は少なかったのですが、残念ながらプロで通用するレベルではないとすぐ解る選手でした。一見懐深く構えている様ですが、その体型のせいもあり、腰の回転が上手く出来ず、更に彼の最大の欠点であるバットスイングの速さに欠ける為、バットに当たったとしても振り遅れの打球、所謂どん詰まりの打球が多かったものです。つまりアマチュアでは通用しても、プロのスピードには対応出来ないレベルの選手だったのでしょう。走塁、守備には最初から期待されていなかった彼のプロ生活が短かったのも十分頷けるものでした。



通算成績    33試合   6安打    0.167    0本塁打      7打点

菊池雄星投手

2011-01-24 14:36:38 | Weblog
今年の斉藤佑樹投手程ではないにしても、昨年かなり騒がれて入団した左腕投手です。しかし昨年は肩を痛め一軍はおろか二軍でも殆ど登板機会がありませんでした。先日のこのブログでも触れましたが、昨年のキャンプでのフォームは甲子園時代とは全く変わっていました。肩の故障が治っているのかどうか、それにより投球フォームがどの様になっているのか、物凄く興味を持っている投手です。公称184cm,82kgと現代の投手としては、物凄く大きいという程でもないのですが、体の柔らかさ、キレ、肘の撓り方等上手く化ければ、将来かなりの投手に成長する資質を秘めているかと思います。タイプとしては決して江夏豊の様な豪速球型ではなく、金田正一、鈴木啓示、川口和久の様な、球質は重くはないながらも、球の速さ、切れで勝負出来る様な左腕投手に育って行って欲しいと思っています。そこで今年の自主トレでのフォームですが、昨年の様なテークバックの小ささは解消されているものの、腕の位置が少し下がっています。阿波野秀幸氏、張本勲氏はこのフォームがいいと解説していましたが、私には、彼の上体の捻り方があまり変わっていないのに、腕の位置が下がってきた事が、どうしても気になります。意識して腕を下げたならともかく、自然に下がってくる、つまり肩が万全ではない為そうなったのか、今後じっくり彼の投球を見て行きたく思っています。

岡村浩二

2011-01-23 21:48:21 | Weblog
昭和36年から49年まで、阪急ブレーブス、東映、日拓フライヤーズ、日本ハムファイターズで活躍した右投右打の捕手です。公称175cm,80kgとなっていましたが、実際の体重はもっと多くあった様に思える程、所謂捕手体型といっていいと思える体格でした。晩年移籍していますが、私の彼へのイメージとしては阪急フレーブス時代しか思い浮かばない感じです。昭和40年代に入り優勝を争うチームとなった阪急ブレーブスに於いて、彼は正捕手の地位につきます。当時の彼の最大のセールスポイントと言われていたのが、他に比肩する捕手があり得ないと表現される程の、本塁上での突っ込んでくる走者をブロックする力でした。そういう場面に出くわすことはそう多くはなく、残念ながら実際に彼のブロックをそう多くは見た訳ではないのですが、頑健な体を利しての、得点を防がんとする彼のプレーは未だ結構覚えているものです。打撃に関しては、打率は低いものの長打力はあり、意外性を秘めているという評価が当時多かったですが、あまり優れているとは言えませんでした。体型のせいもあるのでしょうが、特に内角球に対して、綺麗に振り切る事が出来ず、やや詰まりながらの打球が多く、秘めているパワー程の長打力は発揮出来なかったと思います。又かなりの鈍足だった事も何故か忘れられないものです。



1370試合   848安打    0.224     85本塁打      395打点

皆川睦雄(睦男)(3)

2011-01-22 15:11:04 | Weblog
今回は昭和43年以降、引退までの4年間に触れたく思います。43年、皆川睦雄は突然変異の様に大活躍します。31勝10敗、27完投,8完封、防御率1.61,352.1イニングを投げて193個の奪三振と、二位のイニング数と、技巧派らしく決して多くない奪三振数以外の上記数字は全て一位です。正に真のエースの成績と言っていいのでしょう。この年の皆川睦雄に就いて、女房役の野村克也は球速が物凄くアップし、リーグでも屈指の速さだと当時述べていましたが、多分この年大活躍した彼へのお世辞かと思います。彼の球速はどう見ても格別速いものではなかったと記憶しています。確かにこの年、彼の球の切れや伸びは、通常の年より素晴らしかったとは思いますが、私には彼の急激な成績アップの理由がもう一つ解らなかったものです。この年彼は投手のベストナインには選ばれるものの、優勝球団所属の同じ投手の米田哲也が選ばれた為、リーグMVPにはなっていません。野手を含めても、この年のMVPに最も相応しいのは皆川睦雄、その人と思います。しかし誰も予期せぬエースとしての大活躍の反動でしょうか、その後3年間の彼は一桁勝利に留まり、年々防御率が極端に悪くなっていき、引退に至りました。しかしその間も規定投球回数は投げ、チームにはそれなりに貢献したと言えるかと思います。