3388 野球ブログ

日米を問わず名選手を紹介。

平成3年のオリックスブルーウエーブ

2009-03-31 20:52:22 | Weblog
かなり珍しい記録を紹介して見ます。天才打者イチローの入団する前年のオリックスブルーウエーブの布陣です。DH制のあるパリーグの為、投手を除く守備に主に就いている選手全員が規定打席に達しています。私の知っている限り確か初めての事だと思います。しかし何故か指名打者は固定されていなかった様です。当時はさほど注目されるチームではなかった為、シーズン後の球団別の記録を見て、結構びっくりしたものです。個別の選手の記録を見ると、規定打席に到達しなくてもいいのではないかと思われる選手も、何人かいた様に思えます。何故この様な記録が生まれたのか考えてみますと、当時の監督は有望な若手を起用する事をあまり考えず、無難な展開を望んでいたかと思います。結果として勝率は5割を僅かに超え、2位とも4位ともかなりの差がついたAクラスの3位でした。はっきり言って、チームの将来への展望など全くなく、取り敢えず無難に行けばいいという監督だったのでしょう。当然この監督は翌年入団してくる、史上最大のプレイヤー、イチローを育てようという感覚は全くなく、或いはひょっとして、天才選手の力を見抜けなかったのかも知れませんが、平成3年の布陣で解る様に、将来への展望等全くない監督だったのは間違いないでしょう。同じ大学出身の監督の推薦とは言え、彼を監督に据えたオリックスは大失敗と言えるでしょう。球団として歴史から消してしまいたい、土井正三の監督時代でしょう。

奪三振数とDH制(1)

2009-03-30 21:01:13 | Weblog
最近発刊されたベースボールマガジン5月号のインタビュー記事で、あの317勝、3061奪三振共に史上4位を誇る左腕快速球投手鈴木啓示が次の様に語っています。(1975年にパリーグにDH制が導入され、投手は打席に立たず、替わりに4番クラスが入ってくる為、当然奪三振数が減る訳で、もしDH制がなければ1割から2割奪三振数が増えていたはずです。)果たして実際はどうでしょうか?少し分析して見たいと思います。先ず単純に割合だけの計算をして見ます。DHがない場合、殆どの場合投手は9番を打ちます、つまり9分の1,0.111の打順の割合です。もっと言えば一番後ろの9番は最も打順の回りにくい訳で、多分全打席中9番の割合は1割を切っているかと思います。つまり数字上は、対戦相手として見た場合1割にも満たない影響なのでしょう。鈴木啓示は上記、投手の替わりに4番打者クラスが入ってくると述べていますが、現実として少なくとも彼の現役時代には、決してその様な事はなく4番クラスの打者がDHになる事はあっても,DHがある為4番クラスの打者が新たに打順に加えられたというのは、一時の阪急ブレーブスの高井保弘しか思い浮かばないものです。つまりDH制導入に依り4番打者は増えておらず,投手よりも打てる可能性のある打者が打席に立っているというのが現実かと思います。

杉山光平

2009-03-29 16:58:29 | Weblog
昭和27年から41年迄近鉄パールズ、南海ホークス、阪急ブレーブスで大活躍した左投左打の、入団当初は一塁、その後主に外野を守っていた選手です。近鉄パールズ時代は残念ながら全く知らず、33年頃からの南海ホークス時代の彼の活躍が印象に残っています。4番野村克也の前の3番を打つ好打者というイメージの選手でした。バットを非常に寝かせて構え,ミートする力は優れていましtが、スイングスピード自体は決して速くはなく、ライナー性のヒットというよりも、やや詰まりながらも巧く野手の間に打球を落としたヒットが多かった様に記憶しています。タイプとしては、三振の少ない中距離打者でしょう。多分寝かせたバットと、十分球を引きつける体勢の為こういったヒットが多かったのでしょう。当時セリーグの近藤和彦の天秤打法に対し、彼の打法は円月打法と呼ばれ、結構有名なものでした。34年には当時日本一の打者山内和広を僅か3厘差で破り、生涯唯一の首位打者にも輝いています。しかしやや年毎の好不調の波があり、意外と安定した成績を残してはいませんが、本当に個性豊かな打法の好打者と言えるかと思います。



通算成績      1485試合    1305安打    0.279    88本塁打     675打点

歴代ベスト9(14)

2009-03-28 23:52:21 | Weblog
今回はセンターの素晴らしい選手を紹介します。外野の内で最も広い守備範囲を要求されるセンターは、当然の如く俊足の選手が多く、又1,2番の打順を打つ選手が非常に多いものでした。知る限りでは古くは中暁生の凄い守備勘、もの凄い盗塁成功率及び異常な程に広い守備範囲をを誇る広瀬叔功、投手出身らしく強肩の柴田勲、史上最速のランナーとも言われる屋敷要の恐るべき守備範囲の広さ、身体能力抜群の飯田哲也のフェンス際でのアクロバチックな捕球、島田誠の俊足を活かした守備等本当に素晴らしいものでした。彼らは素晴らしい選手でしたが、打撃での長打力には些か不足していました。センターで長打力、脚力、守備範囲の広さを誇っていたのは何と言っても、秋山幸ニが筆頭でしょう。通算300盗塁以上、400本塁打以上は他に張本勲以外いない記録です。又故障する前の前田智徳は、天才的な打撃も凄いものでしたが、守備ももの凄く、俊足を活かした守備範囲も広く、制球力抜群の送球は目を見張る程でした。阪神時代主にセンターを守った新庄剛志の鉄砲肩は異常な程、素晴らしくその守備だけで観客を呼べる程のものでした。

鈴木尚典(2)

2009-03-27 20:28:33 | Weblog
もの凄い打撃センスの持ち主でしたが、何故か2度目の首位打者を獲得した平成10年を最後に、成績は伸びず特に平成16年以降の落ち込みは顕著なものでした。円熟期を迎えるべき年齢から逆に、かなりの成績ダウンを見せ始めた理由は本当に理解出来ないものでした。但し一つ非常に今でも気になる事があります。記憶に間違いがなければ2度目の首位打者を獲得した年に、多分テレビ朝日の番組だったと思いますが、あの三冠王3回の落合博満が、鈴木尚典に対して三冠王を狙う力があるのだから、是非狙って欲しい旨の発言をしていました。鈴木尚典はこの発言を意識したのでしょうか、打撃スタイルが変化した様な気がします。つまり非常に柔らかい打撃で典型的な中距離打者であるはずの彼の打撃が、少し変り本塁打を意識しだした為、打撃内容が変って来た様に思えてなりません。実際の所は正直言って解りませんが、非常に気になる落合博満の発言でした。平成16年以降は一度たりとも規定打席と程遠い打席数で、かっての彼の雄姿を知る者としては非常に寂しい限りでした。もう一つ打撃の衰えと共に、急激に出場試合数が減った理由としては、彼の不得意部門の守備面があると思います。守備範囲は狭く、肩は弱く悲しいかな守備面では殆ど優れた面はありませんでした。そんな彼ですから、打撃の下降と共に、出場試合減はやむを得なかったかと思います。

鈴木尚典(1)

2009-03-26 20:25:34 | Weblog
平成3年に入団、大洋ホエールズ、横浜ベイスターズと名称は変れど同チーム一筋に、平成20年迄、大活躍した左投左打の外野手です。先日の自身の引退試合で本塁打を放っています。本当に柔らかい打撃の持ち主で、彼を初めて見た時はこんなにいい選手が横浜にいたものかと、非常に驚嘆したものです。手首の柔らかさを十分に活かし、どの方向にも打球を運べ、更にパワーもある彼の打撃は素晴らしすぎるものでした。その実力を証明するかの様に平成9、10年と連続して首位打者に輝き、通算でも5回三割以上の打率を残しています。しかし彼の打撃なら、もっと多くの首位打者、三割以上を記録していても、決して不思議ではない程の選手でした。打撃スタイルは非常に懐が深く、どんな球にも対応出来る感じで、更にバットスピードも速く、欠点らしきものは見当たりませんでした。本当に間違いなく2000安打以上可能な選手かと確信していましたが、2度目の首位打者獲得以降、彼の打撃スタイルは、少しずつ変化していったものです。



通算成績    1517試合   1456安打    0.303    146本塁打 700打点

谷木恭平

2009-03-25 20:30:38 | Weblog
昭和48年から55年迄、中日ドラゴンズで活躍した左投左打の外野手です。板東英二の歌、燃えよドラゴンズでは二番打者として紹介されており、それなりの実績を残した選手かと錯覚していましたが、今改めて記録を調べてみると、思う程の実績は残していませんでした。8年間の実働の内、一度たりとも規定打席数に達していませんでしたし、通算打率0.258も決して高い数字とは言えません。しかし何故か打者を次の塁に送るのが巧い選手という印象がありましたが、犠打の数字を見る限り必ずしもそうではなかったのでしょう。私の描いていたイメージとはかなり違う、彼の実績でした。昭和40年代までの選手に多く見られたパワー不足の選手という雰囲気が、常に彼には見られ、ある程度の変化球には対応出来ても、高目の速い球には振り遅れるというタイプの選手だった様に記憶しています。又守備面でも特に目立つ点はなく、比較的平凡だったと思います。総体的に言えば、優れた所の少ない平凡な選手という事なのでしょう。



通算成績    737試合   355安打    0.258    21本塁打  93打点   

歴代ベスト9(13)

2009-03-24 20:13:29 | Weblog
今回は主にセンターを守っていた外野手です。福本豊を選びましたが、非常に悩んだ上での選出です。ミスター赤ヘルの山本浩二も素晴らしい外野手で、総合力で甲乙付け難いものです。先ず福本豊は歴代トップの1065盗塁、通算打率0.291、3割到達回数7回とこれ以上ない程の理想の一番打者と言えるかと思います。センターに最も要求される守備範囲の広さも、その驚異的な俊足、守備勘を存分に活かし全く問題なしにこなし、オールスター戦で田淵幸一の大飛球をキャッチした様に、度々アクロバチックな捕球を見せてくれました。しかし彼の最大の欠点は肩が強くないことです。阪急ブレーブスの黄金期、レフト簑田浩二、ライトウイリアムスと組む外野手トリオはもの凄く素晴らしい守備力を誇っていましたが、唯一福本豊の肩の弱さが気になったものです。一方山本浩二は通算打率0.290,536本塁打,1475打点の数字が示す様にチームの主軸打者として、素晴らしすぎる数字を挙げてきました。又守備に関しても優れており、広い守備範囲と福本豊にはない強肩を備えていました。投手経験のある彼のセンターからの送球は非常に綺麗な回転で、もの凄い伸びで捕手のミットに届きしばしばチームの危機を救った記憶があります。従ってどちらを選ぶか非常に迷ったのですが、最も多く盗塁出来るという事で福本豊を選びました。次回はその他の素晴らしいセンターを紹介したく思います。

歴代ベスト9(12)

2009-03-23 20:58:44 | Weblog
今回は外野手で主にレフトを守っていた選手です。張本勲を選びましたが、彼の素晴らしい打撃のみで選び、史上稀に見る超下手な守備に関しては無視しております。その大きな理由としては、恐るべき強肩の大橋穣をショートストップに選ぶ事に依り、その中継でかなり張本勲の弱肩をカバー出来ると考えた上です。矢張り通算打率0.319,504本塁打の安打製造機を外す訳にはいかないでしょう。本当に打撃に関しては素晴らしい選手でした。他に素晴らしい選手を紹介して見ます。先ずは打撃の職人、オールスター男、シュート打ちの名人等。多くのニックネームを持つ山内一弘の打撃は本当にチャンスに強いものでした。10代で近鉄バッファローズの4番の座についた土井正博の思いっきり引っ張る打法は、独特な構えと共に印象深いものでした。通算打率史上2位の若松勉の打撃も非常に素晴らしく、ミートの巧さは群を抜いていたと思います。又攻守走3拍子揃った簑田浩二、高田繁の好打、強肩はどちらかと言えば打撃優先のポジションの内で非常に目立つものでした。現役選手では衰え知らずの金本知憲のタフネスぶりは特筆ものでしょう。又現在メジャーに在籍の田口壮も日本時代は3拍子揃った好選手でした。

森安敏明投手(6)

2009-03-22 14:07:39 | Weblog
森安敏明投手が、もし八百長行為で永久追放されていなかったとしたら、生涯どの様な成績を挙げていたか、推測してみます。彼は入団5年目22歳の若さで追放されている為、将来200勝は間違いなかったとか150勝は固かった等の記事を見かけますが、果たしてそうでしょうか?記事としてはその選手を過大評価して、誇張した方が読者は飛びつき易いのは事実でしょうが、当時の彼の投球を実際に見た上で書いているのか、甚だ疑問の文章も多く見られます。実際追放される前年の昭和44年には、あの驚異の快速球に弱冠の陰りが見え始めていました。その為か奪三振率、防御率、勝利数殆どの部門でかなり成績を落としていました。翌45年追放されるまでの短い期間でしたが、奪三振率が更に悪くなっています。これがどの投手にも見られるシーズン毎の好不調の波ならいいのですが、どうしても球速ダウンが気になっていました。森安敏明のもの凄く肘が撓り、腕が非常に遅れて出てくる投法は素晴らしいのですが、体全体への負担を考えると諸刃の剣の様な気がします。又サイドからの投球も負担が大きい気がします。投球フォームは全く違いますが伊藤智仁も同じ様な理由で活躍期間が短かったと思います。更に制球力、投球術が備わっていなかった森安敏明がその後身に付けるとは考えにくいし、もの凄く武器となる変化球もあの投法からは困難かと思います。従って私の結論としては、最高でも100勝止まりだったかと思います。同チームの先輩尾崎行雄と同様、ある時期から急激な成績下降に陥るかと推測します。しかし殆ど衰えた姿を見せていない訳ですから、あのえげつない、猛烈な快速球しか記憶に残らないプラスの面も大いにあったと思います。