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日米を問わず名選手を紹介。

松井秀喜(3)

2008-06-30 21:31:42 | Weblog
松井秀喜はメジャーに行ってから、被三振率が日本時代より減っている珍しい選手です。日本時代は約5打数に1回の三振でしたが、メジャーでは約7打数に1回と逆に減っています。ここに彼のメジャーでの打撃スタイルが見て取れるのではないでしょうか?つまり唯一の長所のパワーを捨て、クラッチヒッターに徹したいという姿勢が汲み取れます。確かに昨年までは、0.290,25本塁打,100打点を叩き出す堅実な打者というイメージは確立したでしょうが、逆に言えば、もう一つ魅力の少ないどのチームにも存在しそうなレベルの選手という印象に終わるのではないでしょうか?日本では元巨人の選手という事で、その力以上に取り上げられていますが、多分アメリカでの評価は決して高くはないでしょう。是非彼には、その恵まれたパワーを活かし0.250でもいいので、40本塁打以上を目指すべき選手になって欲しいものです。つまり彼にはもっと三振をしてもいいから、思い切って本塁打を狙える選手になって欲しいものです。




松井秀喜(2)

2008-06-29 20:44:01 | Weblog
松井秀喜に守備力を期待するのは、無理でしょう。先ず脚が速くないこと、守備勘が悪いこと、付け加え肩が非常に弱く、決して上から投げられず、スリークォーターよりやや横気味からの送球は、ゴルフで言えばランがなく、目標の場所まで、もの凄く時間のかかる弱肩振りです。強いて長所を挙げれば、捕ってから投げるまでが早い事位でしょう。彼の投げ方を見ているとセカンドが適している様に思えますが、かって大怪我をした様に、決してグラブさばきが巧くないこと、ドタドタした走り方をを考えると、このポシションも無理でしょう。従って現在のDHが最適なのでしょう?日本のマスコミは同じヤンキースで、主にレフトを守るジョニーデーモンと松井秀喜の守備を比較して、遥かに松井秀喜の方が優れている様に伝えていますが、そうでしょうか?確かに超弱肩のデーモンよりは肩はましでしょう。又グラブさばきも、常に同じグラブの出し方しか出来ないデーモンよりは上だと思います。しかし肝心の捕球に関してはデーモンの方が、脚が速い分優れていると思うのですが、何故か松井秀喜を持ち上げる為、デーモンの弱肩をより強調している感がしてなりません。外野手は先ず打球を捕る事が最低限の仕事かと思う訳です。

松井秀喜(1)

2008-06-28 21:16:43 | Weblog
何故この選手がメジャーに挑戦しているのかが、はっきり言って、全く理解出来ない選手です。彼の唯一の長所は、日本人離れした、凄いパワーにあるのに、彼はそれを封印してメジャーに挑戦しました。彼が渡米前から、現在まで言い続けているのは、メジャーの選手にはパワーではとても太刀打ち出来ないという事でした。では、彼に問いたいのですが、パワー以外に優れた点があるのでしょうか?彼には酷でしょうが、メジャーでは極端に弱いと評価される肩、広くない守備範囲、決して速くない脚等、何一つ優れているものはありません。特に脚力、守備範囲、肩の強さに関しては彼を除き、メジャーに挑戦した同じ日本人外野手、イチロー、新庄、田口、福留等は非常に優れています。アメリカのファンは、日本人の外野手の守備力を、たった一人の松井秀喜を除き評価していたかと思います。彼はパワーでは、かなわないと度々発言していますが、そうでしょうか?確かに本塁打王を狙うには不足でしょうが、毎年30本塁打以上を打つパワーはあるかと思います。彼を見ていると、例えば水泳なら得意の自由形ではなく、平泳ぎで挑み、又陸上競技なら、得意の100mを捨て、苦手の200mで勝負している選手に見えてしょうがないものです。是非、彼の意識改革を望みたいものです。

村田元一

2008-06-27 22:21:06 | Weblog
昭和32年から44年まで、国鉄スワローズ、サンケイアトムズで大活躍した右腕投手です。左腕の快速球投手金田正一の陰に隠れがちでしたが、当時国鉄のナンバー2の投手として、非常に安定した実績を残しています。あまり腰の切れが鋭いとは言えないながらも、サイドスローからの投球は、非常にコントロールがよく、四球は非常に少ないものでした。球速は平均位だったと思いますが、変化球、球の切れには秀でていたものです。投手のタイプで言えば技巧派だったでしょう。大エース金田正一に次ぐ投手として、33年の320イニングス、35年の295.1イニングスの投球イニングスを消化した事は現在の投手には信じられない数字でしょう。地味な存在でしたが、本当に貴重な投手だったと思います。彼にとって金田正一の存在はプラスなのかマイナスなのか、どの様に映っていたのでしょうか?一度聞いてみたいものです。



通算成績     459試合    118勝140敗    防御率    3.05
990奪三振

西三雄

2008-06-25 20:30:02 | Weblog
昭和37年から43年まで、大毎ー東京オリオンズ、大洋ホエールズに在籍した右腕投手です。公称の身長体重は170cm,75kgでしたが、実際は身長はそれより低く、体重はもっとあった様な気がします。投球フォームは、その体型のせいでしょうか、もう一つ腰の切れの鈍いサイドスローからの、カーブやスライダーを武器にした技巧派投手でした。ストレートの球速は平均以下で、伸び切れ共に不足していました。しかしその球威で38,39年には当時の規定回数には達しないものの、かなりいい防御率を残しています。彼の成績を見ると、一部の打者を除き、全体的には打者のレベルは低かったと思わざるを得ない様な気がします。彼には酷な言い方かも知れませんが、典型的な二流投手の域を脱する事の出来ない投手だったと思います。



通算成績     188試合    26勝25敗    防御率     3.14 312奪三振


盗塁成功率

2008-06-24 22:13:31 | Weblog
盗塁成功率に関しては、改めて言うまでもなく、選手が盗塁を企画して初めて成り立つ数字です。通常レギュラーである限り、普通に回ってくる打席と大きく異なり、選手が盗塁を仕掛けない限り数字は現れてきません。従ってある程度以上の数字を残している選手の数字を比較すべきかと思いますが、日米共にシーズン毎の明確な規定はありません。もっと言えば盗塁成功率というタイトルもありません。しかし、次の塁に進むか、一つのアウトを献上するか、大きな違いがあるかと思います。メジャーでは通算300盗塁以上の選手の盗塁成功率を比較するのらしいですが、現役選手での比較では、現時点でイチローが81.8%で2位につけています。1位は83.1%のトニーウオーマック選手ですが、是非ともイチローには数字、率とも大きく上回って欲しいものです。もし日米共に、シーズン毎の盗塁成功率という項目を正式に設けるのであるのならば、出来れば30盗塁以上にして欲しいものです。

屋敷要(守備、走塁編)

2008-06-23 21:24:31 | Weblog
昭和53年から平成7年まで、大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ、読売ジャイアンツで大活躍した外野手です。彼を語るときに絶対欠かせないのが、プロ野球史上最高クラスの俊足でしょう。本当に脚はもの凄く速く、大洋時代スーパーカートリオと並び賞された加藤博一、高木豊と比べても、その脚の速さは比較できない程のレベルでした。しかし入団後数年間は、その俊足の割には、盗塁技術が未熟で結構失敗が多かったものです。その後盗塁のコツを掴んだのでしょうか、3年連続盗塁のタイトルを獲得するなど、抜群の俊足を十分に活かせる選手になりました。又その比類なき俊足は、守備でも十分に活かし、守備範囲の広さは史上最高クラスであり、更に守備勘も素晴らし、度々アクロバチックな捕球を見せ、観客を唸らせたものです。肩はもの凄いと言う程のレベルではありませんでしたが、平均以上の強さを持っていました。ゴールデングラブを5回受賞していますが、些か回数が少ない様な気がする程の守備力でした。



通算成績     1628試合     1146安打    0.269   58本塁打    375打点      327盗塁

上田和明

2008-06-20 22:34:43 | Weblog
昭和60年から平成5年まで、読売ジャイアンツに在籍し、主にショートストップを守った選手です。大洋に入団した竹田光訓の外れ一位での入団でしたが、はっきり言ってどちらの選手が入団しても、ほとんど差が無い程の低い一位指名の選手でした。当時の球団首脳陣は何故、この程度の選手を指名したのでしょうか?本当に不思議です。上田和明に関しては、本当に線の細さのみ目立つ選手で、誰がどう見ても主力選手になり得る人材ではありませんでした。体は細く、当然パワーはまったくなく、打撃には全く優れていませんでした。但し、多少脚は速い様で、度々代走での登場があった様に記憶しています。8年間の実働ですが。通算打数302回と、全く働いておりません。彼には酷でしょうが、ドラフト一位指名と言う事自体が不思議だった代表的な選手でしょう。




通算成績     203試合     61安打     0.202    5本塁打    18打点

金田正一の自慢(11)

2008-06-19 20:56:57 | Weblog
昨日の試合、日本ハムファイターズの多田野数人投手の超スローボールを見て、昭和30年代中盤、金田正一の投じる超スローカーブを思い出しました。当時やや球速に陰りの見え始めた金田正一は、自己の速球をより速く見せたかったのでしょうか、時折おちょくった様な、本当に遅い球を、打者をからかった様に投げていました。但し、多田野投手と違い、その球が投じられるまでは、打者には解らない投球フォームで投げられていました。従って打者は、振る事が出来ずに結構見逃していた記憶があります。その当時彼は、投球とビールは同じで、ホップがなければ意味がないと言う発言を度々していました。これは37年に衝撃的なデビューをした、東映の尾崎行雄の異常な程にホップする豪速球への対抗意識ではないでしょうか?しかし、球速、ホップする感じ共に、尾崎行雄には及ばないものだったと思います。又当時彼は自著「やったるで」で、気合さえ入って入れば、ド真中でも打たれないと言う記述をしています。しからば、相手打者が同じ様に気合が入っていた場合はどうだったのか、一度聞いてみたいものです。

高木喬

2008-06-18 21:37:34 | Weblog
昭和38年から48年まで、近鉄バッファローズ、西鉄ー太平洋ライオンズで活躍した左投左打の一塁手です。やや体の固さを感じさせるものの、ライナー性の打球の多い、非常にミートの巧い打者でした。タイプとしては、あまり本塁打は多くないものの、中距離打者だったと思います。40年には0.304で打撃ベスト10の3位に入っています。打撃に関しては素晴らしいセンスを見せていましたが、守備走塁に関しては、決して優れてはいなかったと思います。ある程度の数字を残している割に、以後マスコミに、この選手の名前が出てこないのは。矢張り八百長の実行者という事に由来するかと思います。当時の近鉄の兼任監督小玉明利、捕手吉沢岳男、投手木原義隆と共に、八百長に加担した事はかなり知られた事実であります。しかしこの選手は、永久追放される事もなく、48年の引退まで、レギュラーではないものの、ライオンズに在籍し続けた稀有な存在の選手でした。



通算成績      1074試合    736安打    0.266   41本塁打    271打点