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日米を問わず名選手を紹介。

禁止薬物(1)

2012-11-30 13:51:38 | Weblog
今シーズン、メジャーリーグでは2人の選手が禁止薬物テストテロンの使用で50試合の出場停止を受けています。その内の一人、メルキーカブレラ選手は規定打席に1打席足りないながらも0.346の高打率で認定首位打者の権利を得ていましたが、辞退されられたのかも知れませんが結果的に認定首位打者を辞退しています。打率は数字をかなりアップさせているのですが、打点や本塁打は打席数を考えた割合で見たとしても逆に数字を落としています。今シーズンの彼をあまり多くは見ていないので一概には言えませんが、数字から追っていく限り、あまり長打を狙わない打法に変え確実性が増し堅実な打者に近づいて来たと言えるかと思います。彼がいつ頃から禁止薬物を使用して来たか分かりませんが、テストテロンの効能と言われる筋肉増大、男性的な体を作るとは必ずしも一致しない成績の様な気もしています。私は薬物に関して専門外であり、その効能に就いては文献で知る範囲でしかありませんが、使用したとされる選手の成績にどの位の影響を及ぼすものか常に疑問を持っておりました。特に野球の様に相手があり技術を要求される要素の強いスポーツの場合、どんなものなのかといつも思っていました。

倉田誠(2)

2012-11-29 16:40:00 | Weblog
倉田誠の投球フォームは比較的打者に正対し且つ肘の撓りに欠ける為、折角の角度ある投球も打者にしてみれば相対しやすく、球速はそこそこありやや重めの球質ながら所謂手元での伸びに欠ける棒球に近いものでした。後に同じく読売ジャイアンツに入団する西山一宇投手とタイプとしては似ているかと思います。殆ど同時期にデビューした村田兆治投手も当初は抜群の球速がありながらも、もう一つ伸びのある球とは言えませんでした。しかし村田兆治はマサカリ投法にする事により投球の際のタメを覚え、そのせいか肘も撓り切れも威力もある球を投じられる様になったと思います。村田兆治程の球速はなくとも、もう少し色々と工夫が出来ていれば昭和48年の投球は出来過ぎとしても、もう少し活躍出来たのではないのかと思います。このタイプ、つまり切れや鋭さを感じさせない投手は打者に慣れられた時点で先行きがかなり暗くなる為、長く活躍する事が出来ないのではないかと思ってしまいます。



通算成績    374試合    55勝37敗    防御率 3.36     13セーブ     644奪三振    

倉田誠(1)

2012-11-28 20:47:00 | Weblog
昭和40年に読売ジャイアンツに入団、その後ヤクルトスワローズに移籍し昭和55年に引退した右腕投手です。登板なしの年度がある為実働期間としては14年になります。公称185cm、83kgと当時としてはかなり恵まれた長身から投げ下ろす速いストレートが最大の武器と言われた投手です。43年に少し頭角を表しますが、その後伸び悩み本当に活躍したと言える年は48年の18勝9敗、防御率2.74で最高勝率0.667に輝いた年のみと言えるかも知れない投手です。本格的なデビューの年と言える43年、倉田誠の投じる球は単に球速だけなら堀内恒夫や高橋一三をも凌いでいるのではないかという話が読売系の新聞や評論家の間を中心に囁かれていました。しかしこの様な噂は何々二世とか第二の何々と一緒で、実際にはそうでない場合が殆どです。悲しいかな倉田誠もその例に当てはまり過大評価された投手と言っていいのかと思います。長身で比較的上体の高い感じから投じる彼の球は、角度こそあるものの所謂伸びのある球とは程遠く球速も噂程のものではありませんでした。

森徹(4)

2012-11-27 15:34:35 | Weblog
森徹はかって本塁打王を分け合ったライバル桑田武と大洋ホエールズで一緒になります。しかし二人が20本塁打以上をマークしたのは2シーズンしかなく、二人の長距離砲への期待は些か物足りないものに終わりました。プロ入り当初の勢いからすると通算打率0.251、189本塁打、585打点、更に安打数も971と1000本安打、200本塁打も未到達という満足できないと思われる成績に終わっています。私の記憶違いでなければ、元々視力が弱く、乱視も加わった為、現役晩年はボールの見極めが困難になったという記事を目にしたと思います。主にライトを守っていた守備に触れます。脚力は決してある方ではなかったと思いますが、特筆すべきは鉄砲肩、バカ肩ともいうべき驚異の強肩でした。所謂地肩がもの凄く強く、あまり助走をつけずとも矢の様な送球を度々見せてくれました。昭和30、40年代の強肩外野手としては町田行彦や福田昌久、田中久寿男等と共にトップクラスだったと思います。皆多少打撃が粗い点も似ているかとは思います。イメージ的には日本の現役選手にはおらず、メジャー、ウラジミールゲレーロやホアンクルーズが近いかと思います。森徹の肩は滅法強いものの、制球には今一つ恵まれず、目指す野手をオーバーする送球も多く見せられたものでした。

森徹(3)

2012-11-26 15:59:30 | Weblog
森徹は昭和36年のシーズン後、当時の中日ドラゴンズの濃人渉監督との確執から大洋ホエールズに放出されています。その時点ではまだセリーグを代表する打者だった森徹と監督濃人渉とのこじれた関係の噂はかなり有名であり、多く雑誌やスポーツ紙に書かれていた事は今でもよく覚えています。又余談ですが大洋ホエールズ入団後、森徹(モリトオル)、秋山登(アキヤマノボル)と行動を表しているというか、覚え易いというかの名前が揃ったのも何故か記憶に残っています。森徹の打撃に触れたく思います。身長こそ大きくはないものの、上体の発達したがっしりとした体型から放たれる打球は飛距離もあり打球も速いものでした。しかし公称の身長、体重が非常に酷似しているパリーグの強打者中西太と比較すると、腰の回転を巧く利用できず類まれな怪力を利用して長打力を発揮している様に感じました。又打撃に於いて柔軟性を非常に感じさせる中西太と異なり、スイングパターンの少ない、球種やコースに対応しづらい打撃フォームに感じてなりませんでした。発達し過ぎた上半身に下半身がついて行っていない様に思えたものです。

森徹(2)

2012-11-25 15:02:07 | Weblog
入団2年目の昭和34年、森徹は最大のハイライトを迎えます。0.282、31本塁打、87打点と3部門とも自己ベストの成績を収めます。新人の桑田武と同数ながらも本塁打王獲得、更に打点王も獲得し二冠王になっています。正にプロ野球生活最大のピークだったかと思います。翌年彼の数字は0.247、21本塁打、72打点となりますが、かなり数字を落とした打率以外、本塁打、打点に関してはその年の打者の数字のレベルが非常に低かった事もあり両方共首位の藤本勝巳に次ぎ、あまり差のない2位に食い込んでいます。入団3年目を終えた時点では、当時圧倒的な人気を誇る長嶋茂雄と比較すると通算打率ではかなり差があるものの、通算本塁打数では凌ぎ、通算打点数でもあまり開いていない差であり、桑田武と共に長嶋茂雄の特に長打力の面で、最大のライバルという位置づけに間違いなくあったと思います。しかし森徹はその後多少頑張ったと言える年はあるものの、残念ながら長嶋茂雄と比較される様な年は全くなく、極端に言えば入団後最初の3年間で全てのいい所を出し切った選手と表現していいかと思います。

森徹(1)

2012-11-24 11:01:58 | Weblog
昭和33年、早稲田大学から中日ドラゴンズに入団した右投右打の外野手です。後に知ったのですが高校は付属の早稲田高等学院とプロ野球選手としては非常に珍しい経歴かと思います。公称173cm、95kgと当時の選手として体重は最重量の部類に入っていました。しかし当時の捕手に多く見られる太めの体型とは異なり、上半身が見事に鍛え上げられたプロレスラーの様な体格をしていました。33年開幕前に発刊された週刊ベースボール創刊号では、彼は完成されていない暴れ牛と紹介されています。又同じ号に西鉄ライオンズと読売ジャイアンツの選手の対談記事が掲載されており、そこではオープン戦で対戦したのでしょう、中西太と豊田泰光が異口同音に森徹の怪力とファイトのある点を褒めています。その創刊号での扱いを見る限り、六大学出身の強打者としてかなり期待されて入団した事が十分分かる様な気がします。その年森徹は0,247、23本塁打、73打点を挙げ本塁打と打点はリーグ2位の数字になります。しかし本塁打王と打点王を獲得し打率でも2位の同じく六大学出身の長嶋茂雄の存在があった為、どうしても2番目というイメージはありました。

100マイルの投球(5)

2012-11-23 15:08:50 | Weblog
100マイル以上の球速の投球回数は近年増えていく傾向にあります。以前は圧倒的な球速を誇るジョエルズマヤ投手が三桁を3回記録したり、シーズンによっては100マイル超えのおよそ7割を彼一人で計時したりしていました。その彼が右肘を再び痛め手術を受ける事によりシーズン前に解雇されましたが、今シーズンの100マイル超えは27人の人数、781回とズマヤがいなくても数字は伸びています。3人の投手が100マイル以上を三桁計時するのも初めての事です。つまり一人の抜群の球速の投手が100マイル以上を多く記録するのではなく、多くの投手が100マイルを超すようになって来ており総じて速い球の投手が増えて来たという事は言えるかと思います。しかし先発投手で100マイルを多く期待出来る投手はジャスティンバーランダーしかいないのが現状です。少し前までは100マイル以上の投球を見せていたフェリックスヘルナンデスの場合、かって95マイル以上を多く投じていましたが、今シーズンのファストボールの平均は92.1マイルと球速はかなり落ち込んでいます。しかし彼の素晴らしいのは、敢えてスピードを出さずとも相手を抑えられる領域に入っている事かと思います。同じくかって100マイル以上を投げていたウバルトヒメネス投手の場合、球速の低下と比例して成績も下降していっています。先発投手で100マイルを多く超す投手の出現を期待したく思います。

五十嵐亮太、日本復帰

2012-11-22 11:37:08 | Weblog
五十嵐亮太がソフトバンクと3年出来高込みの最大総額6億円で契約したそうです。今年メジャーで4試合、4イニング、被安打9、与四球5、
失点自責点共に8、防御率18.00と数字上全くいい所のなかった投手に、例え出来高込みとは言え非常に高すぎる条件での契約かと思います。西岡剛もそうですが、殆ど活躍できなかった選手を平気でしかも好条件で争奪戦まで繰り広げる日本プロ野球界に本当に嫌気がさす思いです。先ほど高すぎると書きましたが、来年の五十嵐亮太はある程度の成績を残しそうな気がします。その最大の理由としては日米のスピードの差にあるかと思います。今シーズンの五十嵐亮太の登板は全て見ましたが、ファストボールは最速96.6マイル(155.4km)、平均では94,7マイル(152.4km)をマークし下降気味であった球速が戻っています。更にカーブ、フォーク、シンカー等変化球も日本時代より多くなっています。メジャーでは残念ながら豪速球投手の部類には入りませんが、来年もこの球速が出せるなら日本ではトップクラスの速さになる事と、パワーで劣る日本では大胆な投球も可能であり、全盛期に近い数字を残すことはあり得るかと思っています。

100マイルの投球(4)

2012-11-21 16:18:38 | Weblog
今シーズン最も多く100マイル以上を計測した投手はアロルディスチャップマンが242回、2位がケルビンへレーラの162回、3位がアンドリューキャッシュナーの104回になります。100マイル到達回数781回からするとおよそ3分の2をこの3投手が叩き出しており、チャップマンに至っては3分の1に近い回数を1人だけで達成している事になろうかと思います。今シーズンの100マイル以上242回は、2010年あの豪速球右腕ジョエルズマヤの233回を上回り、史上最高かと思います。残念ながら当方の手元には2004年以降のデータしかないのですが、近年増しつつある投手の球速からすると多分間違いないかと思っています。100マイル以上複数回到達者は17人と以前書きましたが、1位の左腕チャップマンを除き他の16人は皆右腕投手です。ファストボールの平均球速95.7マイル(154.0km)のジェイクマギーが26位ながらも左腕投手では2位になります。右腕投手の方が左腕投手より人数が多いという事を鑑みたとしても、今シーズンは例外のチャップマンを除けば圧倒的に右投手の方が球の速い投手が多いという事が言えるのでしょう。