ご存知ボストンレッドソックスの本拠地です。本当にこんな形状の球場があっていいのかなという形の球場です。左翼までの距離が約96mと極端に狭い為、その分を高さ11.3mの巨大フェンスで補っています。様々な形状の球場の多いメジャーでも、異質な存在かと思います。かってレッドソックスで大活躍した、天才的な強打者のマニーラミレスは、どう見ても守備の巧い外野手とは言えませんが、ことこの球場の特質は非常に良く理解しており、高いフェンスに直撃した打球の処理に関しては、どこに戻ってくるか殆ど解っている感じで適切な打球の処理をしていたものです。その守備力の割に、何故か守備に就きたがる松井秀喜ですら、この球場の特性に慣れたなら、彼の脚力、肩でも通用するかと思わせる球場です。この球場の形を見る度に、ある一人の本塁打を放つ事にかけては、天才的な日本人の打者が思い浮かびます。天才ホームランアーティストと呼ばれ、もの凄く綺麗なアーチを描く彼の打球なら、巨大なフェンスは全く関係なく、一体この球場でならどの位のホームランを放つか、もの凄く興味のある所です。既に引退している選手であり、仮想の話ですが、是非全盛時代の田淵幸一に、この球場で打席に立って欲しかったものです。
昨日松井秀喜はメジャーで150本塁打を達成しました。勿論日本人初の150号という事で、素晴らしいのですが、日本時代の彼の本塁打数を考えたらあまりにも遅い時期での達成と言わざるを得ません。日本プロ野球時代の彼は10シーズンで332本塁打を放ち、13.8打数に1本塁打の割合でしたが、メジャー移籍後の彼は昨日時点で24.0打数に1本塁打と、明らかに本塁打ペースが落ちています。メジャー移籍後の彼の数字を並べて見ます。打率0.290,150本塁打,643打点なのですが、日本時代と比較して本塁打数が激減しています。守り走りに優れない彼の本当に唯一とも言える長所を捨ててまで、何故彼はメジャーに拘っているのでしょうか?残念ながら私には理解できません。もっと言えば彼は日本プロ野球に居続ければ、今頃は通算本塁打数は600本を越え、多分通算打率も3割を超しているのでしょう。つまり日本プロ野球に居続ければ、間違いなく歴代の強打者ランキングでもかなりの位置にランクされる打者になった事でしょう。しかし悲しいかな、メジャー移籍後の数字が、日本プロ野球での彼への評価を、将来著しく低くする可能性は非常に高いのでしょう。
実働は昭和35年から39年までですが、37年には一軍での登板がない右腕投手です。と言うよりも彼の名前は野球選手というよりも、プロゴルファーとしての方が遥かに知られていると思います。入団当時、彼はかなりの本格派投手と言う噂でしたが、彼を一回見ただけで、噂というのは矢張りいい加減なものだと再認識させてくれたレベルの投手でした。公称181cm,82kgと当時の投手としては大型であり、見る者に期待を抱かせる感は非常にありました。しかしオーバースローに近い位置から投じる彼の球には、球速こそやや速いと感じさせるものの、球の伸び、切れには一つとしていいものはありませんでした。彼の投球フォームは、体が固いのでしょうか、非常にぎこちなさのみが残り、その為か肘の撓りが全くない投球でした。タイプとしては後の仲根政裕の投球に近いものでした。一言で言えばシャープさとは程遠い投手でした。当然プロで1勝もしていないのも、肯けるものでした。
通算成績 43試合 0勝5敗 防御率 4.10 奪三振 43
通算成績 43試合 0勝5敗 防御率 4.10 奪三振 43
最近非常に気になるのが、松井秀喜の三振が非常に多い事です。以前にこのブログでチームの主力、中心とも言うべき長打力を期待される打者は、その長打力を発揮する為に、無理をしてスイングする事があり、ある程度の三振の多さは止むを得ないと書きましたが、それはあくまでも長打力を発揮出来ている打者の場合です。日米問わず長距離打者で、シーズン三桁の三振を喫している打者は結構多いものです。しかし松井秀喜の現時点の成績は打率0.259,本塁打9本、打点41と決して満足のいくものではありません。その為かシーズン当初の4番から外され、最近の打順は主に5番となっています。どう考えても長打力を発揮しているとは思えないのですが、既に59三振、4.25打数に1個の三振と非常に高い被三振率となっています。簡単に言えば、長打力の魅力が無いながらも粗さのみが目立つ打者と言えるかと思います。同じく日本人選手、福留考介、松井稼頭央、岩村明憲の悪い面にのみ似てきた感じと言っていいのでしょう。特に目立つのが、ボールとの距離が非常に離れている空振りが多い様な気がします。ヤンキース時代より思い切って振っているのが目立ちますが、これはパワーの衰えを意識してのスイングでなければいいかと思いますが、何かと不安材料の多い最近の松井秀喜の状況でしょう。
実働は昭和30,31年の読売ジャイアンツ時代と35年の広島カープ時代のみの右腕投手です。私が彼の投球を見たのは、多分34年の読売ジャイアンツ時代のオープン戦だったのでしょう。かなり昔の為、オープン戦か公式戦か、確かな記憶はないのですが、その当時彼の公式戦での登板はなかった為、オープン戦だったのでしょう。しかし彼の投球は約50年経た現在でも、かなり鮮明に覚えています。残念ながら彼のアンダースローからの投球は、どう見ても一流投手とは程遠いものでした。二流のアンダースローの多くがそうである様に、彼の投球には、アンダースローの投手に必須とも思える、深い沈みこみが全くなく、腰の回転も浅く、正しく球を置きにいっている感じでした。当然の如く、球速には非常に乏しく、現在の投手より全体のレベルとしては遅いと思われる当時の投手の内でもかなり遅い投手と言えるのでしょう。たった1試合しか彼の投球を見ていないかと思いますが、そのレベルが解ってしまう投手だったと思います。
通算成績 18試合 2勝1敗 防御率 2.93 奪三振 25
通算成績 18試合 2勝1敗 防御率 2.93 奪三振 25
当然というか、勿論というか、自信の塊、自意識過剰の不世出の400勝投手、金田正一投手の事です。スピードガンのなかった時代に現役生活を過ごした彼が語るには、常にあらゆる時代の最速投手の数値以上を自身が投じていたと発言しています。残念ながら彼の発言の年度をはっきりと覚えている訳ではないのですが、引退数年後の彼は自身の球速を157kmと評していました。、しかしその後、その数値は何故か160kmオーバーに変って来ました。今でもビデオに残してありますが1990年代の初めの頃、NHKで日本NO.1の速球投手は誰かという番組がありましたが、そこでは金田正一がトップであり、その球速が160kmを超しているかが話題になり、その番組の出演者の一人梨田昌孝は160kmを出ていないだろうと発言し、パンチョ伊東氏は400勝に敬意を評し160km超していたであろうと発言しています。その後金田正一は色々な投手の球速を知るに当たり、自身の球速もアップし、170km以上の発言もある様です。確かにスピードガンのなかった時代に投げていた彼としては、自身の球速を計るべき手段としては、時代毎の快速球投手の数字を目安にするしかなかったのでしょうが、どう考えても彼の速球が170kmを超していたとは考えられないものです。彼の球が速かったのは紛れもない事実ですが、日本一の投手イコール日本一の速球投手と言えないのも現実かと思います。
昭和42年から49年まで、大洋ホエールズ、ロッテオリオンズ、再び大洋ホエールズに戻り引退した左腕投手です。この投手と藤本和宏投手がどうしてもイメージ的にだぶってならないものです。同じ左腕投手、ノーヒットノーランの達成、実質本当に活躍したのは僅かな期間のみと共通点は多いかと思います。鬼頭洋投手は均整のとれた体型の左腕投手でしたが、ほぼスリークォーターに近い感じの位置から投じていましたが、球速は多分平均前後ながらも、私が主に見た昭和45,46年頃は非常に切れ味鋭い投球をしていたと思います。球の伸び、切れには見るべきものがあるものの、球質はかなり軽い部類に属していたと思います。その2年間は、切れ、伸びのある球を活かしかなりの奪三振率を誇っていました。しかし基本的に球速、球威に物足りなさの残る投手の多くがそうである様に、その後、急速に成績を落としていったものです。変化球も含めて本当の意味での勝負球となるべき球種はなかったかと思います。それにしても何故か印象に残る投手でした。
通算成績 194試合 29勝41敗 防御率 2.88 奪三振 468
通算成績 194試合 29勝41敗 防御率 2.88 奪三振 468
多分明日の試合でマリナーズのイチロー選手が、日米合算の10000打数に達すると思います。以前にも書きましたが、私は基本的にはレベルも試合数も異なる日米の記録を合算する事には非常に疑問を感じており、張本勲の主張する日本の通算安打数の記録は3085本の張本勲自身であり、イチローの記録はあくまでも参考記録と言う意見には賛成です。しかしイチローは日本で3619打数、メジャーで今日まで6378打数と、10000打数に残り3打数に迫っています。日米合算とは言えこれだけの打数をこなして来た事には敬意を表さざるを得ません。因みに日本では実働26年10472打数の野村克也選手のみが10000打数を越えています。更にイチローのもの凄く素晴らしいのは日本で1278安打、メジャーで2125安打、通算3403安打を放っている事です。日本では通算打率0.353と圧倒的に他の打者を引き離しながらも、通算打率の規定打数とされる4000打数に不足している為、彼の名前は通算打率トップにはありません。一方メジャーでは5000打数を通算打率の規定としていますが、既に軽くクリアーしており、メジャー同期のアルバートプホルズに現時点で僅かの差をつけて現役選手ではNO.1の座を誇っています。今後どの位の安打を積み重ねていくか、本当に興味深いものです。稀代の天才打者を今後も見続けていきたく思います。
現在ローキーズ傘下の3Aでプレーしていますが、悲しいかなあまり結果が出ていません。このままの状態だと、厳しい現実が待ち受けている様な気がします。つまりメジャーへの昇格がなく、日本復帰への道しかない様な気がします。何回か触れましたが、日本では超一流であった彼の内野手としての肩はメジャーではそれほどのものではないこと、更に日本では縦横無尽に盗塁してきた彼ですが、メジャーでは基本的に出場試合数が少ない事もあり、盗塁企画する事すら減っているのが現実です。又日本ではかなりの長打力を発揮出来た打撃でも、より速く重いメジャーの投手相手では、思う様にいかず、日本で変に長打力が発揮出来た為に、粗くなった打撃のみが残っているのが現状です。彼がメジャーに挑戦した時点で、彼の力を活かすには外野手転向が好ましいと思っていました。つまりメジャーでは決して一流には成りえない彼の内野手としての守備の負担を軽くしてあげる事、又日本では屈指の肩と俊足を活かすには、負担の軽い外野手が好ましいと思いました。メジャーとしては肩が強くない事から、ショートからセカンドへのコンバートはありましたが、もし外野への転向があったとしたらどうだったでしょうか?結構興味深いものです。
残念ながら、今日パイレーツから事実上の戦力外通告を受けました。今年の現在までの彼の、成績を考えたら止むを得ないでしょう。多分現在の年俸ならシビアーなメジャーの他球団が、獲得に動く事はないでしょう。もしあったとしてもマイナー契約でしょう。つまり現在の松井稼頭央と同じ様な立場になる事が濃厚かと思います。高額な年俸もあり、今後マイナーとは言え予想外のもの凄い活躍をしない限り、メジャーでの生き残りはもの凄く厳しいかと思います。以前にも触れましたが、日本時代にはその小柄な体ながら40本塁打以上を記録する等、非凡なパワーを見せていましたが、そのパワーを発揮する反面、打撃にはかなり粗さが目立ち、非常に三振の多い選手でした。メジャー挑戦後の彼は、相手投手のレベルの違いもあるのでしょうか、打撃の粗さは消えないまま、パワーを全く発揮出来ない状態が続いています。辛辣に言えばパワーがないながらも、粗さの消えない選手と言うのが彼への評価かと思います。もの凄く厳しい現況かと思いますが、是非頑張って欲しく思います。間違っても日本プロ野球への復帰を、安易に考えて欲しくはないものです。