3388 野球ブログ

日米を問わず名選手を紹介。

通算記録(2)

2010-01-31 20:16:20 | Weblog
通算本塁打868本、2位の野村克也の657本塁打を圧倒的に引き離す本塁打数を誇っている王貞治も,数字的に見れば、3割を保った時点の0.301で引退しています。最後の年規定打席に達した年度の内では、最も低い打率の0.236でした。流石に本塁打30本を放ってはいたものの,力の衰えは明らかでした。入団2年目から、ほぼ全試合に出場してきたスターの彼を,いかに力が衰えたとは言え,球団としてはスタメンから外す訳にはいかず、もし翌年度も現役を続けたとしたら,通算3割は切っていたかと思います。又3000安打までも200本以上残っており、これも期待薄という事もあったかと思います。又ほんの少し晩年を見ただけの、天才打者と言われる大下弘も数字を見る限り通算3割を意識しての引退かと思われます。最後の年規定打席未満ながら3割をマークしていますが、晩年の4年間は全て一桁,それも4本以下の本塁打数に終わり、長打力の衰えは明らかであり、もっと言えば,単打を狙う打撃に徹さなければ,率が残せない状況になっていたと推測されます。更に引退前年の打率も0.221と非常に低かった事も、現役への未練を断ち切った要因かと思います。

通算記録(1)

2010-01-30 21:33:28 | Weblog
打者の場合,現役を長く続ければ続ける程,伸びる本塁打や打点の積み重ねの記録と,率で競われる打率があり、力の衰えた選手は,どちらに焦点を置くかによって,引退の時期が異なってくるみたいです。特に打者にとって生涯打率3割は凄い勲章であり、それを保ったまま引退したいと言う気持ちは十分に理解出来るものです。あの巧みな打撃術を誇る篠塚和典も,最後の年147打数で35安打0.238と言う数字で引退し、通算打率0.304の記録を残していますが、彼の場合一応名球界への入会資格となる2000本には,残り300本以上あり,現実的には達成は困難な為、他の事由もあるかも知れませんが、打者にとって名誉となる通算打率3割を維持したままの引退を選んだ様な気もします。又同じく抜群の打撃術を誇り,篠塚和典よりも遥かに,長打力に優れていた谷沢健一も,最後の年220打数60安打0.273と言う数字で引退しています。彼の場合前年に既に2000本安打を記録していますが、矢張り力の衰えを感じ,0.302と通算3割を維持した時点での引退を決意した様な気がしてなりません。つまり力が衰え、引退が目前に迫った選手には率を選ぶか,或いは積み重ねの数字を選ぶかの決断を迫られるという事なのでしょう。

一流のアンダスロー投手(2)

2010-01-29 20:25:15 | Weblog
ロッテオリオンズ一筋に活躍した仁科時成は,球速は決して速くはないながらも,と言うより遅いのですが、長い期間安定した成績を残しました。深く沈みこみ,非常に球離れが遅く,その為か打者の手元ではよく変化していたと思います。又時代は前後しますが,阪神タイガースで活躍した渡辺省三は、あの精密機械小山正明がお手本にした程の,抜群の制球力を誇っていましたが、悲しいかな球速は三流或いはそれ以下だったかと思います。又主に中日ドラゴンズで活躍した三沢淳の,球速には欠けながらも、綺麗なフォームからの切れのある投球は印象深いものがありました。西武ライオンズで活躍した松沼兄こと、松沼博久の球威は、アンダスロー投手の内ではかなりのものがありました。やや腰の捻りには物足りなさを感じるものの、その速球のスピードには見るべきものがありました。全身バネ仕掛けの様な,柳田豊のもの凄く伸びる快速球と、強気の投球スタイルは未だに印象深く、強打者土井正博とのトレードの相手に指名された理由も解る様な気がします。

一流のアンダスロー投手(1)

2010-01-28 20:46:31 | Weblog
前回,球に威力のあるアンダスロー投手の内で1人欠かしていました。中日ドラゴンズで活躍した小川健太郎投手です。遅い年齢からの再度のプロ野球入りでしたが、深く沈み込むフォームからの直球はかなり速く,球の威力だけで十分勝負出来た投手と言えるかと思います。他にも球速は兎も角としても,非常に優れたアンダスロー投手はかなり多くいました。その筆頭としては通算221勝を挙げた皆川睦雄が挙げられるでしょう。決して速くはないながらも,抜群のコントロールとシンカーを始めとする変化球で,長い間南海ホークスの2番手投手としての地位を守り抜き、毎年非常に安定した成績を挙げていました。結果的には同チームの不動のエース杉浦忠を遥かに凌ぐ勝ち星を稼いでいます。又残念ながら全盛期は,全く見ていないのですが、通算197勝の長谷川良平も、当時弱かった広島に在籍での数字という事で、全盛期の力量を本当に見たかった投手の1人です。コントロールの良い投手としては、何故か移籍先のセリーグでは、あまり活躍出来なかった高橋直樹も忘れられません。

速球派のアンダースロー投手

2010-01-27 21:08:42 | Weblog
先日小林繁氏の死去に際し,張本勲が彼の事をアンダスローの投手では1,杉浦忠2、秋山登,3山田久志に次ぎ,足立光宏と共に、4位か5位の球の威力がある投手と評していました。確かに,先日のブログにも書きました通り、そのクラスの球の威力は彼にはあったと思いますが、他にもそれに匹敵する様な投手がいないかと、少し昔の記憶を辿ってみました。ここでいうアンダスロー投手の範疇としては、腰の捻りや腕の出る位置から判断しており、サイドスローから投じられる投手も,含んでいます。しかしサイドよりやや上から投じられる石井茂雄、斎藤雅樹や,驚異の快速球投手森安敏明は除外しています。そこで2人の投手が浮かんできました。1人は,なで肩の非常に華奢と見られる体型ながら、かなり速い速球とシュートを武器とした坂井勝二であり、もう1人はロカビリー投法と呼ばれ、最近の投手に例えれば、下手投げの野茂英雄といった感じの,背中を打者にはっきり見せた,もの凄く個性溢れる投球スタイルの若生忠泰です。下手投げで球速があり,打者にとっては,本当に恐怖感を感じる投手だったかと思います。現在語られる事の少ない2人ですが、未だに私の脳裏には、アンダスローの速球投手としての,彼らの存在を忘れ去る事は不可能かと思います。


殿堂入り(3)

2010-01-26 22:18:10 | Weblog
今回は投手の殿堂入りに関して、書きたく思います。今年東尾修が殿堂入りした事により,通算250勝以上の数字を残した投手10人の全てが殿堂入りした事になります。今の所250勝は、かなり確かな殿堂入りの基準になるかと思います。ましてや今後、かっての様な、エース級の投手が先発、リリーフの両方を兼ねるという様な起用は到底考えられず、基準(?)が緩くなる事はあっても厳しくなる事は考えにくい状況にあると思われます。現在現役の工藤公康を除き,通算222勝以上の投手は全て殿堂入りしています。今後セーブ記録が殿堂入りにどの様に扱われるか、非常に興味深い所はありますが、勝利数としては,矢張り200勝を越える事が一つの目安になるかと思います。ここで一人もの凄く気になる素晴らしい投手がいます。2008年に堀内恒夫が殿堂入りしていますが、彼より遥かに素晴らしい実績を残した豪速球左腕江夏豊投手は、未だ選ばれていません。現役時代の言動や引退後の薬物騒動が、殿堂入りへの妨げになっているとしか思えないのですが、実績のみで選考するのか,或いは主観がかなり混じる筈の人間性も加味するのかの基準をはっきりして欲しく思います。私個人の意見としては,客観的な判断の可能な実績のみで選考すべきかと思いますが?

追悼 小林繁投手

2010-01-25 20:10:14 | Weblog
1973年から1983年まで,人気球団読売ジャイアンツ,阪神タイガースで活躍した非常に細身の右腕サイドスロー投手です。張本勲が,球の威力に関しては、ベスト4か5のアンダスロー投手(多分サイドスローも含めているのでしょう)と評価していましたが,確かにそれに値する力はあったかと思います。非常に腰の切れが鋭く、沈み込む様な投球フォームから投じられるサイドからの速球は、かなり速く,又肘の撓りも素晴らしい為伸び,切れに優れ,更に細身の投手ながら,意外にも球の重みすら感じたものです。又変化球もそれなりに威力があり、気迫溢れる強気の投球もあり,非常にファン受けのする投手でした。あの有名な空白の1日で、阪神タイガースに移籍し,その年,宿敵ジャイアンツに8連勝をするのですが、その後のジャイアンツとの対戦成績が5勝15敗である事は,意外と語られていない事が多いみたいです。そして空白の1日での江川卓との比較ですが、間違いなく読売の勝ちだったのでしょう。小林繁は阪神での5年間で77勝を挙げていますが、一方江川卓は9年間で135勝を挙げており,結果的には読売が選んだ小林繁の阪神へのトレードは成功だったのでしょう。

犠飛(4)

2010-01-24 19:45:50 | Weblog
今回は決して軽視すべきではない犠飛の記録を紹介して見ます。通算記録では野村克也の113犠飛がトップであり、シーズン記録では大杉勝男の15犠飛がトップです。又犠飛の多さでの通算ベスト10の選手は、全てで300本塁打以上を記録しています。当然犠飛へのチャンスは、その打順、チームの打撃力等により異なるかと思いますが、結果としては長打力のある選手が上位を占めています。つまりチームの主軸を務める打者こそ,犠飛を打てるチャンスがより多く巡ってくるという事でしょう。もっと言えばその彼らにはチームとしても、バントを命じる機会は非常に少なかったと思います。従って犠飛の多い選手イコールチームの主軸打者という図式は成立つかと思います。しかしチームとしては,犠飛よりヒットでの得点が最も望ましい訳であり、実際に多くの強打者が無死、或いは1死でランナー3塁での実績がどうなのかを知りたく思うものです。残念ながら私にはその記録を調べる術はないのですが、結論としては犠飛は決して最低限の仕事ではなく、その責務を十分に果たした仕事であると主張したく思います。

犠飛(3)

2010-01-23 20:45:23 | Weblog
無死,或いは1死で,多くの場合ランナー3塁で打席に立った打者に対して犠飛のチャンスがある訳ですが、実際に犠飛を放つ事の困難さはどの位のものなのでしょうか?当然プロの相手投手は点を与えまいと投げている訳であり、プロの打者と言えどもそう簡単には外野への飛球を打てる状況ではないかと思います。又相手球団の外野手の守備力も問題になります。つまり巧く外野への飛球を放っても,相手球団の外野手の守備範囲が広く,更に強肩の場合、いい当たりを捕球されたり、その強肩の為、タッチアップすら出来ない状況もかなりあるかと思います。例えば無類の強肩、正確無比な送球を誇るイチローへの当たりの場合,先ず多くの3塁コーチは、ランナーの本塁突入を間違いなくストップさせると思いますが,同じ様な当たりでも張本勲が守っている場合,絶対間違いなくランナーへ,本塁突入の指示をだすでしょう?つまり,外野手の総合的な守備力を理解した上で、狙わなければならないのが犠飛かと思います。従って前回も触れましたが,最低限の仕事というレベルの働きではなく,それを大きく超越しているかと思います。

犠飛(2)

2010-01-22 20:15:28 | Weblog
何故犠飛と記録するのには,打点が絡まないとならないのか?少し考えてみました。犠飛は犠打と異なり、はっきりとランナーを次の塁に進めるという意思が,もう一つ確認しにくいからかと思います。つまり狙って外野飛球を打ったのか,或いはたまたまなのか,判断が非常に困難なのでしょう。ランナーを進める為の送りバントの場合,形からはっきり判断出来るのと大きく異なります。しかし何故点に絡む場合のみ犠飛と認められると言う結論には至っておりません。従って,あまりバントを要求されない,或いはそのバント技術の未熟な強打者達には,些か打率に関しては不利な要素かと思います。もう少し言えば、ランナーを進める為にバントしても、観客をがっかりさせない脇役の選手には,打数が増えない為非常に有利な条件かと思います。打者が犠牲フライを放った場合,解説者やアナウンサーが、昔から現代迄,常に多く口にする言葉が,この打者は最低限の仕事をしたと言う事です。しかし送りバント,犠打によりランナーを進めた場合、あまりこの言葉は聞かなかった様に思えます。何故か犠飛に対しての評価が低い様に思えてなりません。