3388 野球ブログ

日米を問わず名選手を紹介。

通算与死球記録(1)

2014-03-31 21:25:04 | Weblog
与死球、与えたデッドボールの数です。以前このブログで書きましたが、渡辺秀武投手が信じられないと言うか意味の全くない愚挙としか言いようのない行動に出て新記録を作ったものの、東尾修投手にあっさり更新された記録です。この記録の調べてみると数の上でベストというかワーストにランクされる投手の多くは、その理由が割とはっきり解るものが多いです。大雑把かも知れませんが死球数の多い選手のタイプを分類して見ます。先ずは右腕サイドスロー或いはアンダースローの投手です。多い順の20位内には渡辺秀武、坂井勝二、仁科時成、山田久志、足立光宏、佐々木宏一郎、小林繁、若生忠泰等の投手が当てはまるかと思います。左打者より右打者の数が多く、球の出所が右打者には見えずらいことが最も大きな要因かと思います。このタイプの投手の場合、球速はあまり関係がない様に思え、本当に速い球を投げていたのは山田久志投手であり、打者にとって恐怖感を感じるフォームの投手としてはロカビリー投法と称された若生忠泰投手位であり、他の投手達には球速やフォームで打者を威圧するものはあまりない様に感じます。

逆方向への打球(3)

2014-03-28 20:28:10 | Weblog
三冠王3回、三部門のタイトル各5回ずつと右打者では最高峰の実績を誇る落合博満選手の右方向へ打つ打撃術は本当に素晴らしいものがありました。右中間を狙って本塁打を放つ技術は、私の知り得る限り右打者では匹敵するものはないかと思います。落合博満選手の場合、歴代屈指の卓越した打撃術で、飛距離自体はあまり出ないものの、測ったかの様に右方向へフライ性の本塁打を数多く放っていました。本当に巧く右方向に打球を運んでいましたが、ライトスタンドに飛び込むライナー性の打球や右中間を鋭く破る打球はそんなに多くなかったかの様な記憶があります。通算486本塁打の大杉勝男選手はパリーグに在籍時、同チームに安打製造機、扇打法と呼ばれた張本勲選手の存在があった為その広角打法がもう一つ目立ちませんでしたが、どの方向にも打球を放つ事が出来、且つ長打力を発揮出来る選手でした。懐が深くパワーにも物凄く優れていた大杉勝男選手は、左中間及び右中間双方に大きく鋭い打球を放てる打者としては史上屈指だったかと思います。

広岡達郎(3)

2014-03-27 12:38:32 | Weblog
広岡達郎選手の現役時代、現在と全く異なり各選手の年度別記録を調べる手段は殆どなく、各選手が達成者の少ない区切りの記録に到達した際、スポーツ紙に年度別記録が掲載されるのを待つしかない状況でありました。プロ野球を見る様になり記録に興味を持ち始めた頃の大きな疑問の一つとして、昭和29年広岡達郎選手は打率0.314、15本塁打、67打点で新人王、ベストナインに輝いた過去があるにも関わらず、何故あれ程打てない、貧打の選手になってしまったのかという事でした。そこで実際に彼のプレイを見始める前の29年時以外の成績を知りたかったのですが、実際に知ったのはかなりの月日が経っていました。新人王獲得の年の広岡達郎選手がどんな打撃だったかは全く知りませんが、見始めて以降の彼の打撃は本当にお粗末なものでした。4打数1安打の0.250と5打数1安打の0.200の中間、つまり9打数2安打の0.222程度の打者と言えるかと思います。従ってチームが彼の打撃を信用する事はあり得ず、もっと言えばホームスチールを企画された事に激怒するなんてもっての外の打撃力の選手と思えてなりません。

広岡達郎(2)

2014-03-26 11:57:04 | Weblog
広岡達郎選手は自身の打撃がそんなに信用出来ないのかと激怒し試合途中で帰ってしまったとされています。因みに結果は三振に終わっています。広岡達郎選手はそんなに打撃を信用していないのかと疑問を投げかけていた様ですが、はっきり言って疑問の必要は全くなく、ファンも含め彼の打撃力を信用している人物が存在しているとしたら、そちらの方に疑問をぶつけたい位のレベルの打撃力でした。報道によると長嶋茂雄選手の単独スチールであってサインではない様ですが、それはどちらでもいい様な事で、誰しもが広岡達郎選手の打撃には期待出来ないと思っていた筈でした。相手投手がこの年辺りからやや衰えの兆しが見えて来たとは言え、まだまだ力がありこの年27勝を挙げた金田正一投手という事はあろうかと思いますが、その年も含め直近の広岡達郎選手の打撃成績から期待をかける方が無理だったかと思います。その年も含め直近の5年間の打撃成績の主要部門を挙げて見ます。打率は0.203から0.241、その年は0.209、本塁打数は4本から12本、その年は6本、打点は26から41、その年は34という数字の選手の打撃力を信用しろと言う方が本当に無理かと思います。

広岡達郎(1)

2014-03-25 15:48:27 | Weblog
昭和29年読売ジャイアンツに入団、41年までの13年間同チーム一筋に在籍し主にショートを守った選手です。広岡達郎と言えばショートというイメージが強いのですが、記録を調べてみると入団の年と翌年はセカンドとサードも守り、特に翌30年はサード98試合、ショート42試合とイニング数までは分からないのですが、この年はサードが本職だったと言えるのかも知れません。31年から引退までは年に1、2回セカンドを守る年はありましたが、イメージ通りショート専門の選手と言えるかと思います。残念ながらサードを守った頃の広岡達郎選手は全く知りませんが、どんな守備だったのか妙に気になってしまいます。一応評価の高い守備に関しては後ほど触れるとして、あの有名なホームスチール事件に関して書きます。翌日のスポーツ紙でかなり大きく扱われていた事は、丁度50年経た今でも非常に良く覚えています。国鉄スワローズが2対0とリードの7回表、投手はエースの金田正一、ワンアウトランナー3塁に長嶋茂雄、カウントツーナッシングからホームスチールを試みて失敗に終わり、打者広岡達郎選手が激怒し、当時の川上哲治監督との確執が生じ、後の退団に繋がったと言われている事件です。

逆方向への打球(2)

2014-03-24 10:51:29 | Weblog
次は清原和博選手です。高校時代の清原和博選手はリアルタイムでは一度も見ていないのですが、西武ライオンズ入団時の彼を見てそのパワーと右翼方向へ強い打球を放てる技術には本当に驚いたものです。プロ野球の世界で一体どの位の通算本塁打数をマークするのか非常に気になったのですが、それと同時に右翼方向へあまりにも強い打球が放てる事自体が逆に本塁打数を増やすにはマイナスになり兼ねない不安もありました。山本浩二をパワーでは上回り、狙って右中間への鋭い当たりや右中間スタンドに飛び込む当たりを入団後数年間の彼は放っていた記憶があります。現役時代晩年、肉体改造後の清原和博選手は、以前と異なり懐の深さを感じられないフォームになり、投球に対して遠回りするドアースイングになってしまい、内角球には殆どついていけない様に変貌してしまいましたが、失礼な言い方ですが稀にバットとボールが当たった場合、パワーで右中間スタンドに持って行く打球の勢いには、流石清原和博選手と思わせてくれました。パワーと技術を備えていた頃の清原和博選手の打撃、本当に素晴らしいものでした。

逆方向への打球(1)

2014-03-23 20:52:51 | Weblog
逆方向への打球、つまり右打者ならライト方向への打球、左打者ならレフト方向への打球の事です。好打者、巧打者と称される打者の多くは逆方向への打球はそれなりに放てる技術は備えております。しかし逆方向へ強く鋭い打球を放てる打者はかなり限られています。逆方向へも引っ張ったかの如くの打球を放つ事の出来た打者に触れていきたく思います。右打者の場合、右中間を破る長打性の当たりや右中間のスタンドに飛び込む当たりを放てる打者の事になります。今まで55年以上野球を見て来ましたが、極僅かな人数の打者しか思い浮かばないものです。通算本塁打数の多い順に書いて見ます。先ずは山本浩二選手です。懐の深い打撃スタイルで右中間方向の長打を狙った打席は数多く見せて貰いましたし、この後紹介する他の選手と全く異なり脚力にも優れていた山本浩二選手は、この打球方向でより多くの塁を奪っていたと思います。長らく同僚であった衣笠祥雄選手の器用さの少ない引っ張り中心の打撃とは全く異なるものであり、打者としてのレベルにはかなりの差を感じたものです。

欠端光則(2)

2014-03-21 14:00:04 | Weblog
1988、1989年欠端光則投手は当時のチームの絶対的エースの遠藤一彦投手の故障により、実質的にエースの役目を果たした感はありました。しかし勝ち星は11勝と9勝であり、欠端光則本人としてはベストの数字なのですが矢張りエースとしては物足りなさを感じます。つまり欠端光則という投手はチームの柱となるべき力量の投手では決してなく、ローテーションでは後方の位置又は中継ぎ等、比較的タフな点を買われて起用されるレベルの投手かと思います。公称183cm、89kgのがっしりとした体躯で、一見速い球を投げそうなイメージのある欠端光則投手のオーバースローから投じられる球は決して速くはなく、捕手のミットにズシリと食い込む重みこそ感じるものの、切れや伸びにも欠けるものでした。どちらかというとぎくしゃくとした投球フォームであり、腰の回転にスムースさが感じられずそのせいもあり肘の撓りの少ない投球フォームだった記憶があります。変化球は落ちる球を比較的使っていたかと思いますが、ストレート同様格別威力のあるものはなかったかと思います。一流投手ではないもののチームには必要な投手、それが欠端光則投手だったと思います。



通算成績    351試合    57勝71敗     防御率4.36      669奪三振




欠端光則(1)

2014-03-20 20:21:26 | Weblog
1980年のドラフトでロッテオリオンズから3位指名を受けて入団した右腕投手です。デビューの年の1982年と翌1983年はロッテオリオンズに在籍していましたが、その後1984年から1993年まで横浜大洋ホエールズ、ベイスターズに在籍し実働12年間の後引退しました。当時セリーグとパリーグの試合中継の数や人気の差はかなりあり、ロッテオリオンズにも在籍していたというイメージは非常に薄く、欠端光則投手イコール横浜の投手という感が強いものでした。その理由一つとしては当時弱かった横浜の投手陣に於いて10年間で54勝を挙げたり、5年連続100イニング以上を任されたり、決してエース級の働きの年は少ないものの、それなりの役割を任された投手でありました。もう一つは、時代こそ違え横浜の投手に多く見られる投手の一人でもあった事です。佐々木吉郎、高橋重行、峰国安等の投手に見られる、体にキレが乏しく所謂シャープさに欠ける投手の系譜をこの投手は引き継いでいました。

ジョエルズマヤ(Joel Zumaya) (14)

2014-03-19 14:20:35 | Weblog
ジョエルズマヤ投手の2006年からの年度毎の平均球速は、98.6、97.5、97.5、99.3、99.3マイルとなっており、この数字はダルビッシュ有投手のメジャーでの最速投球が98.2マイルである事からもその凄さが解っていただけるかと思います。つまりダルビッシュ有投手の最速前後の速さの投球を常に投じていたのがズマヤ投手と言えるかと思います。又100マイル以上計測は2006年から233、30、18、198、223回であり通算では702回マークしています。ズマヤ投手の通算投球回数が209回なので1イニング当たり平均3、4回100マイル以上を計測していた事になろうかと思います。ズマヤ投手の実働5年間の通算成績は13勝12敗、防御率3.05、210奪三振と一流からは程遠いものでありますが、あの球の速さだけは忘れられるものではありません。pitch f/xでの最速の数値はアロルディスチャップマンの105.1マイルに対し、104.8マイルとやや劣りますが、私には最速投手として最初に浮かぶのはズマヤ投手であります。将来ズマヤ投手を上回る球速の右腕投手の出現を期待したく思っております。