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日米を問わず名選手を紹介。

歴代ベスト9(1)

2009-02-28 21:11:23 | Weblog
先日、TVうたばんに出演の野村克也監督が,OBも含め歴代のベスト9を選んでいました。それに習い私も、リアルタイムで見た選手に限りますが、同じく歴代のベスト9を選んでみました。


野村克也氏のベスト9   1,金田正一 2、野村克也 3、王貞治 4,辻発彦 5、長嶋茂雄 6、木塚忠助 7,山内一弘 8,福本豊 9,イチロー 


私のベスト9   1,金田正一  2、城島健司 3、王貞治 4、高木守道 5、長嶋茂雄 6,大橋譲 7,張本勲 8,福本豊 9,イチロー


野村克也氏はDHに張本勲、抑え投手に江夏豊を選んでいますが、意外と張本はDHの経験が少ない為、最も適任かと思いますが私としては門田博光を選びたく思います。又抑え投手としては、恐ろしい程の落差を誇るフォークボールを武器とする佐々木主浩を選びたく思います。それにしても凄いメンバーですが、守備の面では福本、張本の弱肩が非常に気になる所です。

大橋康延

2009-02-27 21:27:20 | Weblog
昭和48年のドラフト2位の指名で大洋ホエールズに入団した右腕投手です。作新学院高の怪物、江川卓の控え投手でした。江川卓の存在の為エースになれなかったが、他のどのチームにいてもエースに十分なれる実力の持ち主という触れ込みでした。しかしこの手の話は多くあり、後に江川卓の所属する読売ジャイアンツだけでも、長嶋茂雄対難波昭二郎、王貞治対木次文夫等、日本のマスコミは判官びいきと言うのか、実力差はあまりない様な記述を多く見かけるが、とんでもない話で、両者間の実力差はとてつもなく大きいものでした。大橋康延の場合、公称180cm,90kgのかなり太めの体型からのアンダースロー投手ですが、殆ど沈み込みがなく、且つその体型の為か、腰の捻りを全く感じさせない、正しく三流投手そのものの投球フォームであり、従って投じる球も切れ、球速は全くなく、どう考えてもプロに通用するレベルではありませんでした。当時の大洋ホエールズが、江川卓の控えという話題性で指名したなら兎も角、もし本当に力量を信じて指名したとしたらスカウトの選手を見る眼は全くないと言ってもいいレベルでしょう。結果として彼はプロに7年間在籍しましたが、一軍での登板は僅か1試合に終わっています。



通算成績    1試合 0勝0敗  防御率0.00    1奪三振

池田英俊

2009-02-26 20:19:35 | Weblog
昭和37年から44年迄、広島カープ一筋に大活躍した右腕投手です。公称171cm.66kgと小柄ながらも、切れのいい球とコントロールを武器とした典型的な技巧派投手と言えるかと思います。腰の回転はサイドスローに近い、スリークォーターより低い位置から繰り出される変化球が主な武器だったと思います。多分最速の球でも130km台前半位だったと推測されますが、絶妙なコースに決まる事もあり、球速以上の威力を発揮していました。彼はその前の広島の絶対的なエースであり、もの凄い球威を誇っていた大石清が衰えを見せ始めた時期に、巧くその座についた投手と言えるかと思います。年齢では池田英俊の方が3歳上ですが、比較的肩の消耗度が少ない事もあり、実績的には38年度以降のエースは間違いなく池田英俊でした。安定度抜群の彼は入団5年間で81勝を挙げていますが、その後の3年間で僅か2勝しか追加出来ず、急激な衰えの侭引退を余儀なくされたものです。



通算成績     251試合    83勝82敗   防御率  2.83    704奪三振

小野正一投手

2009-02-24 22:18:17 | Weblog
185cmと長身の左腕快速球投手です。昭和30年代を代表する左腕の快速球投手と言えば、同じく長身の金田正一、梶本隆夫と共に間違いなく彼の名前が浮かぶはずです。脚を高く上げ、左腕投手としてはかなりオーバースローに近く、非常に高い位置からの快速球と当時でいうドロップを大きな武器としていました。角度のある球は軽いながらも、球速は素晴らしく、又多少制球に難がある処もあり、打者にとっては非常に攻略しがたい投手だったでしょう。彼のハイライトは35年です。その年33勝、防御率1.98の好成績を挙げています。しかしその後彼に就いて語られる事は、非常に少ないものです。その最大の理由としては、以前に紹介した坂井勝二投手と同様、常に彼には黒い噂が絶えない事かと思います。東京オリオンズから大洋ホエールズ、更には中日ドラゴンズへの不可解とも思えるトレードにあります。40年代前半の中日ドラゴンズへトレードされた投手は、田中勉、佐藤公博等八百長に染まっていた投手が多く、小野正一投手にもかなりその噂があったものです。又引退の年の彼の状態は、前年に引退した金田正一の衰えを隠せない姿と比較しても、まだまだ余力がある様に見えたものです。勿論全盛期とは比較出来ないまでも、不可解な引退だった様な気がします。

大森剛

2009-02-23 20:20:33 | Weblog
平成2年から10年迄、読売ジャイアンツ、近鉄バッファローズに在籍し、主に一塁、外野を守った右投げ、左打ちの選手です。何故にこの選手が読売ジャイアンツのドラフト1位に選ばれたのか、本当に理解出来ない程のレベルの選手でした。確かに6大学では三冠王を獲得する等、実績を挙げてはいますが、本当に選手の力量を見る目があるなら、間違っても獲得を考える選手ではないとしか思えません。先ずスイングスピードが異常な程に遅く、更にドアースイングの為、プロの一軍の速い球にはとても対応出来る技量はありませんでした。又守備力、走力も平均以下でしたが、公称188cm,95kgと恵まれた体型に球団首脳は期待したのでしょうか?しかし彼には、多くの一流選手に見られる様な、体のシャープな切れは全く見られませんでした。オーナー、当時の監督と同じ大学出身というしがらみで、1位指名せざるを得なかったと言う噂も、彼の力を見ていると肯ける様な気にもなります。兎に角、2軍では活躍出来ても1軍では到底無理なレベルの選手という事は、間違いなく言えるのでしょう。



通算成績    132試合    29安打   5本塁打   16打点    0.149

宇田東植

2009-02-22 20:45:17 | Weblog
昭和47年から57年まで、東映、日拓、日本ハムファイターズ、阪神タイガースに在籍し、その後韓国プロ野球にも在籍したアンダースローの右腕投手です。彼には酷な言い方かと思いますが、アンダースローの二流投手の典型的なタイプかと思います。私のイメージではアンダースローの力のない投手という事では、永久追放された永易将之と共に真っ先に彼の名前が思い浮かぶ程です。投球フォームは一流のアンダースロー投手に多く見られる、深く沈み込む処が全くなく、又腰も中途半端にしか捻られていませんでした。当然の如く球速には乏しく、全盛期でも多分130kmには達していなかったと思います。従って変化球が武器でしたが、特に切れのいい球があった様には記憶していません。しかし日本ハム時代の54年に突如活躍します。9勝3敗、防御率7位の3.47と前年までの彼からは信じられない数字を挙げますが、矢張り力不足は否めずその後活躍出来ずに、活路を韓国野球に見出したものです。



通算成績    171試合   16勝19敗    防御率   3.97    155奪三振

森安敏明投手(2)

2009-02-21 21:47:26 | Weblog
森安敏明投手はシーズン最多与死球22の記録を持ち、永久追放されるまでの僅か4年と少しの間で,通算66個の死球を与えています。昭和43年には当時又その後も最多記録となる22個を数え、翌44年も17個で2年連続の与死球王になっています。これは勿論誉められた記録ではありませんが、この記録にこそ、森安敏明投手の投球の特色が表されているかと思います。つまり単純に言えば、打者にとって最も死球を逃れずらかった投手と言えるのでしょう。森安敏明の場合、決してノーコンという訳ではありませんでしたが、そのあまりにも凄すぎる速さの為、コントロールに関しては非常にアバウトで十分通用したせいか、微妙な制球は持ち併せせてはいませんでした。その為か打者の内角を強気に攻める投球は、時として制球を乱し、又その凄すぎる速さの為打者が逃げ遅れた場合も結構あったかと思います。更に彼の投球フォームは、非常に腕の出が遅く、リリースポイントが見えずらい事も大きく影響していたと思います。この記録でも解る様に、打者特に右打者にとって一番打席に立ちたくない投手の筆頭ではないでしょうか?恐ろしい程のスピードがある上、腰を十分に捻り、腕の出が遅く、制球力にはやや欠けるサイドスロー投手程嫌な存在はなかったかと、容易に想像できるものです。

森安敏明投手(1)

2009-02-20 21:13:18 | Weblog
史上屈指の驚異的な速さを誇る右腕投手です。史上最速投手は誰かと言う話題になると、必ず登場する投手です。しかし何故か彼の死去後、何年か経ってから彼の名前が頻繁に出てくる様になったかと思います。私の知り得る限り、それ以前で彼を間違いなく最速投手に挙げていたのは、パリーグのアンパイヤを長年務めた、ボクサー出身の露崎氏のみかと思います。以前にも紹介しましたが、露崎氏は自著の中で、森安敏明の球速を米田哲也、尾崎行雄、村山実等の球速を遥かに凌ぎ、特に八百長に依る永久追放前の、彼自身の最後の登板の球速はもの凄いものだったと記しています。確かに露崎氏が語る通り、森安敏明の思いっきり脚を高く上げ、懐に抱え込む様にした上で、十分に腰を捻り、右腕を異常な程に後方に引っ張ってからの、サイドから投じられる快速球は本当に打者には恐ろしいものだったでしょう。例えて言えば、蛇が蛙に襲いかかる感じでしょうか?又決してコントロールのいい投手ではなかった事もあり、打者には最も嫌な存在ではなかったかと思います。彼の昭和41年入団時、多くのマスコミは、東映フライヤーズ内であの尾崎行雄に次ぐ球速と報じていましたが、その時点でかなり球速に衰えを見せていた尾崎行雄をも間違いなく凌いでいたと思います。

杉山知隆

2009-02-19 21:38:23 | Weblog
昭和49年から56年迄、大洋ホエールズ、日本ハムファイターズに在籍した右腕投手です。公称184cm,84kgとやや太めの体格から繰り出される重い球が最大の武器でした。腰の捻りはやや不足ながらも、スリクォーターから投じられる球はかなり重いものでしたが、残念ながら球の伸び、切れ、コントロール及び球速にはこれといったものはありませんでした。球速は推定140km前後でしょうか?現在より全体的に遅い投手の多い当時としても、決して速い方には入らなかったと思います。何故か昭和30年代から40年代の大洋ホエールズには同じタイプの投手が多かった様に記憶しています。佐々木吉郎、高橋重行、峰国安等それぞれ力は異なるものの、似通った感じでした。杉山知隆の場合、武器となる変化球もなかった為、入団4年目から6年目までの3年間だけといっていいのでしょう。この3年間で8年間の実働の内4分の3近くに当たる勝利数29を挙げています。酷な言い方かもしれませんが、プロ野球で一流になるには、全ての面で欠けていた投手なのでしょう。



通算成績   216試合    40勝48敗   防御率  4.65    529奪三振

追悼 山内一弘(5)

2009-02-18 18:14:36 | Weblog
もう少し山内一弘の残した数字に触れて見ます。彼の通算打率は0.295であり3割に届いていません。5厘不足しており惜しいという声もあろうかと思いますが、現実は厳しく彼程の打数の多い打者に関しては、決して近いという数字ではありません。50打数50安打を記録したと仮定しても、0.2994にしかならず、切り上げ3割にも達しない訳です。現実には勿論有り得ない数字であり、更に明らかに力の衰えが見えていた為、惜しいと言う表現は出来ないと思います。本塁打数に関してですが,これも396本と400本に届いていません。これに関しては、打率が落ちるのを覚悟の上、引退を伸ばして狙いに行ったとしたら可能性はあったでしょう。しかし引退の年5本塁打とかなり長打力に衰えを見せていた為、かなりの難産にはなったでしょう。又彼のシーズン自己ベストの数字は打率0.334,33本塁打,112打点とそれなりに素晴らしい成績ですが、それぞれは、もの凄いという程のレベルではありません。それでも通算成績それぞれの部門で上位にランクされる彼の実績は、昭和を代表する大打者の一人と間違いなく言えるかと思います。