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日米を問わず名選手を紹介。

日本プロ野球対メジャー(3)

2008-10-31 21:25:59 | Weblog
前回までは球速に関してですが、では制球はどうでしょうか?器用で繊細な日本人が優れていると言われていますが、現実は推測ですが、大差ないと思います。球速と違い、ある意味ものさしとなる数字がありません。与死球率とかがありますが、これがそのまま制球力を表すものでもないと思います。メジャーには一般的に100球前後でスターターが交代するという目安があります。しかしメジャーより長い登板間隔の日本の場合、球数制限はあまりありません。従ってメジャーの場合、無駄な球を投げず早く勝負に行くケースが多く、必然的に安打を打たれる可能性も高くなるのでしょうが、逆に与四球も減る傾向にあるかと思います。メジャーで好成績を挙げているスターターの内でもの凄く、与四球率の少ない投手が多いのは、この様な事情があるからだと思います。逆の例として、今年の松坂大輔はスターターとして与四球率がワースト1ですが、その為被打率がベスト1になったという事が言えるかと思います。制球に関しては様々な要素が加わる為、一概には言えませんが、日米大きな差はないだろうというのが私なりの結論です。

日本プロ野球対メジャー(2)

2008-10-30 20:45:27 | Weblog
前回メジャーの投手の平均球速を日本より、約3マイルから5マイル速いと記しましたが、日本では殆ど存在しない先発投手として常に95マイル(152.9km)の快速球を投じる投手を紹介したいと思います。イチローの所属するマリナーズの若きエースヘルナンデズは、正しく本格派で重く速い豪速球を投じており将来が楽しみです。デトロイトタイガースのバーランダーは投球フォームに威圧感がないながらも、素晴らしい快速球を投じています。今シーズン途中で移籍したサバシアも巨体を生かした豪速球を武器に、凄い成績を残しました。ボルチモアオリオールズのカブレラも200cmを越す長身から、制球は悪いながらも、その制球の悪さを逆に利用した感じの投球を稀に見せてくれます。今シーズンやや不調のベケットも、普通の調子ならかなりの球速を表示していました。残念ながらあまり見る機会の少ないナショナルリーグの投手ですが、カブスのザンブラーノ、アストロズのオズワルト、ドジャースのペニー等の投手の速球にはかなりの迫力がありました。他にも速い投手は数多くおり、平均ではなく、個々の投手の比較でも球速に関しては、圧倒的にメジャー優位と言う事は疑う余地のない事でしょう。

日本プロ野球対メジャー(1)

2008-10-29 20:40:50 | Weblog
日本とメジャーではどの位のレベルの差があるのでしょうか?野茂英雄のメジャー挑戦以降、NHKBSの試合は殆ど見ていますが、矢張り現状ではかなりの差があると言わざるをえないでしょう。先ずは投手に関してですが、張本勲の発言の様に、メジャーのスターターの3,4番手はかなりレベルが低いのは、多くの球団の場合事実でしょう。しかしかなりのレベルのスターターを揃えている球団もいくつかあるのも事実と思います。球速に関してですが、メジャーの投手のストレート系の平均球速は日本のそれより推測ですが、約3マイルから5マイル(4.8kmから8.0km)位は速いのではないでしょうか?現在メジャーで93マイル前後の速球を投げている松坂大輔、黒田博樹ですが、球速だけで言うと中の上といったレベルかと思います。更にメジャーの投手はそのストレートとあまり変らない球速で、ムービングファストボールと呼ばれる微妙に変化する球も投じます。現在超一流の快速球投手トロントブルージェイズのAJバーネット投手の投じるシンカーはしばしば95,96マイルを記録する程です。当然球速だけが全てではないのですが、張本勲の言う様に投手にとって速い球こそ最大の武器と言うのも日米問わず言える事でしょう。

張本勲(5)

2008-10-28 22:10:16 | Weblog
張本勲は前回紹介の月刊スポルティーバ、及び自著最強打撃力の中で、イチローの俊足を認めてはいるが、自身の方が多分速いとまで発言しています。実際はどうだったのでしょうか?張本勲に関してはデビュー時から見ていますが、彼にとっては残念ながら、イチローに匹敵する程の俊足の持ち主だったとは全く思えません。確かに中軸を打つ打者としては脚も速く、塁を盗む術にも長けていた為、通算盗塁数も300を超える等素晴らしいのですが、単に脚の速さを比較したなら圧倒的にイチローに軍配が挙がるでしょう。多分彼は自身の現役時代を知っている存在は少なく、多少オーバーに言ってもいいかと思っているのでしょう。しかし出来ればもの凄く素晴らしかった打撃だけに、留めて欲しかったものです。彼の打撃力にケチをつけられる人は殆どいない訳ですから?又彼はデビュー間もない頃に、長嶋茂雄と自身を比べて右と左の違いだけだと結構面白い発言をしていますが、当時の成績を見ますと長嶋茂雄と比べかなり見劣りしているのが現実でした。しかし最終的には、大学出身と高校出身の違いこそあれ、殆どの部門で長嶋茂雄を凌ぐ成績を残しました。

張本勲(4)

2008-10-27 21:20:23 | Weblog
最近はイチローのお陰で、結構マスコミへの登場の多い元祖安打製造機張本勲ですが、相変わらずの支離滅裂な言いたい放題には、喝と言いたいものです。確かにイチローの出現前には、私の評価では打者の順位で言えば1位張本勲、2位王貞治、3位落合博満でしたが、究極のスーパースターイチローの前では、矢張り順位を下げざるを得ないでしょう。張本勲はイチローの安打を放つ技術を歴代NO.1と認めながらも、結構ケチをつけています。月刊誌スポルティーバの誌上では、メジャーの先発3,4番手はレベルが低い為安打を打ち易いと発言していますが、確かに事実はそうでしょうが、全ての面に於いて、もっとレベルの低く安打を打ち易いのが日本プロ野球の3,4番手かと思います。更にメジャーの球場は人工芝が多く有利と、全く現実を認識していない発言をしています。実際人工芝の球場は日本の方が、遥かに多いものです。しかし前にも書きましたが、条件の違う数字を合計する事には、矢張り疑問を感じます。張本勲の言う様に日本は日本、メジャーはメジャーの記録だと思います。とは言え、レベルに於いて遥かに上のメジャーでのイチローの実績には、敬意を表さざるを得ないと思います。次回は日本プロ野球とメジャーとの力の差に就いて触れたく思います。

米田哲也投手(14)

2008-10-26 22:35:21 | Weblog
米田哲也は22年間の長い投手生活を過ごしましたが、その要因としては勿論恵まれたバネ、頑健な体、本人の節制等あるでしょうが、投球フォームに依る所が非常に大きいかと思います。昭和30年代後半だったと思いますが、週刊ベースボール誌上で、米田哲也は自身の投球フォームの内、一番留意している点として腰の捻りを挙げています。正しくその通りで彼の投球フォームは足を高く上げ、腰を思いっきり捻り、胸を大きく張り、肘を十分に撓らせて投球をしています。本人も一番意識していたと言う十分な腰の捻りが、彼の投手生活を支えていたと言えるでしょう。逆に腰の捻りの少ない投手は、どうしても上体が開きがちになり、手投げに近い感じになり、球に力が乗らず、当然伸び切れにも欠け、更には肩や肘等を痛め易いかと思います。二流投手の大半にこの傾向は見られるものです。しかし超一流投手の金田正一にもこの欠点は見られます。彼の投球フォームは足があまり上がらず、腰も十分に捻っているとは思えません。その為常に肘痛に悩まされたかと思われます。米田哲也は無理のない純粋なオーバースローという投球フォームにより、殆ど故障もせずに長い投手生活を続けられたと言えるのでしょう。

米田哲也投手(13)

2008-10-25 22:25:03 | Weblog
米田哲也投手の実働22年間を、前半と後半に分けて紹介します。前半の11年間で209勝196敗、20勝以上7回、後半の11年間では141勝89敗、20勝以上1回という数字です。豪速球を欲しいままにした前半で勝ちは多いものの、負けもかなり多くなっています。逆に後半では、勝ちはかなり減ってはいるものの、勝率としては非常に良くなっています。これは単純に言えばチーム事情でしょう。当時所属の阪急ブレーブスは昭和42年の初優勝以降、かってのお荷物球団を返上し、常に優勝争いの出来るチームへと変貌しました。米田哲也の勝率が良くなったのも、チームの打撃力アップに依るものが非常に多いと思われます。しかしバックの打撃力アップと逆行するかの様に彼の球威は、年を経る毎に衰えていき昭和44,45年以降は、かっての恐ろしい程の球速は全く見られなくなり、もはや速球投手とは呼べない速さに変貌してしまいました。その球速の衰えを、フォークボールとかで誤魔化していましたが、矢張り無理があり、かっての様な打者を圧倒する投球は見られなくなりました。所属チームの強さと自身の成績が巧くかみ合わなかった点も、米田哲也の存在をより地味にしているかと思います。

米田哲也投手(12)

2008-10-24 20:58:28 | Weblog
米田哲也投手は昭和42年を始めとして日本シリーズに5回出場していますが、通算2勝3敗、防御率5.31といい成績を残していません。相手は全て読売ジャイアンツでしたが、どちらかと言えば打ち込まれた印象が強いものです。昭和42年の米田哲也は18勝,43年には29勝を挙げており、エース格の活躍を見せていましたが、既に往年の凄まじいまでの豪速球は影を潜め、40年頃から使い出した鋭くストンと落ちる制球力抜群のフォークボールを巧く操り、衰えた球速をカバーするという投球スタイルに変わっていました。従ってかっての様に豪快に打者を打ち取る事は出来ず、残念ながらかなり打ち込まれてしまいました。米田哲也の評価を下げているのは、この打ち込まれた日本シリーズのイメージがかなりあるかと思います。同僚の快速球左腕の梶本隆夫も同じ事が言えますが、出来ればこの2人が全盛期に日本シリーズに出場していれば、結果はかなり違ったものになっていたかと思います。

米田哲也投手(11)

2008-10-23 21:43:06 | Weblog
米田哲也投手の球速に関する証言を幾つか紹介して見ます。先ずは同僚の故梶本隆夫は自身も含めて米田哲也、稲尾和久、杉浦忠は最盛期155km以上の快速球と投げていたと話しています。又張本勲は最近の自著の中で同じく、米田哲也は155km以上の快速球を投げていたと記しています。故大杉勝男も自著の中で、タイミングを併せ易いとしながらも150km以上の豪速球は素晴らしいと表現しています。しかし大杉勝男のデビューは昭和40年です。私の知り得る限り当時の米田哲也は、かっての豪速球は影を潜めつつある状況だったと思います。又西鉄ライオンズの主力メンバーの中西太、高倉照幸も米田哲也の球速をもの凄く高く評価しています。しかし当時の審判員露崎氏は、米田哲也、尾崎行雄、村山実等の豪速球を高く評価しながらも、森安敏明の球速を遥かに上と表現しています。実際史上最速かどうかは別として、もの凄い球速を誇っていた事には間違いないと思います。

米田哲也投手(10)

2008-10-22 21:00:34 | Weblog
私が米田哲也の名を初めて知ったのは、多分昭和32年か33年かと思います。当時セパ併せてどの投手の球が一番速いという話題になると、必ず彼の名前が筆頭に出てきました。本当にどの位速いのかと興味を持って、彼の投球を初めて見ました。流石に噂通りと言うか、噂以上の豪速球でした。脚の爪先の挙げ方に非常に特徴がありましたが、バネを十分に利かした、純粋なオーバースローから、高目には重いながらも浮き上がる球を投じ、低目にはズシリとくる感じの凄い球をでした。更に大きく落ちるドロップも素晴らしいものがありました。正しく本格派の典型といった投手と言えるのでしょう。彼の入団2年目の監督の藤本定義は自著の中で、沢村栄冶に近いスピードがあり必ず大成する投手と彼を評しています。残念ながら私は沢村栄冶は全く知りませんが、その投球フォームを写真で見る限り、米田哲也以上の球速があるとは思えないのですが、実際はどうだったのか非常に興味のある所です。