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日米を問わず名選手を紹介。

奪三振率(3)

2011-02-28 20:26:15 | Weblog
奪三振、奪三振率を語る時絶対に外す事が出来ないのが、メジャーの快速球左腕ビッグユニットことランディジョンソンでしょう。私は彼ほど三振を上手く奪う事の出来る投手を知りません。彼は208cmの長身ながら、スリークォーターと言うよりほぼサイドに近い腕の位置から、最速102マイルと言われる快速球と、打者の視界から急に消え去る、恐ろしく鋭いスライダーを主武器に三振を面白い程奪っていました。私が彼をテレビの画面で初めて見たのは,マグワイヤーとソーサの本塁打対決で、日本でもそれなりに湧いていた1998年でした。当時35歳になるシーズンでしたが、球は物凄く速く、矢張りメジャーの超一流投手は凄すぎるという印象を抱いたものです。その後イチローのメジャー入団後、幸いにも彼の投球を多くテレビで見る事が出来る様になりました。その凄まじすぎる投球を見て、先ず思ったのはメジャー左腕投手の最多奪三振記録を更新して欲しいという事でした。つまりスライダーを主武器として三振を奪っていたと言われる、スチーブカールトンの奪三振記録4136を上回って欲しいと思っていました。そしてその後、日本記録の奪三振数を誇るあの左腕投手の記録を超えて欲しいと、切に希望していました。

千藤三樹男

2011-02-27 21:02:18 | Weblog
昭和47年から56年まで、東映、日拓フライヤーズ、日本ハムファイターズに在籍した左投左打の主に外野手、DHを務めた選手です。公称181cm,87kgの恵まれた体躯でどっしりとした構え方で、如何にも一見長打力がありそうに見えましたが、残念ながらそれ程のパワーはなく、又打撃技術も格別すぐれている訳ではありませんでした。この選手の年度ごとの成績や、通算成績を見ると、決して悪いものではないのですが、かと言って優れているでもなく、打率、打点、本塁打どの部門とも、悪く言えば中途半端な数字に終わっています。又守備でも優れてはいない為、規定打席以上が3回のみというのも頷ける気がします。彼の打撃を初めて見た時感じたのは、打撃での体の硬さでした。色々な球質、コースに対応出来る様な器用さはなく、スイングパターンが物凄く少ないと言う感じに見えました。彼の成長を阻んだのは、打席内での体の硬さと言っても過言ではない程、何故か硬さが印象的な選手でした。



通算成績     810試合    617安打     0.271    42本塁打      252打点

ブライアン トラックスラー

2011-02-26 13:53:28 | Weblog
1994年、ダイエーホークスに1年だけ在籍した左投左打の一塁手です。公称175cm,91kgとなっており、その数字だけでもかなりの太目体型ですが、実際の体重はもっともっと多くある様に思えました。香川伸行選手を即彷彿させてくれる様な体型でした。一応元メジャーリーガーでしたが、1シーズン1安打のみの実績であり、決して騒がれての入団ではなかったと記憶しています。彼の打撃を初めて見た時は、結構器用な打撃を、体の割に出来る選手という印象を受けました。その打撃の為か前半戦はそれなりの成績を残しましたが、後半戦は振るわず尻すぼみの成績に終わりました。起用と言うか巧みな打撃に最初は見えたのですが、やはりその体型のせいもあり、バットスピードが速くなく、所謂綺麗に振り切ると言うか、振りぬく打撃が出来ず、振り遅れ気味のドン詰まりの打球が多かったものです。又パワーもさほどの事はありませんでした。結局彼の場合、その体型による弊害を取り除けなかった選手と言えるかと思います。それにしても、その稀有な体型もあり、何故か印象に強く残っている選手の一人です。



通算成績     129試合   131安打     0.263     15本塁打       62打点

澤村拓一投手

2011-02-25 23:24:51 | Weblog
再び澤村拓一投手です。前回と内容が多少ダブるかと思いますが、矢張り久し振りに現れた豪速球投手と思います。私なりの豪速球投手の定義付けですが、先ずは球が速く重い事、決してスピンの効いた回転のいい球である必要はありません。投球フォームは綺麗とか華麗であるとか、スムースであるとかは関係なく、兎に角馬力があり威圧感が感じられる豪快な投球フォームに豪速球投手のイメージを感じます。外見はどうしても、胸板が厚く、頑健な体型の持ち主に豪速球投手のイメージを感じてしまうものです。しかし外見だけはそう見えたとしても、実際は豪速球投手とは程遠い投手を、これまで数多く見て来ました。又細身の投手や、華麗なフォームから速い球を投じる投手は、日本プロ野球の場合多く出現して来ました。しかし、こちらの勝手な先入観かも知れませんが、こういった投手には、なかなか豪速球投手のイメージは湧いて来ないものです。例えば郭泰源、金田正一、現役では藤川球児投手等は、いくら球が速くとも、豪速球と言うよりは快速球というイメージかと思います。澤村拓一投手を見ていると、多少腕の振りが小さい感じこそするものの、捕手のミットにズドンと食い込む球質は、正に豪速球投手と呼ぶに相応しいものに感じてしまうものです。あの読売ジャイアンツとの密約が噂されているものの、ドラフトで彼への一位指名が他になかったのは不思議に感じます。所属球団はともかくとしても、今年注目していきたい新人投手の筆頭と言えると思います。

シーズン平均(2)

2011-02-24 23:20:55 | Weblog
前回、一つの比較として長池徳士と野村克也を挙げましたが、何を言いたいかと言いますと、条件の違う数字を比較する事自体、あまり意味がないと思います。高卒、大卒、社会人経由等、入団時の年齢はそれぞれ違い、更に実働年数が違うのに、一律に通算成績を実働年数で割り、シーズン平均を出し、それをもってして優劣を決める事の意義は私には、もう一つ理解出来ません。又全てのシーズン規定打席以上とか、ある程度の出場をしていればまだしも、年度により出場試合数、打数が大きく違う選手も多く、その年度も含めてのシーズン平均になりますが、やはり条件の違いを感じるものです。これは積み重ねの記録、本塁打や打点に限らず、仮にあるシーズン殆ど同じ打率としても、規定打席以上と規定打席未満は価値が違っていると思わざるを得ません。仮に殆ど常時出場している選手の、積み重ねの数字のシーズン平均を出したとしても、その数字を記録したシーズンが一度もない場合も結構多いものです。つまり通算成績を単純に実働年数で割ったのがシーズンの平均であって、毎年その様な成績を残すという訳ではないのです。少し極論過ぎたかも知れませんが、シーズン毎の試合数や実働年数を鑑みた上で、選手の優劣を判断して貰いたく思います。

シーズン平均(1)

2011-02-23 17:21:10 | Weblog
一つの比較の例として、長池徳士と野村克也の打撃成績のシーズン平均を出して見ます。先ず安打数は長池徳士99.3,野村克也111.6,同じ順で塁打数185.8対204.4,本塁打数24.1対25.3,打点数69.2対76.5,となっています。又通算の本塁打率は、長池徳士が14.4打数に1本塁打、野村克也は15.9打数に1本塁打です。実働年数と残した数字は、野村克也の方が約2倍の為、ある意味当然なのでしょうが、比較的似た数字ではあります。結果として本塁打率以外は野村克也の方が勝っています。しかしよく打者の力を評価する際、ミートする力、確実性を表す打率と、長打力を表す本塁打率の数字が用いられる事が多くあります。長池徳士の打率は0.285、対して野村克也は0.277です。つまり単純に見れば、打率も本塁打率も上の長池徳士の方が勝っている様に思えてしまいます。しかし実際はどうでしょうか?通算成績を比較する時、日本の場合一応の規定打数4000以上という数字はあるのですが、あまりにも分母が違いすぎる数字を、同一に比較するには無理がある様に思えます。ひねくれた言い方かも知れませんが、力が衰えてからも長く現役を続けるより、早めに現役を退いた方が平均の記録が残り易いと言えるかと思います。

長池徳士(徳二)(3)

2011-02-22 15:22:14 | Weblog
長池徳士の打撃フォームは、非常に独特のものでした。アゴをしっかり肩に乗せ、懐深く構えていました。彼ほど、明らかにアゴを肩に乗せる打者は、それ以前もそれ以後も私は知りません。しかしこの独特なフォームは、バランスを取るのは難しいのでしょう?アゴの乗せ具合により、素人の私でも彼の好不調の見当が付いたものでした。年度ははっきりとは覚えていませんが、読売ジャイアンツとの日本シリーズの時、絶不調の彼は、普段とアゴの位置が全く違っており、打てる気がしませんでした。つまり彼はフォームが固まらないと打てないタイプの打者であり、所謂器用な打者ではありませんでした。型にはまった時の彼は、今もパリーグ記録となっている32試合連続安打の保持者らしく、手をつけられない程の猛打を誇っていましたが、逆に不調も長く続くタイプでした。公称175cm,82kgとがっしりとしていながらも、強打者としては決して大きくはない体から、バットスピードは非常に速くパンチ力にも優れ、打球は強烈なものが多かった記憶が強いものです。典型的なプルヒッターであり、打球の殆どは左中間であったと思います。この点は、同一時代のライバル土井正博と同じですが、左右に長打を放てる大杉勝男とは異なっていたと思います。

長池徳士(徳二)(2)

2011-02-21 21:57:26 | Weblog
今回は長池徳士選手の通算成績に触れたく思います。昭和40年代強くなった頃の阪急ブレーブスは、私の好きなチームの一つでした。その内でも、かっての球速に明らかに陰りを見せていた米田哲也、梶本隆夫と異なり、長池徳士、加藤英司、福本豊、山田久志等は正しくこの年代に台頭して来た選手で物凄く頼もしく思うと同時に、大きな期待もかけていました。長池徳士は殆ど4番打者をその当時勤め、前回書きました様に非常に安定した成績を収めていました。今回彼の成績を調べ直していたのですが、その率以外の通算成績が、ある選手の通算成績のほぼ半分位だという事に何故か気づきました。この様な例は、もっと調べれば他にもあるかも知れませんが、取り敢えず記入して見ます。実働年数14年対26年、試合数1449対3017,安打数1390対2901,本塁打数338対657,打点969対1988,塁打数2601対5315,打率は0.285対0.277です。しかし私のイメージと非常に違う数字を見つけました。それは意外にも三振数で516対1478でした。数字を見る限り長池徳士は、9.44打数に1回の三振と、強打者としては少ないものでした。レギュラー定着以降、殆どの年が50三振以下となっていました。今改めて彼の打撃を思いだしても、やはり意外と言う気がします。(比較した選手は試合数、本塁打数等でお解りかと思いますが野村克也選手です。)

長池徳士(徳二)(1)

2011-02-20 21:15:54 | Weblog
昭和41年から54年まで、阪急ブレーブス一筋で大活躍した右投右打の外野手です。本塁打王3回、打点王3回、MVP2回、ベストナイン7回と素晴らしすぎる実績の割に、後の評価が物凄く低い、つまり過小評価されている選手と思えてなりません。昭和40年代阪急ブレーブスがパリーグに於いて強かった時代、彼も全盛期で毎年の様に3割、40本塁打、100打点をマークしており、文字通りチームの主砲として大活躍していましたが、本当に残念ながら、チームは日本一にはなれませんでした。当時は読売ジャイアンツがセリーグで毎年優勝しており、更に日本シリーズでも勝ち続けており、阪急ブレーブスのみならず、パリーグの優勝チームの評価が異常に低く、ひいてはパリーグの選手も不当に低く評価される傾向もありました。当時パリーグの3割打者はセリーグに移籍したら2割8分しか打つ実力がないという、全く根拠のない記事が多く、セパの人気の差も現在とは比較にならない程激しく、物凄くパリーグの選手の実力が低く評価されていた時代でした。従ってこの時代に大活躍したパリーグの選手の評価は低く、長池徳士は不幸にも、その弊害を受けた代表的な選手といえるかと思います。

奪三振率(2)

2011-02-19 14:06:47 | Weblog
阪神タイガースに入団後、数年間の江夏豊投手は、無類の豪速球と投球術で面白い様に三振を奪っていました。当時球の速い投手は数多くいましたが、江夏豊程三振を奪える投手はいませんでした。しかし入団6,7年目頃から球速に陰りが見えだし、奪三振率が著しく落ちて来ました。その後、南海ホークスに移籍しますが、主に先発を務めた1年目までは、かっての奪三振マシンの輝きは全くありませんでした。南海ホークスでの2年目、リリーフ投手としての役割を担い、新たな江夏豊を見せるのですが、この時点でも奪三振率は上がってきませんでした。しかし翌年以降、引退するまで、多くの年にイニング以上の三振を奪い、リリーフ投手転向以後、通算でもイニング以上の三振を奪っています。リリーフ転向後の江夏豊の球速は、どう贔屓目に見ても、全盛期とは比較にもならないものでした。それでも江夏豊は、より磨きをかけた投球術と短いイニングに力を投入出来るリリーフという立場で、投げたイニイグ数こそかなり違えど、全盛期以上の奪三振率をマークしていました。