3388 野球ブログ

日米を問わず名選手を紹介。

ジョエルズマヤ(Joel Zumaya) (7)

2010-05-31 22:20:54 | Weblog
ジョエルズマヤ投手の快速球は、全く他の投手と異なり,もはやその球速は不可侵の領域にさえ到達している様な気がします。MLBのホームページで今日の試合のデータをチェックしましたが、最速102マイル、100マイル以上が16回、最も遅いストレートでさえ98マイルを計測していました。いかに一試合に於いて、投げる回数の少ないリリーフ投手とは言え、彼の球速は恐るべきものです。正しく他の投手とは比較出来ない程の速さかと思います。日本野球と比較して、速球投手の多いメジャーでも一試合で100マイル以上を連発できる投手は、現在他にそうはいないかと思います。強いて言えば昨年のドジャースのジョナサンブロクストン投手位しか思い浮かばない程です。かって試合後半に球速の増してくる豪腕バートロコロンや、ビッグユニットことランディジョンソン、切れ味鋭い左腕ビリーワグナー等はしばしば100マイル越えを見せてくれましたが、それでも一試合では一桁だったと思います。兎に角彼の球速は群を抜いています。あまりにも速すぎる球を投じる事に体がついてこないのか、或いは他の理由があるのか、故障の多い彼ですが、是非精進して、あの類稀なる快速球を投げ続けて欲しく思います。

小坂敏彦

2010-05-28 21:40:32 | Weblog
昭和45年から51年まで読売ジャイアンツ、日拓フライヤーズー日本ハムファイターズに在籍した左腕投手です。彼にはもの凄く酷な表現かも知れませんが、私のイメージとしては、プロとアマとの力の差を如実に示してくれた、代表的な投手という事に尽きます。高校、大学では活躍出来ても、プロの世界での活躍は到底望むべくもない投手でした。公称でも172cm,69kgの小柄な体でしたが、本当にその通りと言うか、もっと小さく見える感すらする投球内容でした。二線級投手の多くがそうである様に、腰の捻りは少なく、スリークォーターよりやや低い位置から投じていましたが、悲しいかな球速には非常に乏しく、多分変化球の種類は少なくなかったとは思いますが、記憶に残る様な球はありませんでした。球速はなくとも、球の伸び、切れには優れ好成績を残す投手はそれなりにいますが、彼にはそれもあり得ませんでした。どう考えてもプロで大成する投手とは思えないレベルの投手でした。


通算成績   105試合   9勝8敗  防御率  4.74 奪三振  110

竹村一義

2010-05-27 21:13:16 | Weblog
昭和43年から52年まで、大洋ホエールズ、阪急ブレーブス、阪神タイガースに在籍し、登板なしの45年を除き実働9年の右腕投手です。この投手が活躍したと言えるのは阪急時代の48年から50年の3年間であり、生涯勝利数30勝の内28勝を挙げています。他強いて挙げるとしたら46年に100イニングス以上を投げたシーズン位かと思います。この投手の印象を一言で言えば、平凡な投手という事に尽きるかと思います。公称180cm,74kgの体型もそうですが、ほぼスリークォーターより投じられる球は決して速くはなく、平均レベルでしょうか?又カーブ、スライダー等変化球もありましたが、これといった決め球となるべく変化球はありませんでした。球の伸び、切れ、制球も目立つ点はなく、悪く言えば二線級投手の典型かと思います。又彼が阪急で活躍した3年間は所謂主戦級クラスの衰え、不調の目立つシーズンでもありました。48年にはかっての豪腕米田哲也の最後の踏ん張りこそありながらも、梶本隆夫の引退があり、又50年には新人豪速球投手山口高志の活躍があったものの、当時後に見事な復活を遂げるエース山田久志にとっては不本意な3年間でもありました。つまり竹村一義はエース不在の時期に、力不足ながらも頑張った投手という事は言えるかと思います。



通算成績   172試合  30勝23敗   防御率  3.77 奪三振   290

松井稼頭央

2010-05-24 21:44:51 | Weblog
松井稼頭央は、日本プロ野球では抜群の身体能力を誇っていました。ショートストップとしては歴代屈指の俊足と、強肩の持ち主でした。私の知り得る限りその俊足は多分NO.1であり、その肩はあの驚異の強肩遊撃手、大橋穣に次ぐものかと思います。守備力もその身体能力を十分に活かし、素晴らしいプレーも度々見られましたが、逆に雑なプレーも多く見られたものでした。彼のプレーを見ていると、恵まれすぎた素質のまま、あまり努力、研究をしていない様にも見えてしまいます。では打撃に関してはどうでしょうか?スイッチヒッターに転向する等、かなり努力したかと思いますが、どうしても、打席に於いての体の硬さというか、柔軟性に欠ける感じが否めません。ある雑誌で、彼の筋肉隆々の素晴らしい体を見ましたが、この体つきが彼にとって、良かったのかどうか非常に疑問に思わざるを得ません。日本時代の彼は徐々に長打力を増し、30本以上の本塁打を2回記録する様になりましたが、その代償としてその両年共100三振以上を喫する打者になりました。決して大きくない体ながら、本塁打が結構打てる打者になった事が結果的に、その後の彼にとってプラスに作用したとは思えないものです。

松井稼頭央の今後

2010-05-22 21:04:53 | Weblog
打撃不振で事実上の解雇通知を受けた松井稼頭央は今後どうなるのでしょうか?ヤクルトスワローズが興味を示しているとか、古巣のコロラドロッキーズが獲得を考えているとかの情報が流れていますが、実際はどうなのでしょうか?明日のサンデーモーニングでは、あの張本勲が、常に語っている様に、間違いなく早く日本プロ野球に帰って来いと言う様な気がします。確かに彼の今後はどうなるのかは解りませんが、もしメジャーに残ったとしても、悲しいかな間違っても大きな活躍をする事はあり得ないでしょう。日本プロ野球では抜群の身体能力を誇った彼ですが、流石にメジャーでは彼の脚、肩は差ほど目立つものではなかったのが、彼にとっては悲劇の始まりだった様な気がしてなりません。以前も書きましたが、メジャー史上最高級の身体能力を誇るホゼレイエスをショートからセカンドに追いやって、彼がショートのレギュラーとしてニューヨークメッツに入団した時から不幸が始まった気がしてなりません。どう見ても松井稼頭央とホゼレイエスは、その素質に於いては大きな差があり、彼にとってはもの凄く不幸な事に、辛辣なファンの多いニューヨークでは、ヒールとしてのスタートで始まった様な気がします。つまり彼はメジャーでのスタートで、既に負のイメージを背負っていた事が、その将来に大きく影響している様な気がしてなりません。

新浦壽夫(寿夫、寿丈) (3)

2010-05-21 21:43:30 | Weblog
新浦壽夫は昭和51年から54年にかけては、読売ジャイアンツにおいて、欠かす事の出来ないエース級の働きをしました。特に素晴らしいのは、現在の投手程奪三振率の高くない当時の投手には珍しく、非常に多くの三振を奪える投手という事でした。昭和54年には自身唯一の奪三振王に輝いています。しかし昭和55年以降、急激に成績を落とし、59年には彼の母国、未だ黎明期であり、多分現在の実力とは全く異なる韓国プロ野球入りしています。確か初年度には25勝を挙げる等、もの凄い活躍をしました。韓国での素晴らしい実績を残して、彼は大洋ホエールズに入団し、日本プロ野球に復帰するのですが、当時の彼の投球を見て、かなり印象が変ってしまった事に非常に驚いた記憶が今でも鮮明に残っております。投球フォームがかなり変り、以前の長身を巧く活かした、角度のある投球フォームは影を潜め、腕の位置がかなり低く、横振りに近い感じになり更に腰の回転も、それに伴いやや横手投げの投手に近い感じに変って来ていました。当然の如く球速は遅くなって来ており、正しく技巧派新浦壽夫の誕生といった感じでした。

新浦壽夫(寿夫、壽丈)  (2)

2010-05-20 20:32:54 | Weblog
昭和48年から新浦壽夫の登板数はかなり増えて来ます。しかしさしたる活躍も出来ない状態が続きます。前回も触れましたが当時の評価としては、球が速く、大きなカーブがありながらも制球難の為、活躍出来ないと言う論評が多かったと思います。しかし当時の野球中継は読売戦が多く、ある意味止むを得ず彼の投球を見る機会は非常にあったのですが、どう贔屓目に見ても速いとは思えませんでした。と言うよりも、むしろ少し前に引退した不世出の400勝投手金田正一の、球速のかなり衰えた晩年の投球を思い浮かばざるを得ないものでした。つまり、かなり辛辣に表現すると晩年の金田正一二世が新浦壽夫という印象でした。しかし彼の素晴らしい所は、金田正一と同様球を速く見せる技術に長けている所かと思います。彼は大きなカーブを巧く利用し、さして速くはない速球を速く見せていたと思います。この技術は、同じ球団の先輩堀内恒夫には全くないもので、堀内恒夫の場合、新浦壽夫より遥かに速い球と、もっと切れのあるカーブを持ちながらも、意外な程三振の奪えない投球を、こと三振を奪う技術に関しては、新浦壽夫の方が遥かに凌駕していると思います。

新浦壽夫(寿夫、壽丈) (1)

2010-05-14 21:10:45 | Weblog
実働は昭和46年から58年迄読売ジャイアンツ、その後韓国プロ野球に移籍し、62年大洋ホエールズへ入団し、日本プロ野球に復帰し、ダイエーホークス、ヤクルトスワローズを経て平成4年に引退した左腕投手です。入団当初から左腕本格派快速球投手と、評論家筋には、非常にその球の速さには評価の高かった投手ですが、私には一度たりとも速く感じた事はありませんでした。勿論球の遅い投手と言う事ではないのですが、コントロールは悪いながらも球の速さだけは超一流という評価を、今にして思えば読売系列の評論家が主にしていた様な気がします。当時は今より露骨に、同系列の選手を過大評価し、褒め称える傾向がもの凄く強かった様な気がします。そしてその恩恵に大きくあずかったのが彼かと思えてなりません。確かに投球フォームは、公称183cm.80kgの体を巧く活かし、スリークォーターより投げ、カーブも大きく曲がり、一見して本格派投手らしく、彼の入団の少し前に引退した大投手金田正一を、彷彿とさせる印象はあったと思います。更に右足のあまり上がらない金田正一より、新浦壽夫の方が足の上げ方が、よりダイナミックということもあり、実際の球速より速く見られていたかと思います。

野崎恒男

2010-05-13 21:08:44 | Weblog
昭和47年から53年迄、南海ホークス、太平洋ークラウンライオンズ、近鉄バッファローズに在籍した右腕投手です。彼には非常に酷な表現で誠に申し訳ないのですが、典型的なプロ野球では一流には成りえない投手と言えるのでしょう。残念な事にシャープさとは無縁の投手と言えるのでしょう。投球フォームは鈍い感のする腰の捻りから、スリークォーターよりやや下の位置から投じていましたが、巧く表現出来ませんが、全体的に何となくドロンとした感じを非常に受けたものです。変化球はカーブ、シュート等一応あったと思いますが、基本と成る直球には、球速は感じられず、多分当時の投手の内でも、遅い方の部類に入ったかと思います。又公称175cm,79kgとやや太めの体型もあり、私のイメージとしては、どうしても鋭さの感じられない投手の筆頭的な存在と言えるかと思います。


通算成績   131試合   9勝13敗   防御率   4.33    159奪三振

岡田光雄 

2010-05-12 20:47:38 | Weblog
昭和44年から48年迄、近鉄バッファローズにて実働の右腕投手です。公称182cm,82kgでしたが、それよりも細身に感じる体型でした。腰の捻りのやや浅いスリークォーターからの投球でしたが、投手にとって非常に必要な肘の撓りに欠ける、どちらかと言えば球を置きにいく投法といった感じでした。彼の投球を見たのは、活躍したと言える昭和44年が殆どだったと思いますが、阪急ブレーブスとの優勝争いにおいて、それなりに活躍したのを覚えています。球速では現代の投手より平均的に遅い投手の内において、やや速い部類でしょうか?どう贔屓目に見ても速球投手ではなかったと思います。それにしても2年目以降1勝も出来ずに引退せざるを得ないレベルの投手ではなかったと思います。初年度の投球の印象から言って、2年目以降もある程度の白星を重ねる投手と思っていたものです。確か当時の近鉄のエース鈴木啓示の彼への評価は決して高くなかった事を何故か記憶しています。300勝投手の鈴木啓示の見る目が正しかったのか、或いは彼の躍進を阻む何かがあったのかは解りませんが、どうしても不可解な2年目以降の成績だったと思います。