3388 野球ブログ

日米を問わず名選手を紹介。

昭和39年の阪急ブレーブス投手陣(1)

2010-10-29 20:42:21 | Weblog
昭和39年、阪急ブレーブスは西本幸雄監督の下、私の知り得る限りでは、長期間弱小球団であり続けた阪急が初めて優勝争いに絡み、2位に食い込むという大躍進を見せました。打者では新加入のスペンサーの猛打が目立ちましたが、好調の要因としては、何と言っても投手陣の充実が挙げられると思います。エース格は前年17勝を挙げ、頭角を表し、その年28勝を挙げた石井茂雄でしょうが、豪腕米田哲也も、やや球速が遅くなったかも知れませんが、相変らずの豪速球を投げ21勝を挙げています。足立光宏も初の二桁の13勝を挙げています。又快速左腕の梶本隆夫は球速の衰えはかなり見られたものの、231.2イニングスを投げ9勝を挙げています。当時四本柱と呼ばれ他チームを圧倒する投手力を誇っていました。その年度、150試合制の内、阪急は79勝を挙げていますが、実にこの4人で71勝を稼いでいる訳なのです。素晴らしいと言えるとは思いますが、他に試合を任せられる投手がいなかった事も事実なのでしょう。

槌田誠

2010-10-28 19:55:04 | Weblog
昭和42年から52年まで、読売ジャイアンツ、ヤクルトスワローズに在籍した、右投右打の当初捕手、その後外野手に転向した選手です。彼の入団当時、読売の捕手は打撃力が弱く、又肩も決して強くはない森昌彦がレギュラーでした。入団当初法螺吹きクレーと呼ばれた様に、彼はかなり強気の発言を繰り返しており、それを煽るかの様に、特に読売系のマスコミは、すぐにでも彼がレギュラーの座を獲得出来るほどの力と喧伝していましたが、悲しいかな彼には、実力が伴ってはいませんでした。森昌彦と異なり、攻守走三拍子揃っていると言われていましたが、その全てとも、プロのレベルではありませんでした。先ず打撃は、レベルの落ちる大学では打てたのでしょうが、非常に粗く、更にプロで長打力を発揮できる様な力はありませんでした。およそ4打席に1回の三振を喫しながらも、34打数に1回の割合でしか本塁打を打てなかった数字が物語っています。プロ入り当初の発言から、どんな選手かと期待させてくれましたが、結果としてアマとプロとの違いを痛感させてくれた選手の一人と言えるのでしょう。


通算成績   479試合    0.215 14本塁打    63打点

城戸則文

2010-10-27 16:53:32 | Weblog
昭和32年から49年まで、西鉄ライオンズ、サンケイ、ヤクルトアトムズ、ヤクルトスワローズで活躍した選手です。西鉄ライオンズでは、昭和34年以降常時出場しなくなった豪打中西太の後、三塁を守った選手です。中西太の後釜という事もあり、そのプレイを比較してしまいがちですが、どうしても彼には地味、目立たない印象が非常に強いものでした。異なる言い方をしますと、特に大きな欠点は見当たらず、ある意味非常に堅実な選手だったと思います。守りに関してですが、身体能力に優れている感じは見受けられず、又肩も格別強い方ではなかったと思いますが、守備勘がよかったのでしょうか?結構いい位置に守っていた印象が強かったものでした。打撃に関しては、公称182cm,75kgと当時としては大柄ながらも、決して長打力のあるタイプではなく、又率を残せる程のセンスは持ち合わせていませんでした。通算打率0.238、自己ベスト0.284が示す様に決して優れてはいなかった様な記憶があります。このタイプの選手は記憶に残りにくいものですが、何故か中西太と好対照という事もあり私の内では、非常に印象に残っている選手の一人です。


通算成績   1766試合    0.238    66本塁打    393打点   

プレイオフ(2)

2010-10-26 22:02:19 | Weblog
メジャーの不公平さに就いて、もう少し言及してみます。メジャーでは1997年から交流戦を行っていますが、毎年必ず組まれるヤンキース対メッツやカブス対ホワイトソックスの様な、同一地区のカードもありますが、基本的には毎年異なっているみたいです。あまり多くはない試合数とは言え、この点でも公平さを欠いています。これらのメジャーの不公平さに比べ、日本は両リーグ共6チームであり、各チーム共同じ試合数当たります。更に交流試合も同じ試合数が組まれています。メジャーと比べ、何と公平なことなのでしょう?現在同一リーグのチームとの対戦は各24試合、交流戦は各4試合の計144試合が組まれていますが、これ程公平な条件で戦い、他のスポーツより多い試合数がありながら、プレイオフが必要なのでしょうか?物凄い疑問を感じざるを得ません。確かにプレイオフがある事により、消化試合が少なく、盛り上がる事を否定するつもりはありませんが、何故プレイオフを行っているかに疑問を感じてしまうものです。

中日対ロッテ

2010-10-25 21:15:57 | Weblog
今年の日本シリーズは、少し予想外ながらも中日とロッテの対戦になりました。実に36年振りとの事です。その記事を見て即座に、昭和49年の村田兆治の日本シリーズでの快投を思い出してしまいました。確か第6戦の延長になった試合で、村田兆治は3対2で完投勝ちしています。その試合で彼の球が、異常なほどに速く、迫力があり過ぎた事を昨日の事の様に覚えています。新入社員であった当時、途中から喫茶店で見てましたが、この投球なら、中日打線は間違いなく打てないだろうと思わせる程の素晴らしすぎる内容の投球でした。その年12勝10敗ながらも、防御率2.69の4位と実力の片鱗を見せ始めてきた彼ですが、その年のロッテ投手陣での位置づけでは、金田留広、木樽正明より下であり、その年不調だった成田文男と同等位だっとかと思います。しかしこの投球を見た者なら、誰もがロッテの将来のエーズは彼以外には有り得ないと確信させるほどの内容でした。彼ら3人の投手の球速はそれなりに速いものでしたが、村田兆治と比較できるレベルではありませんでした。残念ながらロッテの試合を見る機会はあまり多くはなく、それまでの村田兆治に対して私が抱いていたイメージとしては、球は滅法速いが、伸びにはやや欠ける投手でした。しかし、腰のタメが上手く出来る様になったのでしょうか?課題の球の伸びも素晴らしく、その後の彼の大活躍を確信させてくれたものでした。

プレイオフ(1)

2010-10-21 19:28:24 | Weblog
現在プレイオフが開催されていますが、果たして必要なのでしょうか?以前にもこのブログで触れましたが、非常に疑問に感じるものです。メジャーと比較しながら、私見を述べたく思います。先ずメジャーは基本的に、本当に不公平から成り立っています。アメリカンリーグ14チーム、ナショナルリーグ16チームとリーグによってチーム数が違います。両リーグ共、東部、中部、西部地区に分かれていますが、両リーグのチーム数が共に数字3で割り切れない事からも、見当がつく様に各地区毎のチーム数が異なっています。4チームの地区も、6チームの地区もあるのが現状です。同地区の試合数が多く組まれる仕組みになっている様ですが、他地区のチームとの試合も含め、年度毎に各チームとの対戦数も変わっている様です。当然ながら弱いチームの多い地区と、強いチームの多い地区での有利不利は生じて来る訳です。その不公平をなくす為か、各地区の優勝チームと、それ以外のチームで最も勝率の高いチームを加えた4チームで、プレイオフと言う仕組みになっています。つまりメジャーの場合は不公平が、原点にある事からその救済策(?)としてプレイオフが存在している様に思えてなりません。

土橋正幸

2010-10-20 20:41:53 | Weblog
先日のサンデーモーニングで、久しぶりに土橋正幸の姿を見ました。私はこの人程、投球スタイルと話し方にギャップのある人を知りません。彼の全盛期の昭和30年代の投球ですが、本当にちぎっては投げの感じで、物凄く投球テンポが早く、更にコントロールの良さ、球の速さも相俟って、非常に小気味良いものでした。同番組で張本勲氏が賞賛していた様に素晴らしい投手であった事には全く意義はありません。但し張本勲氏が褒め称える程、彼のスライダーが素晴らしいという認識はありませんでした。しかし何故あの投球でのテンポの良さが、彼の解説では全く出ないのでしょうか、不思議でなりません。それなりによく登場していた時代の彼の解説を思い出して見ると、物凄くセンテンスが長く、その上最終的に何を言いたいかのか、殆ど理解出来ないものでした。残念ながら現在もその点は全く変わっておらず、今後サンデーモーニングにレギュラーとして出演するか否かは知りませんが、故大沢親分の後釜の重責を担うには役不足と言わざるを得ない様な気がします。

落合英二

2010-10-19 21:14:30 | Weblog
実働は1993年から2006年まで、中日ドラゴンズ一筋に活躍した右腕投手です。交渉178cm、86kgのがっしりした体格から投げ込まれる非常に重そうな速球に、魅力を感じる投手でした。多分本人も意識していたかと思いますが、腰の捻りを充分に活かし、オーバスローに近い位置から投げ込む速球には、打者を威圧する様な威力がありました。球筋としてはズドンと食い込む感じで、所謂伸びがあり、浮き上がる様な感じとはかけ離れていたと思います。現役の投手ですと阪神の久保田投手が非常に似ているかと思います。日本大学時代に右肘を骨折し、その為か大学時代の実績ほどの評価をドラフトでは受けなかったみたいですが、プロ入り後も手術をするなど、その後も影響はかなりあった様に思えます。しかし時折見せてくれた剛球は、ひょっとしてこの投手に故障がなければ、どんな投手に育っていったかを期待させてくれたものです。


通算成績    37勝45敗   防御率 3.29 24セーブ    奪三振  393

鈴木武樹

2010-10-18 22:56:47 | Weblog
今回紹介するのは野球選手ではなく、明治大学の教授だった人です。1978年43歳の若さで,胃癌により亡くなっています。非常に野球に造詣のある方で、今ほど身近ではなかった時代のメジャーリーグにも詳しく、確かメジャー関係の著書もあったと思います。私も彼の著書≪プロ野球の魔力≫、≪黒い霧は晴れたか≫等の著書を買った記憶があります。鈴木武樹氏は、自著でも何回か触れている様に熱心な中日ドラゴンズのファンでした。しかし某元局アナの様な、一球団のみしか見れない様な見識の狭さはありませんでした。純粋に中日を愛している感じが凄くしたものでした。氏の文章を読んでいると本当に野球が好きでたまらない人だと、強く感じたものでした。氏が生前よく主張していたのは、決して野球選手の欠点を言うべきではないと言う事でした。短所を探すより長所を探して紹介する事が野球人気を増し、ひいては野球界の発展に繋がるという事でした。確かにそういう考えもあるとは思いますが、この論点でいくと、どうしても人気先行の力のない選手ですらも、褒めざるを得ない事になろうかと思います。氏の多くの主張には共鳴すべき点は多かったのですが、どうしてもこの点には賛同出来なかったものでした。(記憶が確かなら、氏の多くの著書は助教授時代に書かれたものだと想います。)

3割、700本塁打、500盗塁

2010-10-16 18:03:59 | Weblog
残念ながらこの記録には打率の項目には通算はつきません。一時的にですが(確か2,3年?)史上最強打者と言われるバリーボンズが記録し,2005年まで維持していました。その後の2年間で2厘打率を落とし、最終的には0.298で、現役を終えています。もし彼がもう少し早く引退していれば、先日このブログで触れた、通算3割、500本塁打、300盗塁をスケール的に遥かに上回る記録を残した事になったのでしょう。又彼の物凄く素晴らしい所は、多くの選手が当然の如く晩年打率を落して引退していくのに対し、彼は2000年から2004年まで毎年3割以上の数字を挙げ、2度も首位打者に輝き、晩年になって逆に数字を上げてきていました。私の記憶に誤りがなければ1997年終了時点の打率が0.288を、後の10年間で1分も上げた史上稀に見る選手と言えるのでしょう。しかし彼は最後の2年間で、ベーブルースとハンクアーロンの本塁打数を抜き去り、史上一位になったのですから、多分通算打率3割に関しては、あまり意識がなかった様に思えてなりません。それにしても薬物の噂とか色々ありますが、彼の残した実績は素晴らしすぎるとしか言い様がありません。