3388 野球ブログ

日米を問わず名選手を紹介。

中西太(1)

2010-03-31 20:50:16 | Weblog
昭和27年から44年迄、西鉄ライオンズで大活躍した右投右打の、選手生活の前半は三塁、後半は主に一塁を守った選手です。かなり野球好きの父親から、中西太の名前とその凄さはよく聞かされており、非常に興味を持っていました。幸いにも多分昭和33年、或いは34年の後楽園球場でのオープン戦を見る機会に恵まれました。そこで彼は左中間へもの凄く綺麗な放物線を描くホームランを放ち、流石にもの凄い選手だという印象を受けたのを、非常に良く覚えています。しかし数多く語られている彼の逸話、即ちショートライナーかと思った当たりがレフトへの飛距離十分なホームランとか、外野手が前進した当たりがホームランになったかという打球ではなかったかと思います。本当に悔しいかな、伝説の豪打者の真価を証明すべく打球は見ておりません。しかし当時もそうですが、34年以降一度たりとも規定打席に達する事もなくなりますが、彼の人気は凄まじく、彼の姿がグランドに現れただけで球場全体がざわついてきたのを、昨日の事の様に覚えています。


通算成績   1388試合   1262安打    0.307    244本塁打    785打点

外木場義郎投手の球速

2010-03-30 20:31:44 | Weblog
公称175cm.78kgと決して大きくない体ながらも、十分な腰の捻りを活かし、スリークォーターよりやや低い位置からの豪速球と、大きく縦に割れるカーブを武器とする正しく本格派投手と言える投手でした。その豪速球は本当に速く、重く、凄みすら感じられるものでした。非常に似たタイプの尾崎行雄投手と比較すると、流石に球速では劣るものの、殆どこれといった変化球を持たない尾崎行雄と異なり、大きな武器となる変化球を持ち、更に制球の面ではかなり凌いでいたと思います。特に好調時の彼は、本当に難攻不落であり2度のノーヒットノーラン、1度の完全試合も十分に肯けるものです。昭和40年代前半の右腕投手での球速比較ですが別格の森安敏明を除き、入団時の堀内恒夫にはやや劣る位の速さを誇っていたと思います。つまりその他の多くの速球投手をも凌いでいたと思います。しかしその彼も昭和50年の日本シリーズであの山口高志と投げあった時の球速に関しては、明らかに劣っていたかと思います。当時の彼は正しく円熟期を迎えていましたが、多少球速には陰りの見えていた時期でもあり、流石に史上有数の快速球投手山口高志投手と比較すると見劣りするものでした。

小野正一投手の球速

2010-03-29 20:16:02 | Weblog
長身左腕快速球投手の小野正一投手の球速に触れたく思います。昭和30年代のパリーグを代表する左腕としては、阪急ブレーブスの梶本隆夫と大毎オリオンズの小野正一の2人が先ず最初に浮かびます。2人共当時としてはかなり長身であり、非常に球も速いものでした。特に小野正一は30年代半ばからサイドに近い投法になっていた梶本隆夫と異なり、左腕投手には非常に珍しくオーバースローからの投球でした。長身からの角度を活かした快速球と大きく割れるカーブを主な武器としており、あまり好きな言葉ではないのですが、パの金田と呼ばれていました。本家金田正一より高く脚を上げ、より高い位置から投じていたのが小野正一と言えるのでしょう。では球速はどうなのでしょう?私のランキングでは左腕投手の内では現役投手を除き、金田正一、渋谷誠司、梶本隆夫、江夏豊、鈴木啓示に次ぐ速さかと思います。しかし彼のデビューの31年から33年位は実際に見ていない為、ひょっとしたらもっと速い球を投げていた可能性もあるかと思います。それにしても本当に最も格好のいい左腕投手だったと言えるでしょう。

昭和22,23年生まれの快速球投手

2010-03-27 20:43:47 | Weblog
ここでは昭和22年の4月2日から23年の4月1日生まれ、つまり同期生の快速球投手に触れたく思います。この年代は球の速い投手が本当に多く、プロ野球史上最も速い球を投げる投手が揃っていた年代と言えるのでしょう。ブログ前回の鈴木啓示もその内の一人ですが、私なりの速球投手ランキングを紹介したいと思います。先ず第一位は間違いなく森安敏明でしょう。右腕サイドからの強烈な快速球は他を圧倒する程の威力でした。続いては堀内恒夫の浮き上がる様な速球でしょう。第3位には鈴木啓示のダイナミックなフォームからの速球、第4位にはコンパクトなフォームながら、切れ味抜群の速球を武器としていた松岡弘が挙げられると思います。続いては史上最高クラスのシュートの持ち主、平松政次かと思います。彼の場合あまりにもシュートが素晴らし過ぎる為、所謂直球を投げる必要も少なかったかと思いますが、ストレートも本当に速かったものでした。ここまでの5人に就いて、敢えて順位を付けましたが、実際は森安敏明を除き殆ど差はないかと思える球の速さでした。この5人に次ぐのは、かなり離れて木樽正明かと思います。それ程この同期生5人の球の速さは素晴らしいものがありました。

鈴木啓示投手の球速

2010-03-26 20:24:46 | Weblog
実働20年で通算317勝を誇る左腕大投手です。入団後数年間はパリーグ切っての左腕快速球投手として知られていました。特に入団2年目からは、右足を思い切り高く上げ、よりダイナミックな投法からかなりの速さの球を投じ、和製コーファックスとまで呼ばれていました。当時確かに球はもの凄く速かったのですが、やや厳しい目で言えば、もう一つ伸びには欠けていたかと思います。その為と強気な投球もあり、又球質自体も比較的軽い為、結構手痛い本塁打を浴びるケースの多い投手でした。では当時の球速はどの位だったのでしょうか?昭和40年代前半、パリーグの左腕投手では間違いなくNO.1でしょう。しかし1年遅れて入団の同じく左腕、セリーグの江夏豊投手と比べると、球の伸び、重み、凄み、更に球速でも若干敵わないかと思います。彼は同期入団の森安敏明、堀内恒夫の球速と比較しても、私の見る限り劣っていたかと思います。しかし歴代の速球投手の内でも、かなりの速さを誇っており、周囲に速い投手が存在した為、こと球速に関してはもう一つ目立たない存在だったかも知れません。

大石弥太郎

2010-03-25 21:31:23 | Weblog
昭和37年から55年まで、阪急ブレーブス、広島カープ、再び阪急ブレーブス、中日ドラゴンズ、南海ホークスに在籍した右腕投手です。しかし彼が活躍したのは殆どが広島カープ時代です。42年当時、結構話題になった同姓トレードとして、やや力が衰えてきたとはいえ広島カープを支えてきた、全盛期にはもの凄すぎる投球を見せてきた大石清との交換で広島カープに入団しました。同じ大石と言う姓とは言え、格の違いを感じざるを得ないトレードかと、多くの人が感じたトレードだったかと思います。しかし彼は広島カープ時代の8年間で72勝を挙げ、通算勝利79勝の内、殆ど9割の勝ち星を広島カープで得ています。結果的には本当に、いい時期に広島に在籍していたのでしょう。投球スタイルとしては、結構体のバネを効かした感じのスリークォーターより、ほんの少し低い位置から投じていましたが、球速は当時の平均よりやや上位でしょうか、又格別武器となる変化球も特に記憶にありません。球の切れや伸びも特筆すべきものはありませんでした。しかし阪急ブレーブスに移籍した大石清のその後の成績を比較してみると、広島カープにとっては大成功のトレードと言えるのでしょう。


通算成績   462試合   79勝81敗    防御率  3.21    奪三振  758

張本勲(26)

2010-03-24 20:20:29 | Weblog
今回も執念深く張本勲の守備に触れたく思います。張本勲は自身の出演する3月初めのTBSサンデーモーニングで、マリナーズ、イチロー選手の放ったレフトへの痛烈な当たりにダイビングキャッチをしながらも、後にそらした外野手の守備を痛切に批判していました。レフトへの当たりを3塁打にするとは、有り得ないかの様な発言をしていました。しかし現役時代の彼の守備を十分に知っているだけに、本当に納得出来ないものです。張本勲の守備は、守りの苦手な外野手が多くとる様に、深い守備位置をとり、ひたすら前進のみを考えているかの様でした。更に打球勘に乏しく、スタートは遅く、走塁の時とは異なり決して機敏な脚の動きには全く見えませんでした。西武ライオンズ移籍時の田淵幸一に対して、タブランという言葉がありました。当時かなり太めになり脚の遅い田淵幸一のランニングホームランは絶対に不可能だという事からきた例えでした。私としては張本勲の守備に対して、ハリスラ或いはハリダイという言葉を与えたく思います。田淵幸一のタブランと同じく絶対にあり得ない事の例えであり、張本勲のスライディングキャッチやダイビングキャッチの事を意味しています。彼の天才的な打撃はもの凄く好きで、出来るかぎり彼の出場する試合を、生或いはTVで見てきましたが、残念ながら彼の積極的な守備は一度たりとも見た事はありませんでした。

中田翔(2)

2010-03-23 20:46:53 | Weblog
中田翔のパワーの凄さは、歴代の強打者の内でも屈指のものだと思います。巧く化ければ、打率は兎も角としても、その長打力は凄い記録を残す可能性を秘めているかと思います。しかし彼の打撃には一つもの凄く気になる事があります。今シーズンは以前と違い、打席での構え方も非常にリラックスした感じになっていますが、彼の打撃スタイルとしては、人一倍強いリストに頼りがちな感を受けます。つまり強靱な手首を活かし凄い打球を放つ事は多いものの、少しタイミングを外されたり、或いはもの凄い球が内角を襲ってきた場合には、その強いリストが逆に災いする危険性をはらんでいるかと思います。現在の彼には、様々な投球に対応出来るレベルの打撃術を身に付けているとは思えず、投球に対して必要以上に手首をこねたり、思いっきり振りすぎる可能性が高い為、非常に手首を痛める可能性があると思います。この傾向はかっての怪童とまで呼ばれた天才的強打者中西太、三拍子揃った広瀬叔功、主に近鉄で活躍した石井浩郎にもありました。彼等3人は素晴らしい打者でしたが、この欠点が選手寿命を短くしたのは確かかと思います。是非中田翔には、この手首の強さを活かしつつ、かっての山内一弘や、現役では山崎武司の様に打った後に巧く右手を離す打撃を身に付けて欲しく思います。

中田翔(1)

2010-03-22 11:50:38 | Weblog
今年もの凄く期待される入団3年目の長距離打者です。昨年2軍で30本塁打を記録した様に、パワーに関しては素晴らしいものがあります。しかし開幕早々、非常に気になる事があります。それは初の開幕スタメン出場、1安打2打点の成績を残した翌日のスポーツニッポン紙上に彼の独占手記が掲載されていた事です。多分彼の口述を基に記者が書いたのでしょうが、独占手記を載せる程の活躍、及び時期でしょうか?逆に言えばこの程度の活躍で、話題になるレベルの選手ではないかと思います。この手記で彼は入団当時の自信と、その後の苦悩と周囲への感謝の気持ちを表していますが、シーズンを通してもの凄く活躍した選手とか、例え1試合と言えども完全試合等の記録を達成した場合や、日本シリーズでのMVPに選ばれた選手が載せるべきものかと思います。たった1試合、それも負けゲームでの多少の活躍で載せるべきもので、ないと思っております。確かに彼の注目度、人気は凄いのですが、初の開幕スタメンとは言え、サインつきの独占手記を載せるのは時期尚早と思わざるを得ません。パワーヒッターとしての素質抜群の彼には、十分な実績を残した上での、シーズン後の独占手記を期待しています。

葛西稔

2010-03-21 21:56:41 | Weblog
1990年から2001年迄阪神タイガースで実働のアンダースローの右腕投手です。1989年の大豊作ドラフトで野茂英雄の外れ1位という事で、阪神タイガースに入団しています。残念ながらプロ入り同期の野茂英雄、佐々岡真司、佐々木主浩、与田剛等と比べると明らかに見劣りがしました。未勝利に終わった入団の年もそうでしたが、どう贔屓目に見ても将来素晴らしい投手に育つとは思えないレベルでした。投球フォームを一言で表現すれば粘りに欠けると言えるでしょう。アンダースロー投手の生命線とも言うべき、十分な腰の捻りや沈み込む様な投球フォームではなく、上体の比較的高い位置から投じていました。従って球速、球の切れ、伸びには欠けるものがありました。又彼の投球を見ていると、どうしても体力がある様には見えませんでした。しかし2年目には自己最多の8勝を挙げ、3年目には自己最多の105.2イニング数を投げ、先発投手としては必要な存在になり、その後1996年以降はリリーフ投手としてある程度活躍しました。彼の体力、素質等を考えれば、それなりに頑張った結果と言えるかと思います。


通算成績   331試合   36勝40敗    防御率 3.59 奪三振 352