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日米を問わず名選手を紹介。

追悼 伊良部秀輝(3)

2011-07-31 21:51:15 | Weblog
1993年から1996年までの4年間が、伊良部秀輝の最盛期と言っていいかと思います。毎年イニング数を遥かにオーバーする奪三振数を誇り、防御率も素晴らしいものでした。先日紹介した山口高志の公称170cmと異なり、長身、がっしりとした体躯の伊良部秀輝には、かっての投手には見られない程の、スケールの大きさを感じました。繰り出される球は、物凄く速く、重く、伸びにも優れ、凄味、迫力も感じられました。浮き上がる様な球と言うよりは、鉛をズドンと投げられた様な感じを、打者は受けたのではないかと思います。金田正一や郭泰源の様な、軽いけれどスピンのきいた速い投手と異なり、正しくその速く重い球は、豪速球投手の典型と言っていいかと思います。彼以降多くの速球投手が誕生しましたが、どちらかと言うと快速球タイプが多く、豪速球タイプはあまり見かけない気がします。意外にも球速のあまり出ない澤村拓一投手あたりが、もっともっと速い球を投じられる様になれば、豪速球投手と言えるかも知れませんが、もしそうなったとしても、スケールが違い、その当時の伊良部秀輝こそ本物の豪速球投手と言っていいかと思います。

追悼 伊良部秀輝(2)

2011-07-30 21:46:20 | Weblog
入団の年、それなりに速い球を投げていました伊良部秀輝でしたが、未だまとまりがなく、正直もう一つインパクトに欠けるものでした。しかし翌年以降、150km台の豪速球を連発する等、徐々に大器の片鱗を見せ始めましたが、その時点で後の、十分に上体のタメを活かしたフォームは完成していなかったと思います。そのせいでしょうか、試合毎に、フォームに変化が見られ、所謂安定性のある投手とは言えませんでした。1992年、リリーフで出て来た試合では、ストレートの殆どが140km台前半という試合もあり、ひょっとして大器のまま終わってしまうかも知れない危惧を抱いたものでした。しかし、1993年、あの有名な清原和博に対して投じた158kmの当時日本最速の投球以降、本当に変わったと言えるのでしょう。実際その試合が本当の契機だったのかどうかは解らないのですが、少なくともその年、彼の投球フォームは、以前より遥かに安定してきました。体のバネを活かして、踵を浮かし、腰の捩りを入れ、上体をじっくりためた上で、長身から投げ下ろす150km台の豪速球と、落差の大きい140km台のフォークボールの組み合わせの投球は、もはや難攻不落の存在になりつつありました。

追悼 伊良部秀輝(1)

2011-07-29 22:20:50 | Weblog
今朝、TVのニュースで伊良部秀輝氏の死去を知り、物凄くショックと共に寂しい思いをしました。それ程印象に残る素晴らしい投手だったと思います。高校野球を殆ど観ない私ですが、1988年ロッテオリオンズに入団した伊良部秀輝投手の、化ければ物凄い投手になり得る器という噂はよく耳にしており、物凄く興味を持っていた投手でありました。又、甲子園で活躍した多くの投手に見られる、甲子園止まりの投手、つまり伸びしろのない投手でなければいいのにという希望も持っていました。但し、当時の公称189cm,80kgと後の体重よりかなり少ないながらも、その立派な体格から、その大成をあまり心配していなかったのも事実でした。なかなか試合で投球する彼を観る事が出来ず、初めて彼の投球をしっかり観たのは、名称は忘れましたが、今でいうフレッシュオールスター戦でした。しかしその試合で最も注目された投手は伊良部秀輝ではなく、中日ドラゴンズの同じく高卒新人。上原晃投手でした。その試合でのスピードガン表示の最速は上原晃、148kmに対し、伊良部秀輝,147kmだったと記憶しています。又私の見る目のなさもありますが、その時点では、後のパリーグのエース、速球王になり得る存在とは思えなかったものでした。

山口高志(5)

2011-07-28 22:01:44 | Weblog
最速投手は誰かと言う時に、ほぼ必ず出て来る名前があります。それは戦前に活躍した沢村栄治投手です。しかし、実際に彼と対戦したり、TVのない時代、球場で彼の最盛期の投球を観た事のある人は、70年以上経た現在、非常に限られた人数になっているかと思います。同じ様な事が、その後の速球投手にも言えるかと思います。現在60歳台の私ですが、私なりに球の速さで物凄く高く評価している金田正一、梶本隆夫、米田哲也、小野正一等のデビュー時の球速は知りません。その点、昭和50年に猛烈な豪速球を披露した山口高志を、リアルタイムで観た人達は、現在40歳台以上で、それ以前の人達より、当然かなり多く生存している筈です。球速の数値を表す事で、ある意味ファンの速球投手に対する夢とロマンを奪った感がスピードガンにありますが、その直前、端境期に物凄い球速を連発した山口高志への郷愁は、かなりのものがある様に思えてなりません。つまり現在それなりに多くの人が、リアルタイムで観た事があり、且つ最盛期の球速が計測されていない事が、逆にプラスになり、今後速球王の筆頭候補として、山口高志の名前が挙げられる様な気がしてなりません。勿論その時代背景だけではなく、彼の速球が素晴らし過ぎるものである事も、付け加えておきます。

山口高志(4)

2011-07-27 14:35:16 | Weblog
山口高志投手の球速が、今後最も高い評価を受けるであろうと予想する要因の一つに、時代背景があります。昭和54年スピードガンが導入されましたが、その時既に、かっての恐ろしい程の球速は、残念ながらほぼ失われていました。従って、彼へのイメージとしては、スピードガン登場以前の投手としてしか有り得ません。村田兆治投手はスピードガン導入後も、なまじ速かったが為に、150kmクラスの球速が計測され、その数値を基に、全盛期の球速を推測されたりしています。その点、山口高志の場合、幸か不幸か、登板自体も減り、著しい球速の衰えもあり、その時点の球速が基準となる事はなかったかと思います。54,55年何回か彼の登板を球場でも観ましたが、50年当時の球速を知っているだけに、物凄く寂しいものでもありました。スピードガンには、数値の出やすい、出やすくない等、球場間の違い、誤作動もあり決して万能の物ではないのですが、一応の目安を作ったというか表した事は、事実かと思います。その目安の表される直前に、規格外の球速を紛れもなく投じていた速球王のイメージが、球速自体計測出来ていなくとも、或いは出来ていない事がプラスに転じ、未だに多くの人の脳裏に焼きついて離れないのではないかと思います。

山口高志(3)

2011-07-26 15:45:27 | Weblog
よく取り沙汰されるのが、史上最速の投手、速球王は誰であるかという事があるかと思います。人それぞれ当然観て来た時代が違う為、結論の出るものではないと思います。特にスピードガン登場以前の投手に関しては、昔の記憶に頼らざるを得ない為、誰が最速なのかを結論付けるのは、より不可能かと思います。ネットでも多く話題にされたり、雑誌、TVでも時折特集されたりもしています。そこで、今後速球王として、最も高い評価を受け得る投手が、山口高志投手ではないかと想像します。先ずは投球フォームです。勿論前述した様な、圧倒的な球速もそうですが、スマートさとは無縁の豪快なフォーム、さしたる変化球もなく、好調時には殆どストレートオンリーの投球スタイル、コントロールの悪さ等、相対する打者としたら、打席に立ちたくない投手である事には間違いないでしょう。例えばオリエントエクスプレスと呼ばれ、物凄い球速を誇った郭泰源投手と比較して見ます。華麗な投球フォーム、抜群のコントロール、決め球となる変化球を持ち、綺麗な回転の軽い球質等、素晴らしい球速以外全く共通点はないかと思います。多分打者は山口高志タイプの投手に、より恐怖を感じ、速さも感じるものと推測します。


山口高志(2)

2011-07-25 23:06:21 | Weblog
山口高志デビュー前年の日本シリーズの最終戦、村田兆治の投球も素晴らしいものでした。特に物凄く速く、且つ重い球には久し振りに驚かされました。投げ下ろしの投球スタイルといい、正しく本格派投手といった感じでした。しかし前回記しました様に、昭和50年、日本シリーズでの山口高志の投球での衝撃は、それを遥かに上回るものでした。豪快ながらも、滅茶苦茶な、華麗さとは縁もゆかりもない投球フォームから繰り出される豪速球は、異常な程に速く、重いものでした。球速でも村田兆治を凌いでいたと思いますが、一番異なる点は、高めの球が物凄く浮き上がる点だと思います。後の藤川球児を除き、その時点で浮き上がる快速球の威力では、他の投手を遥かに引き離し、かっての怪童尾崎行雄の全盛期と共に双璧かと思います。又決め球となり得る変化球や、どう考えても優れているとは言えないコントロールも相俟って、球の速さのみで相手打者を封じ込めた点でも、本当に印象深いものでした。かって日本シリーズで大活躍した稲尾和久や杉浦忠の完成した、安定感抜群の投球も実際に観ましたが、真逆の投球スタイルでも、桁外れの球の速ささえあれば、通用するという事を、十分に認識させてくれた投手でした。

山口高志(1) 

2011-07-22 22:07:43 | Weblog
ドラフト1位、物凄く騒がれて阪急ブレーブスに入団、入団の年、昭和50年から57年まで、8年間同チーム一筋に活躍した右腕投手です。しかし本当の意味で、活躍したと言えるのは、入団から僅か4年間といってもいいかも知れない投手でした。通算成績も50勝43敗、44セーブ、防御率3.18,奪三振600と、決して傑出したものではありませんでした。しかし、この投手が与えたインパクトは、並大抵のものではなく、物凄すぎるものでした。彼は彼自身が投じる桁外れのスピードのみで、強烈すぎる印象を人々に与えました。彼の入団時、所属のチーム、阪急ブレーブスは強いものの、決して人気のあるチームではありませんでした。その為か、球速に関しては、玄人筋には圧倒的な評価を受けてはいるものの、実際に観た事のある人は限られており、必ずしもその時点で、全国区の投手ではなかったかと思います。しかし彼は、野球ファンのみならず、多くの人が注目する日本シリーズで、信じられない程の球速を見せ、相手チーム広島カープの打者を圧倒してしまいました。特に第4戦、リリーフで登場し、延長戦に突入しても、広島カープのエース外木場義郎と投げ合った試合での球の速さは、未だに忘れる事は出来ない位凄まじいものでした。若い頃よりやや球速に陰りが見えていたとは言え、その年20勝の稀代の速球投手、外木場義郎の球速ですら、やけに遅く感じる程のスピードボールでした。

大石清(3)

2011-07-21 21:02:30 | Weblog
物凄く久し振りに大石清投手です。昭和34年のデビューから、3,4年間の彼の投球スタイルは、小山正明、村山実、秋山登等の素晴らしいセリーグの右腕投手より、私としては遥かに好きな投手でした。週刊プロ野球データファイル16号で2ページとは言え、取りあげられており、非常に嬉しくなり、又しつこく彼に就いて触れたく思います。と言うのも、3年連続20勝以上、通算134勝の実績を誇る彼に関する記事を見かける事は、最近本当に珍しい事であります。数か月前に広島カープの投手を特集した雑誌が刊行され、当然彼に就いても大きく取り上げられている事を期待したのですが、誠に残念ながら、ほんの少ししか触れられていませんでした。今回プロ野球データファイル16号で紹介されている写真の多くは、本当に彼の特長を良く表しており、特に連続写真では、往時の彼のバネの利いた、肘の撓りの凄い、切れ味抜群の、鋭い投球を、即彷彿させてくれるものでした。今まで多くの投手を観て来ましたが、彼の全盛期の切れ味の鋭さは、史上最高峰のものと言って間違いないかと思います。

スピードガン(4)

2011-07-20 22:07:06 | Weblog
ここ数年、何故か物凄く気になる事があります。それはメジャーと日本の投手の球速に関する表示というか紹介の違いです。決して全てのマスコミがそうであると言う訳ではないのでしょうが、日本では、その投手の過去に記録した数字も含めての最速の数字を主に紹介するのに対し、メジャーでは多くの場合、その投手のストレート系ならストレート系の、主に投じられる範囲の球速、或いは平均球速を紹介したりしています。例えば現在メジャー、最速左腕アルロディスチャップマンの場合、100マイル前後、平均球速99.5マイル、最速右腕ジョエルズマヤの場合も100マイル前後、平均球速99.3マイルという紹介が多く、あまりその投手の最速数字を紹介していない様に見られます。流石に今年チャップマンの記録した球場での106マイル表示、テレビでの105マイル、MLB機構での102.4マイルは最速論議で話題にはなりましたが、基本的には上記のような紹介が多い様に思えます。従って一つの例として、94マイルから98マイルの球速の範囲、平均では95.3マイルとして紹介された投手が100マイルの速球を何球か投げる事は決して珍しい事ではありえません。又逆に91,92マイル程度の球速に留まる場合も、あり得ます。当然その日の調子次第で球速のバラツキはあるのですが、今までメジャー中継を見て来た限りでは、殆ど紹介の範囲内に収まっていた様な気がします。