3388 野球ブログ

日米を問わず名選手を紹介。

球速の変遷(6)

2008-01-31 21:26:49 | Weblog
昔の投手より現在の投手の方が速いとする人の理論の根拠には、陸上、水泳等の競技では、その種目の殆どの記録が更新されており、野球も決して例外ではないとする意見が非常に多いものです。しかしここで絶対に見逃してはいけないのが、野球の場合、他の競技と違い、球速更新のみをを目指してきた訳ではないのです。投手の場合、先ず第一に、当然勝ち投手を目指すのが、チームの方針でもあり、更に投手の目標でもある訳なのです。その為か、球速はもの凄くありながらも、コントロールに難のある投手に対して、球団首脳陣は、その投手のフォームを変え、球速は落ちても安定性を求める傾向が、凄く強いものです。従って安定性は増すものの、速球投手としての魅力を失ってしまう投手を数多く見たものです。一番典型的なのは堀内恒夫でしょう。入団1年目には、帽子を飛ばす程のダイナミックな投法なのが、残念ながらそれ以降、段段おとなしい投法に変っていきました。球団としては、いいのでしょうが、快速球投手を求めるファンとしては、多少コントロールに難が有ろうとも、本当に速い投手を見たいものです。

球速の変遷(5)

2008-01-30 21:55:48 | Weblog
昔の投手より現在の投手が速いという意見の内には、体格の向上を揚げる人は非常に多いです。確かに現在の投手の方が遥かに体格は優れ、又多分トレーニンング方法も進んでいると思います。前にも述べた様に、全体の球速は、アップしているでしょう。しかし大きければ速い球を投げられるとは限りません。190cmクラスの長身を誇り、それなりに活躍した江本猛紀、金石昭人、山沖之彦、鈴木康二郎達の球速は、どう贔屓目に見ても速いクラスには入りませんでした。逆に公称170cmの山口高志は、恐ろしい程の速い球を投じていました。又173cmの井原慎一朗もかなり速く重い球を投げていました。全体的には、球速はアップしていても、個々の投手となると、話は別という事でしょう。

球速の変遷(4)

2008-01-29 21:58:03 | Weblog
スピードガンの無かった時代の投手は、ある意味幸運であったかもしれません。自身で好き放題を言える訳ですから?前回に記した様に、別所毅彦は160kmを豪語していましたが、彼の死後、同僚の川上哲治は、彼の球の重さは評価していましたが、球速に関しては、あまり評価せず、堀内恒夫の方が遥かに速かったと、週刊ベースボール誌上で発言しています。又400勝投手、自信の塊の金田正一は、常にその時代の最速投手の数値より上の数値を、本人の球速と発言しています。そのせいか、私の知りうる限り彼の球速は157kmから、160km超、更には170kmまでアップしていきました。恐るべし金田正一の自信という所でしょう。メジャーの最速投手、デトロイトタイガースのジョエルズマヤが、スプリングトレーニングの試合で107マイル(172.1km)を計測した事を知ったら、彼の球速は更にアップするのでしょうか?

球速の変遷(3)

2008-01-28 21:27:04 | Weblog
今回もスピードガンの数字に関してですが、スピードガンが普及してから約30年、日本人投手の数値ですと、当初の小松辰雄の153kmから伊良部秀輝、五十嵐亮太等の158kmと5km増えています。(メジャーでは斎藤隆が99マイル159.3kmを記録)この5kmの増加を多いと見るか、少ないと見るか、意見は分かれると思います。では、スピードガン以前の投手と以降の投手どちらに、最速投手が存在するのでしょうか?ここで私の様な年代の人間が、一番気をつけなければいけないのは、昔を美化すると言うか、昔は良かったという意識を捨てる必要があること言う事です。この意識を捨てきれない人は、プロ野球OBに多く見かけられます。確かに彼らは、自分と同時代の選手をより良く評価する事で、当然自分の存在価値を高められる訳です。かって青田昇は、彼と同年代の選手は身体能力に優れ、現在の選手より球速、脚の速さ等全てに於いて優れ、江川卓の球速は史上20位にも入らないと豪語していました。又別所毅彦も160kmの速球を投じていたと吹聴していましたが、彼らは残念ながら、昔は良かった派の人間なのでしょう。

球速の変遷(2)

2008-01-27 15:59:21 | Weblog
前回スピードガンの数字をいくつか引用しましたが、これも絶対的なものではないと思います。先ず球場により設置場所が異なり、数値の出る球場、出ない球場が有るみたいです。又機械なので誤作動、或いは違う球を感知し、とんでもない数値が出る事があります。更にテレビ中継の画面表示と、球場の表示とでは、かなりの差が有る事もしばしば見受けられます。最速157kmの快速球で活躍した与田剛投手の新人の時のオールスターでの数字ですが、テレビ画面では145km,球場では150kmという場面があったのを結構覚えているものです。昔は確かTBS系列の局では、初速と終速の両方を出しており、興味深かったのですが、何時の間にか初速のみの表示になってしまいました。以上の様に、スピードガンは決して万全のものではありませんが、かなり大きな目安にはなっていると言えるでしょう。

球速の変遷(1)

2008-01-26 21:53:25 | Weblog
よく話題に出る、或いは出しているのですが、昔の投手と今の投手どちらが速いか、誰が一番速い投手かと言う事です。スピードガンが普及してから約30年になりますが、単純に全体の投手の平均球速だけで言えば、明らかに今の投手の方が速いでしょう。これはスピードガンの数字でもそうだし、又実際でもそう感じます。スピードガンの登場の頃150km
を超える投手は、当時スピードガンの申し子と言われた小松辰雄以外そんなに多くはいませんでした。しかし現在の投手では、かなり多く見かけられます。昭和50年代、60年代の投手ですと、145kmを超す数字を見ると、かなり速い投手という印象を受けたものです。現在の日本の投手では150km,メジャーだと155kmが数値上、速いという感覚を受けるのではないでしょうか?しかし、これは数字の話だけで、球の伸び、切れ、重さ等は一切反映されてはいません。平均球速が現在の投手が優れているからと言って、最速投手が現在の投手とは限らないと思います。

上原晃

2008-01-25 23:31:24 | Weblog
昭和63年から平成3年まで、中日ドラゴンズで活躍した右腕投手です。その後広島カープ、ヤクルトスワローズに在籍しましたが、一軍登板はありませんでした。デビュー時には、これぞ本格派という感じのオーバースローからの、かなり重い速球を武器としていました。特に初年度のジュニアオールスターでの、伊良部秀輝との投げあいは圧巻でした。記憶に間違いがなければ、最速は上原晃が148km,伊良部秀輝が147kmと、後の速球王の伊良部をも上回る数字を計測していたものです。しかし球の伸び、切れ及び決め球不足の為、残念ながら長く活躍する事は出来ませんでした。彼に先輩の鈴木孝政の様な肘の撓りがあれば、もっと将来は変わっていたでしょう。


通算成績   138試合   19勝21敗    防御率   4.85   249奪三振

三浦清弘

2008-01-24 21:42:35 | Weblog
昭和32年から50年まで、南海ホークス、太平洋クラブライオンズで活躍した右腕投手です。南海ホークスの堅実なローテーション投手と言う、イメージがもの凄く強く残っています。決して派手さはありませんでしたが、残した実績程の評価を受けていない選手の代表の内の一人と言えるでしょう。サイドに近い腰の回転から、スリークォーターよりやや下の位置から、巧くタメを作り、制球良く、内外角に投げ分けていました。球速は平均より、やや上位でしょうが、球の切れ、伸びには見るべきものがありました。しかし、幸か不幸か、エース的存在になる事は、殆どなく、ローテーションの中軸を巧く守った感が強いものです。記憶に残る事は少なくとも、長い現役生活を過ごす事が出来ました。


通算成績   553試合   132勝104敗   防御率   3.09    1052奪三振

佐野重樹

2008-01-23 21:01:29 | Weblog
平成3年から15年まで、近鉄バッファォーズ、中日ドラゴンズ、オリックスブルーウエーブで活躍した右腕投手です。と言っても本当に活躍したイメージは、近鉄時代のみでした。主に中継ぎで登板し、見事に抑えにつないだ記憶が鮮明に残っています。投手としては小柄で、やや太めの体躯ながら、腰の捻り、タメの十分なオーバースローから、本当に重い球を投じていました。オリックスの平井正史と投げあった試合での、テレビの球速表示は150kmを計測していたものです。普段の球速は145km位だったと思います。捕手のミットにズドンと食い込む様な異常に重い球質の投手は、現役の投手にはなく、未だに鮮明に覚えております。何故か移籍後は成績が冴えず、寂しく引退したものでした。



通算成績   353試合   41勝31敗   27セーブ   防御率  3.80

ルイスサンチェ

2008-01-22 20:42:15 | Weblog
昭和61年、62年に読売ジャイアンツで活躍した右腕投手です。特に初年度にはリリーフとして、かなりの成績を収めました。外国人特有の上体の力は、かなり強かったとおもいますが、それを感じさせない程の、非常にスムースな投げ方でした。比較的小さなテークバックの、オーバースローからかなり重い速球を主体とした投球をしていました。まるでキャッチボールをしている様なフォームでしたが、投じる球質は鉛の様に重かった記憶があります。球速もそれなりに速く、厳つい風貌と異常に大きい顔の為、打者にとっては恐怖感を抱いたのではないでしょうか?在籍は2年間でしたが、本当に記憶に残る選手でした。


通算成績   76試合   4勝4敗   防御率  2.54   28セーブ