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日米を問わず名選手を紹介。

マイクスイーニー(Mike Sweeney)

2009-01-31 20:53:56 | Weblog
今シーズン、シアトルマリナーズとマイナー契約を結んだ好打者です。1995年から2007年迄、カンサスシティロイヤルズで大活躍し、2008年はオークランドアスレチックスに在籍した右投右打の、主にファーストを守っている選手です。非常に懐の深い打撃フォームから、どのコース、球質にも柔軟に対応出来る打撃は、もの凄く素晴らしく、1999年から2002年迄年連続して3割以上をマークしています。非常に柔らかい手首を巧く活かし、あらゆる方向にヒットを量産していました。又それなりに長打力はありますが、最高本塁打数が29本と、典型的な中距離打者と言えるのでしょう。2002年に彼は自己最高の打率0.340を記録し、かなり長くの間イチローのメジャーでの2年連続の首位打者を阻む選手として注目を浴びました。結果としてはマニーラミレスに次ぐ2位のアベレージでしたが、本当に柔軟性のある打撃は素晴らしいものでした。またこの選手は性格の良さでも知られ、対マリナーズ戦で宿敵イチローが一塁ランナーに出た時、常に笑顔で色々話しかけている場面は数多く見かけられたものです。故障さえなければ、素晴らしい打撃の持ち主だけに今シーズンは是非彼の活躍を期待したいものです。



通算成績    1324試合   1434安打   0.299   199本塁打    849打点

内藤尚行

2009-01-30 21:08:40 | Weblog
昭和62年から平成9年まで、ヤクルトスワローズ、ロッテマリーンズ。中日ドラゴンズに在籍した右腕投手です。活躍したイメージで言えばヤクルトスワローズ時代しか思い浮かばない投手です。公称187cm,97kgの巨体から繰り出される球は、非常に重さは感じさせるものの、球の切れ、伸び、球速にはかなり物足りないものでした。やや腰の捻りの少なさを感じさせるスリークォーターからの速球は、残念ながら決して速くはなく、見掛け倒しの感すらありました。彼が入団当時の監督関根潤三は、彼を見てあの阪急ブレーブスで、豪速球を欲しいままにし、350勝を挙げた史上最速投手、米田哲也を彷彿させる投手という発言をしています。しかし強いて言えば球質の重さのみが2人の共通点でしょうか?球速、伸び、切れは比較すら出来ない程雲泥の差がありました。如何に自チームの投手とは言え、過大な評価は慎むべきかと思います。当然の如く彼が活躍したと言えるのは、二桁勝利を連続して挙げた平成1,2年のみと言うのも、彼の球威を見ていれば十分に納得出来るものです。



通算成績    195試合   36勝29敗   防御率  3.96  454奪三振

大熊忠義

2009-01-29 20:21:58 | Weblog
昭和39年から56年まで阪急ブレーブス一筋に活躍した、右投右打の外野手です。非常に地味な選手でしたが、昭和40年代の阪急で、世界の盗塁王福本豊の次の2番の打順を打つ事が非常に多く、送りバントや進塁打を放つ技術には非常に長けており格好の2番打者という感じでした。パワーはあまり感じませんでしたが、欠点の見つけにくい安定した打撃フォームから、三振の少ない安定した打撃を見せていました。又主にレフトを守っていましたが、打球勘に優れ非常に堅実な守備を見せてくれていました。しかし非常に残念な事に、打撃、守備それぞれに安定していましたが、そのレベルは決して高いものではありませんでした。昭和52年まで福本豊との1、2番コンビとして頑張ってきましたが、53年攻守走全てに於いて、彼のレベルを遥かに超える簑田浩二の台頭により、もはやレギュラーから程遠い存在となり、出場試合も激減し引退を余儀なくされた選手でした。阪急ブレーブスを代表する俊足選手福本豊と共に輝き、逆に同じく俊足選手簑田浩二により、その輝きを奪われた選手と言えるのでしょう。



通算成績   1423試合   1073安打   0.260   101本塁打   412打点

柳田豊

2009-01-28 20:56:06 | Weblog
昭和45年から西鉄、太平洋ライオンズ、近鉄バッファローズで62年まで活躍したサイドスローの右腕投手です。この投手の印象としては稀に見るバネの素晴らしさかと思います。本当に全身バネの塊という感じで、躍動感ある投球フォームは中日で大活躍した郭源治と双璧かと思います。公称175cm,65kgと非常に細身の体から腰を十分に捻った投球フォームから繰り出される球は、流石にその体型のため、非常に軽い球質ながらもかなり速く、その強気の投球と相俟って、好調時は本当に打者を圧倒する位の威力がありました。本当に驚いたのは昭和49年オフ、当時の近鉄の4番打者というより、パリーグを代表する打者土井正博との、芝池博明を含む1対2のトレードでした。当時5年間で通算16勝の柳田豊と同じく通算5勝の芝池博明とパリーグの看板打者との交換は、はっきり言って全く格の違うトレードの印象は拭いえませんでした。しかしその後彼は二桁勝利を5回挙げる等、移籍当初のイメージを払拭する活躍をしたものです。



通算成績    531試合    110勝140敗    防御率   3,97    1201奪三振

日本プロ野球 400本塁打 2500安打の打者

2009-01-27 21:00:06 | Weblog
前回メジャーで殿堂入りの一応の基準として500本塁打、或いは3000安打と記しましたが、日本ではどうなのでしょうか?今の処、特に数字上の基準はない感じです。メジャーの殿堂入りの基準に合せてみますと、500本塁打以上は8人、3000安打以上は1人です。双方を達成しているのは日本プロ野球唯一の3000本安打達成者張本勲だけです。長打力もあり打率も残せる、屈指の大打者張本勲の素晴らしさが解るものです。しかしかなり昔から年間162試合制のメジャーと違い、日本プロ野球はその年度により、更にリーグにより年間試合数が異なっていました。大雑把にその試合数を平均してみると、メジャーの試合数の約80%強かと思います。その割合を基にきりのいい数字として400本塁打、2500安打以上の実績を残した選手を探って見ました。400本塁打以上は15人、2500安打以上は6人ですが、2500安打以上の選手の内福本豊を除く5人は、皆500本塁打以上を放っています。従ってこの5人の選手、張本勲、野村克也、王貞治、門田博光、衣笠祥雄に関しては、その長打力と共に長い期間一線級の選手として活躍した事に、敬意を表したいと思います。

メジャーリーグ 殿堂入り

2009-01-26 21:19:37 | Weblog
メジャーリーグの打者の殿堂入りの一応の基準、目安として通算3000本安打、或いは500本塁打と言われています。2008シーズンを終えた時点で通算3000本以上は27人、500本塁打以上は26人と非常に狭き門です。更に3000本以上,500本塁打以上の双方を達成している選手はハンクアーロン、ウイリーメイズ、エディマレー、ラファエルパルメイロの僅か4人しかいません。では現役の選手で双方とも達成可能な選手を予想して見ます。先ずは抜群の打撃術を誇るマニーラミレスです。既に527本塁打を放っており、残り608本の安打は十分に可能でしょう。唯一不安があるとすれば、気まぐれな彼が急に引退を宣言する可能性が弱冠ある点でしょうか?次はアレックスロドリゲスです。メジャーの超スーパースターの彼は既に553本塁打を放っており、残り596安打で3000本に達します。現在33歳の彼なら間違いなく達成可能でしょう。又現在29歳のアルバートプホルズも,8シーズンの実績で1531安打、319本塁打ともの凄い成績を残しており、今後余程の事がない限り可能でしょう。来シーズンの開幕を33歳で迎えるウラジミールゲレーロも、2136安打,392本塁打と可能性は大かと思いますが、最近減少気味の本塁打数が少し気になります。他に可能性があるとすれば、現在26歳ながら1022安打、175本塁打のミゲールカブレラ位しか見当たらないものです。それ程3000安打、500本塁打の両方を達成する事はもの凄い記録という事なのでしょう。

村上雅則(3)

2009-01-25 16:36:58 | Weblog
村上雅則がメジャーで当時のNO.1左腕サンディ.コーファックスと投げ合った1965年6月29日の試合を、先述の記者は紹介し、速球とカーブのコンビネーションで投げるサウスポー同士の投げあいと記しています。しかしこの記述は2008年、村上雅則責任編集で白夜書房より出版されたウエルカム.メジャーリーグ2008に、村上雅則氏の名前にて掲載された、夢の時間の内容とあまりにも類似しています。氏の内容を紹介して見ます。速球とカーブのコンビネーションで投げる左投手同士のガップり四つに組んだ投げあいとなっています。引用したとしか思えない内容であり、もっと言えば村上雅則の投球を見た事があるならば、あのコーッファクスとは雲泥の差がある彼の球速を見て、まさか速球とは書く事は出来ないかと思います。更に驚く事に、この記者はメジャー時代の村上雅則の投球を抜群の球威があり、制球も平均以上で将来先発ローテーションに入り、毎年二桁の可能な投手になっていたであろうとまで記述しています。勿論個人の予想であり尊重すべきなのでしょうが、本当に彼の投球を見た事があって、この記事を書いたのであれば、選手の力量を見る力はこの記者にはないとしか思えません。

村上雅則(2)

2009-01-24 20:30:00 | Weblog
前回に引き続き村上雅則の球速に触れたく思います。当時捕手として、実際に彼の投球を数多く受けた野村克也は自著の中で、村上雅則は握力には優れていたが、彼の投じる球は蝿が止まる位遅かったと記述しています。正しくその通りだと思います。本当に彼の投じる球は遅く、更に腰の開きの早い投球フォームと相俟って、打者には非常に打ち易いものだったでしょう。又この記者は、村上雅則がフォーシームの浮き上がる高目の速球で三振に仕留めるケースが多いと記述していますが、とんでもない話です。先ず球を置きに行く威圧感に甚だ乏しい彼の投球からは、浮き上がる様な高目の速球は全く投げられず、従って相手打者には怖さの全くない投手だったのでしょう。私の知り得る限り、彼を速球投手として認証する記事は他に見当たらず、この記者の記事が如何にいい加減かという事を裏付けるかと思います。もしこの記者が本当にリアルタイムで村上雅則の投球を見ていたとしたら、その見る目のなさから、出来るだけ早い内の記者としての引退を勧めたいものです。

村上雅則投手(1)

2009-01-23 20:34:08 | Weblog
先日、別冊宝島、日本人大リーガー全戦績という雑誌を購入しました。その内には当然、日本人メジャーリーガー第一号の村上雅則に関する記事も掲載されていました。しかしその内容は信じられない位酷いものでした。間違いなくその記事を書いた、或いは書かされた記者は、一度たりとも村上雅則の投球を見た事がないのでしょう。そうでなければこの内容はとても書けなかったかと思います。冷静に考えれば、彼のメジャーでの試合、及び日本での全盛期昭和40年代中頃を見て記憶している人達は、多分50歳台には達しているかと思います。従って多分その記者は、後述しますが村上雅則に関する記事を参照し巧く引用したと思われます。その記事の内容を紹介して見ます。メジャー時代の村上雅則の投球に関してですがスリークォーターから150kキロ前後の速球を投じ、好調時は浮き上がる為、高目の球で三振に仕留めるケースが多かったと記しています。もしこれが事実なら、日本時代の村上雅則とは全く異なる投手が存在したとしか思えません。先ず投球フォームはスリークォーターというより、横手に近く、技巧派投手に多く見られる球を置きに行く感じで全く迫力はありませんでした。従って球速に関してですが150キロはおろか、良くて130キロ台前半位かと思います。実は今日は快速球左腕小野正一を書きたかったのですが、村上雅則に関する記事を見てしまった為、急遽変更し次回も彼に関する内容にしたく思います。

三井浩二

2009-01-22 20:47:14 | Weblog
現在埼玉西武ライオンズのセットアッパーを務める左腕投手です。公称184cm,86kgの体躯から繰り出される140km台後半の速球が武器の投手です。しかし下記の様な通算成績の投手です。更に2008シーズンの成績は、全くいい所がありませんでした。何故この程度の投手ですらメジャーを目指すのでしょうか?はっきり言ってメジャーを舐めているか、一攫千金を狙っているかのどちらかでしょう。当然どの球団からもオファーがなかった訳ですが、来シーズンもメジャー入りを目指しているらしいのです。己の実力を知るべきだと言いたいレベルの投手です。彼の球速はメジャーでは多分中の下位でしょう。又格別な変化球もある訳でもなく、制球に優れている事もない彼が、唯左腕投手という事だけで、通用するとは当低思えません。是非彼には自身の実力を知って欲しいものです。又タイプは違いますが、阪神のエースだった井川慶ですらメジャーで活躍出来ていない現状を知るべきだと思います。  



通算成績    263試合    36勝19敗  防御率   4.41   436奪三振