3388 野球ブログ

日米を問わず名選手を紹介。

通算250本塁打、250盗塁(5)

2013-06-30 23:27:23 | Weblog
もう少し通算250本塁打、250盗塁に足りなかった選手を挙げたく思います。真弓明信選手の通算本塁打数は292本、通算盗塁数は200です。攻守走3拍子揃い、昭和60年の本当に久しぶりの阪神タイガース優勝の際には打率0.322、34本塁打、84打点を記録し史上最強の一番打者とも呼ばれました。30本塁打以上1回を含む20本塁打以上を6回マークしているのですが、思ったよりも本塁打数が多く、盗塁数が少ない様なイメージがあります。主に阪急ブレーブスで活躍した簑田浩二選手は通算本塁打数204、通算盗塁数は250を記録しています。3拍子揃った選手というイメージでは、真っ先に名前が浮かぶ程の選手でありシーズンでの3割、30本塁打、30盗塁も1回記録しています。30本塁打以上2回を含む20本塁打以上を5回マークしており、盗塁数もキャリアハイの61個を含み30盗塁以上を4回マークしています。しかしながら同時期、同チームに福本豊選手の存在があった為もう一つその記録も目立たなかった気がしてなりません。デビューが遅かった事もあり、本塁打数、盗塁数共意外と少ない様な気がしてなりません。

通算250本塁打、250盗塁(4)

2013-06-29 23:34:57 | Weblog
236本塁打、243盗塁の石毛宏典選手も250本塁打、250盗塁に惜しかった選手と言っていいかと思います。攻守走3拍子揃っている彼は、入団後かなりの期間、安定した本塁打数と盗塁数を積み重ねましたが、西武ライオンズ監督を辞退しダイエホークスに一選手として移籍以降、予想外の成績ダウンを見せ、両部門共僅かな差で届いておりません。彼の場合大学、ノンプロを経ての入団という事もネックになったかと思います。236本塁打、369盗塁、盗塁王3回獲得の高木守道選手は歴代ベストナインを選出する際セカンドで必ず名前が出て来る程の選手であり、中暁生選手と組む小技も出来て俊足の1、2番コンビは今でも印象にもの凄く強いものです。同時期にコンビを組み二人共300盗塁以上を記録したのは、他には後に記録した屋鋪要選手と高木豊選手のコンビ位しか思い浮かびません。高木守道選手は公称174cm、72kgと当時の選手としても小柄な方でしたが意外とパンチ力があり、20本塁打以上2回を含み15本塁打以上を7回記録しています。しかし3割を大きく越したシーズンがない等、このパンチ力が彼にとってプラスのみとは言い難い面もあろうかと思います。

メジャー 日本人内野手の今シーズン(2)

2013-06-28 21:59:58 | Weblog
中島裕之選手の数字でもう一つ気になるのがあります。それはおよそ4.6打数に1回喫する三振の数です。日本時代より明らかに長打の数字が落ちているのに関わらず、三振数はここ数年の西武ライオンズ時代より率として増えています。マイナーリーグの投手達が日本プロ野球の投手より変化球の種類の多さや制球に優れているとは考えにくいので、彼らの球速に付いていっていないのではないかと推測してしまいます。もし彼がメジャーに昇格したとしても、活躍するのはかなり厳しいかと思います。次に田中賢介選手の数字を記します。67試合、234打数75安打、10二塁打、3三塁打、0本塁打、21打点、28四球、23三振、19盗塁成功、6盗塁失敗、打率0.325、出塁率0.391とマイナーリーグとは言え、数字上は素晴らしいものを残しています。彼も又多くの日本打者と同じく長打力の数値は日本時代より落としていますが、最初から長打力が期待されていた訳ではないかと思えるので、問題はないかと思います。日本時代の田中賢介選手を見ていてもの凄く感じたのは、、どの分野でもそこそこの成績を残すものの、それぞれが飛び抜けている訳ではなく、総合力で勝負している選手であろうという事でした。その彼がどの分野を売り物にして、メジャーで生き残りを図っていくのか気になります。


メジャー 日本人内野手の今シーズン(1)

2013-06-27 13:45:33 | Weblog

中島裕之選手のマイナーリーグでの成績を記して見ます。36試合出場、144打数39安打、6二塁打、4本塁打、13打点、13四球、31三振、打率0.271
、出塁率0.341になります。シーズン前の故障により出場試合数は多くありませんし、又私自身が彼の所属するマイナーリーグの実力や状況に関して分かっている訳ではないのですが、数字を見る限り平凡な実績、可もなく不可もないと言っていいのかと思います。つまり良くも悪くも目立つ成績ではないかと思います。有料のMilbtvを契約すればマイナーリーグの試合を見る事も出来るのですが、流石にそこまでして中島裕之選手のプレイを見ようとは思いませんので、あくまでも数字上からのみ今シーズンの彼の状況を推測したく思います。主な打撃の記録を上記載せましたが、決して盗塁の記録を無視したのではなく、成功、失敗共記録なし、つまり盗塁を企画していないという事になります。もの凄い俊足選手ではないものの、走塁センスは高く評価されていた彼が何故盗塁を試みていないのか、チーム事情等色々な要素の為か、或はシーズン前痛めた左太もも裏損傷が治りきっていないのか、気になる所であります。

通算250本塁打、250盗塁(3)

2013-06-26 14:34:06 | Weblog
通算250本塁打、250盗塁に届かなかったものの惜しかった選手を紹介してみます。先ずは緒方孝市選手です。3年連続盗塁王に輝き、通算盗塁数は268個ながらも、通算本塁打数が241本と本塁打数が届いておりません。攻守走3拍子見事に備わっており、意外な程のパンチ力を見せてくれた彼は、だび重なる故障がなければ、その驚異的な身体能力から250-250は十分可能だったかと思います。但し30本塁打をマークした年も含め、20本塁打以上を連続して記録したりしていますが、彼の打者としての特性、率の面を考えた場合、この長打力がプラスに作用していたかどうかは疑問の残る所であります。次に山本浩二選手ですが、通算本塁打数は歴代4位の536本塁打を誇っており、彼も又入団時から攻守走3拍子揃っていました。入団2年目から11年連続して二桁の盗塁数をマークするのですが、その間最多の盗塁数でも25個ともの凄い数字の盗塁数は記録していません。引退の年ですら打率0.276、27本塁打をマークした打撃よりも、肩と脚力の衰えが晩年には目立って来ており、引退前の6年間の盗塁数は29個と最早走れる選手ではなくなっており通算盗塁数は231個に終わっています。

通算250本塁打、250盗塁(2)

2013-06-24 13:37:19 | Weblog
通算250本塁打と250盗塁をクリアしている選手は現時点で4人しかいません。その4人の選手のそれぞれの数と順位を記して見ます。張本勲、504本塁打、7位、319盗塁、24位。衣笠祥雄、504本塁打、7位、266盗塁、37位。秋山幸二、437本塁打、15位、303盗塁、27位。有藤道世、348本塁打、29位、282盗塁、32位。数字上この4人の選手は走れて、長打力もあったと言っていいかと思います。本塁打と盗塁の300-300は二人しかいない事は知っていたのですが、衣笠祥雄と有藤道世に関しては、調べてみて改めてそうだったかなという印象を受けました。2人の本塁打数は知っていたのですが、盗塁数に関しては正直意外と走っているなという感想を持ちました。以前にも書きましたが、本塁打と盗塁数は全く性格が違っています。ある程度の試合に出ていれば必然的に回ってくる打席と、先ずは主にファーストやセカンドの塁に出てからチャンスを覗う盗塁とでは、受動的な打席と攻撃的な盗塁、正反対的なものかと思います。

通算250本塁打、250盗塁(1)

2013-06-23 23:49:06 | Weblog
先月発売のメジャーリーグ専門誌の[月刊スラッガー]で5ツールプレイヤーの特集をしていました。その内で強打と脚力の双方を兼ね揃えた選手として、250本塁打、250盗塁以上の記録の持ち主がメジャーリーグでは過去の選手も含めて22人と紹介されていました。日本より遥かに長い歴史を持ち、球団数も多いメジャリーグでも22人しかいないという事に、少し驚きを持ちその記事を見ました。メジャーリーグは、二つ以上の数字を組み合わせた記録を紹介する事が日本プロ野球よりかなり多くものですが、もし日本プロ野球でしたらもっと区切りのいい100単位の数字の比較しかあまりしない様な気もしたものです。そこで日本プロ野球では、一体何人の選手が上記250本塁打、250盗塁をクリアしているか調べて見ました。調べる前に即私の頭の中に浮かんで来た選手は張本勲と秋山幸二の2選手でした。現時点で通算250本塁打以上の選手は58名、250盗塁以上の選手は44名存在しています。歴史も浅く、球団数も少ない、つまりトータルの選手数では遥かに少なく、更にはメジャーリーグより年間の試合数が少ない日本プロ野球、何人存在するのか次回に続けたく思います。

昭和40年のパリーグ(2)

2013-06-22 21:41:13 | Weblog
昭和38年28勝を挙げたものの、日本シリーズ最終戦で予想外の大量失点のKO負けを喰らい、翌39年肩の故障の為殆ど登板出来ず、連続20勝以上の記録が8年連続でストップした大投手稲尾和久がカムバックしたのがこの昭和40年でした。この年稲尾和久投手は38試合に登板し216イニングを投げ7、13勝6敗、防御率2.38という数字を残しています。現在の投手の数字を基準として考えると、一見しっかりカムバックした様に見えるかも知れませんが、全盛期の稲尾和久投手の実力を知っている者からすれば、最早もう昔の稲尾和久投手とは似ても似つかない投手としか思えない投手に変貌していました。昭和30年代のパリーグを代表したもう一人の杉浦忠投手と共に、異常な程の酷使が如何に投手寿命に大きな影響を与えたかを考えさせてくれたシーズンだったかと思います。この昭和40年読売ジャイアンツに移籍した金田正一投手にも明らかに力の衰えが見られ、翌41年の鈴木啓示投手や、その翌年の江夏豊投手の登場もあり、新旧投手の世代交代につながる年度ではなかったかと思います。

昭和40年のパリーグ(1)

2013-06-21 22:10:55 | Weblog
昭和40年の野村克也を書くに当って、少し当時の記録をEncyclopediaで調べました。前述した以外にも、結構興味深い記録が残ったシーズンではなかったかと思います。先ずは先日他界した尾崎行雄投手が、27勝12敗、防御率1.88でキャリアハイと言っていい数字を残しています。確かに本当に速い球を投げていたシーズンなのですが、奪三振数259は素晴らしいものの奪三振率は6.17と当時の投手としても決して高くはありませんでした。翌41年も24勝を挙げた尾崎行雄ですが、その年のスピードの衰えは明らかであり、40年を最後に尾崎行雄投手の全盛期は終わったと言っていいかと思います。前年の39年から投手の規定投球回数が試合数と同じ数字に改定され、それ以前の試合数×1.4では規定投球回数に達しない実力かと思われる投手でも、規定投球回数に達していたものでした。その代表的な例としては永易将之投手が挙げられるかと思います。彼が生涯唯一活躍したと言える年になるのですが、この年パリーグ第三位の防御率1.93をマークし、10勝3敗の数字を残した事が彼の評価を高くし、後の忌まわしい黒い霧事件に繋がる一つのきっかけになったかと思ったりしてしまいます。

昭和40年の野村克也(3)

2013-06-20 21:01:15 | Weblog
先日のサンデーモーニングに出演の際、野村克也氏は張本勲氏が昭和40年の野村克也氏の三冠王獲得に触れ、自身は怪我で休んでいた年であり、運が良かったという発言に対し、苦笑いをしながらも自らも運が良かったと語り、張本勲氏の発言を認めている様な形に見えました。しかし打点と本塁打の2冠獲得は何回かある野村克也氏ですが、唯一の三冠王獲得の可能性のある年、彼にとって最も獲得の困難な打率の最大のライバルになると思える張本勲選手のその年の動向を、約50年近く経た現在とは言え忘れるでしょうか?私には張本勲が又変な発言をしていると解っていながら、彼のレギュラーの番組なのだから取り敢えず、言いたい様にさせてあげようとした様に思えてなりません。又野村克也氏は多くの自著でも自身の打撃の素質は決して高くはないと評している様に、張本勲氏のプライドを重んじてあげようという意識もあった様にも思えます。昨今凄いペースで本を出版している野村克也氏が、いつかその本の中で張本勲氏の発言に触れ、皮肉たっぷりの文章が見られる様な気がしてならないものです。