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日米を問わず名選手を紹介。

球速自慢の投手達(1)

2008-04-30 21:52:28 | Weblog
金田正一程ではなくとも、自身の球速を自慢する投手は多いものです。プロ入りする投手の大半は、アマ時代は速球投手と言われていたのではないでしょうか?入団時のプロフィールを見ると、かなりの投手が速球派という事になります。しかしプロでもその自慢の速球が通じる投手は限られた存在になります。今回は球速自慢の投手の一部を紹介したいと思います。先ずはホップする豪速球の尾崎行雄投手です。彼には武器となる変化球がない為、投球の8割以上が150kmを優に超えるストレートと発言しています。多分これは事実でしょう。それ程彼の豪速球は素晴らしかったものでしたが、残念ながらそれ以外の制球、変化球、投球術には優れてはいませんでした。次に堀内恒夫投手です。浮き上がる様な快速球と大きなカーブを武器としていましたが、、本人は終速155kmと吹聴しています。一般的に終速は初速より5km以上落ちる為160km以上を投げていたと言う事を言いたかったのでしょう。確かに本当に速かった投手でしたが、この発言には疑問符を付けざるを得ません。

金田正一の自慢(10)

2008-04-29 11:55:54 | Weblog
金田正一の球速は、一体どの位だったのでしょうか?確かにスリークォーターから投じられる快速球は、球質は軽いながらも、浮き上がる様に伸び、非常に速いものでした。しかし私の知り得る限り、第一位ではないと思います。日本人選手では、米田哲也の重い豪速球、尾崎行雄のホップする豪速球、森安敏明のえげつない快速球の方が、球速では金田正一を凌いでいると思います。その少し下が山口高志かと思います。兎に角金田正一は速かったのですが、周囲にそれを言わさせる雰囲気の言動がもの凄く多いのです。実績NO.1の金田正一から、「日本最速投手はわしやろ?」と聞かれたら否定出来る元選手は少ないでしょう。昭和30年代後半あたりまでの、速かった彼と対戦経験のある選手でも、現在たぶん60代以上の筈です。そういった元選手の大半は、自分も含め昔の選手は凄かったと言いたいらしく、同時代の選手をより美化、誇張する傾向が強いものです。従って対戦経験のある選手は、現在生存中の彼の名前を、挙げざるを得ない面も多分に有るかと思います。将来評価が変ってくる可能性を感じさせるものです。

金田正一の自慢(9)

2008-04-28 22:07:55 | Weblog
金田正一は常に、自分こそが史上NO.1の速球投手と自負していますが、本当にそうだったのでしょうか?但し私が金田正一をはっきりと記憶しているのは、昭和33年より後の為、それ以前の球速については、正直言って解りません。私の知っている金田正一は、快速球をより速く見せる為、大きく曲がり落ちるカーブを多く使い、時には超スローカーブも用い、打者をからかっている感じにも見える投球でした。決して快速球一本槍という訳ではありませんでした。又投球フォームも脚があまり高く上がらず、腰の捻りも十分とは言えないものでした。昭和38年当時の国鉄スワローズの浜崎眞二監督も、自著の中で、金田正一の投球フォームを稲尾和久と比べ、決して高い評価をしていません。そのフォームの為、特に梅雨時には肘痛に悩まされたのではないかと思います。同じ快速球左腕の鈴木啓示投手の、入団当初の投球フォームと比較すると豪快さでは全く比較になりません。又フィルムや雑誌で見る限り、快速左腕梶本隆夫投手も、入団当初は、腰の捻りが素晴らしく、オーバースローから投じ、金田正一よりも威圧感があったものです。

金田正一の自慢(8)

2008-04-27 21:49:27 | Weblog
金田正一は、何故三振奪取にこだわるかの質問に対し、その理由の一つとしてバックの守備が悪く、三振を狙って取らざるを得なかった事を挙げています。確かに昭和38,39年当時、豊田泰光、徳武定之の三遊間は不動の三遊間と呼ばれた程、両者共動きの少く、守備範囲が狭いものでしたが、彼がその球団で投げていた15年間を通して、常に酷かったとも言えないと思います。自己顕示欲の強過ぎる彼は三振を奪って目立ちたかったというのが最大の理由ではないでしょうか?弱小球団での在籍の長い彼としては、バックの援護により左右される勝ち星より、自分の力、更に言えば球の速さで取れる可能性の高い三振に、より力を注いだのでしょう。兎に角、彼は自分の投じる球速、及びそれに拠って奪える三振数だけは誰にも負けたくなかったなのだと思います。次回は不世出の400勝投手、金田正一の最大の武器の球速に触れたく思います。

山本浩二(打撃編2)

2008-04-26 23:54:01 | Weblog
昭和50年に初の3割、初の首位打者を獲得した山本浩二は、その時点では未だ中距離打者であったが、その2年後から5年連続して40本塁打以上を記録するなど、率も残せ、長打力もあるという理想的な打者へと変貌していきました。打撃フォームは、長距離打者にありがちな脚を大きく上げるタイプではなく、体のバネを十分に生かし思いっきりきた球を叩く感じで、フォロースローの大きさに特長があったと思います。18年間の現役生活の内、前半の9年間での本塁打数が213本、後半の9年間で323本と圧倒的に後半の方が多い選手も珍しいかと思います。昭和61年に現役引退しますが、その年ですら0.276,27本塁打、78打点という成績で、確かに全盛期と比較しての衰えは目立ちましたが、まだまだ現役続行出来ると思ったものです。あの王貞治ですら現役引退の年には、0.236,30本塁打、84打点と、特に打率面で山本浩二よりはっきりと、衰えを感じさせていました。山本浩二の場合、初の3割が入団7年目という事もあり、通算打率が3割を切っている事だけが真のスーパースターと呼ぶには些か躊躇せざるを得ない気がしてなりません。

山本浩二(打撃編1)

2008-04-25 21:58:58 | Weblog
入団5,6年間位の彼を見て、その後の大活躍を予想出来た人はいたのでしょうか?その後の彼の大活躍は凄まじいものでした。正しく大器晩成型の選手と言えるのでしょう。その当時の彼を見て、通算本塁打数で同期入団の田淵幸一を遥かに凌ぐ数字を残す事など想像すら出来なかったものです。入団6年目までの山本浩二は、レギュラーの座は十分に確保するも、打撃面では、もう一つ物足りない成績に終始し、一度たりとも打率三割に近づく事はありませんでした。むしろ俊足、強肩を活かした守備で目立っていました。又盗塁も中軸打者としては、積極的に試みるタイプでした。三拍子揃った好選手といったイメージの強い選手でした。しかし昭和50年の広島カープ初優勝の年に首位打者を獲得し、その後徐々に長距離打者へと変貌していきます。



通算成績    2284試合    2339安打    0.290   536本塁打    1475打点    231盗塁

山本浩二(守備編)

2008-04-24 21:38:56 | Weblog
昭和44年から61年まで、広島カープで大活躍した右投右打の外野手です。昭和43年のドラフト1位指名で入団していますが、阪神タイガースに入団した田淵幸一の陰に隠れ、今一つ注目されていませんでした。しかし俊足を活かした広い守備範囲と、類稀な強肩はもの凄く評価されていました。ある評論家の解説では、打撃、守備、盗塁が出来る走力に関しては、プロとアマの間ではかなりの差があるが、外野手の肩にはプロとアマには差がないという事でした。確かにその通りでしょう。山本浩二はセンターからのもの凄い送球を、度々見せてくれとものです。投手をやっていた事もあり、もの凄く綺麗な球筋の送球の記憶があります。ライトルが右翼を守った時代の広島カープの右中間は、2人の強肩もあり最高のものでした。しかし晩年には肩、脚力、守備勘に衰えが見られ、打球をおでこに当て。第二の宇野勝的な守備も見られたものです。


八百長と103勝

2008-04-23 22:08:23 | Weblog
今回は素晴らしい投手を3名紹介します。残念ながら、1人は全く見た事がない為、数字上の紹介になります。3人の共通点は103勝している事と、八百長実行者と言われている事です。先ず清水秀雄は戦前から戦後にかけて大活躍した、華麗なフォームと言われている左腕投手ですが、様々な文献を見る限り、八百長に染まっていた様です。彼は新人の年昭和15年に、当時としてはもの凄い奪三振数の270個を奪っています。次は西鉄ライオンズで活躍した、田中勉投手です。個人的には彼の右腕をもの凄く下に引っ張る、独特なフォームからの快速球程、憧れたものはありませんでした。本当に浮き上がる様な伸びがあり、素晴らしいものでした。次は同じく西鉄ライオンズのエースの池永正明投手です。球速よりも、球の伸び、切れ、制球に優れ、小柄ながらも非の打ち所のない投手でした。彼に関しては八百長をしていないという記事が多いのですが、当時の彼の投球を見る限り、間違いなく八百長を実行していたと思わざるを得ません。八百長問題に関しては又、別の機会に触れたく思いますが、この3人がもし八百長をしていなかったとしたら、どんな通算成績になったのか、興味あるものです。

1イニングに1.5個の奪三振

2008-04-22 21:13:32 | Weblog
昭和30年代の半ば頃だと記憶していますが、当時評論家の大和球士が、ある雑誌で今年の村山実は1イニングに1.5個の三振を奪う可能性があると言う記事を掲載していました。当時セリーグで豪速球を欲しいままにしていた彼とは言え、まさか現実性は全くないと思い、馬鹿げた記事であると思っていました。実際村山実がその数字に近づく事すら有り得ませんでした。しかしメジャーリーグでその数字に、かなり近づく投手が2人いました。1イニングに1.5個、つまり1試合9イニングで13.5個、更に言えばアウトの内2人に1人は三振を奪っているという事です。一人はビッグユニットことランディジョンソンで、20001年に249.2インングスで実に372個の三振を奪っています。奪三振率13.41という凄さです。彼の凄い所は歴代シーズン毎の奪三振率ベスト10の内彼一人で8回を占めている事です。もう1人は1990年代最高の右腕投手と言われたペドロマルチネスです。1999年に213.1イニングスで313個の三振を奪っています。奪三振率13.20になります。いくらメジャーリーグが1試合100球を目処としているとは言え、本当に信じられない位の数字と言えるでしょう。


金田正一の自慢(7)

2008-04-21 21:40:14 | Weblog
金田正一は度々、2ストライクを取った後、打者にファールで粘られ結果として三振を取れない投手は、決して一流ではないと言う旨の発言をしていました。以前にも紹介しましたが怪童尾崎行雄投手も、そのクラスの投手と評価していました。では当の本人はどうだったのでしょうか?誠に残念ながら、常に彼の投球を見ていた訳ではなく、当時の記録で推測する事しか出来ないのですが、確かに当時の投手としては、圧倒的に奪三振率も高いのですが、最近の投手と比較すると、1シーズン毎のイニング数がかなり違うとは言え、通算奪三振率7.31、更に奪三振300個以上を5年連続記録した時の奪三振率8.18という数字は、決して傑出している訳ではありません。確かに現在の投手の投じる落ちる球や、スライダーはなく、大きなカーブと快速球で三振を奪っていましたが、本人が吹聴する程の奪三振率ではないのも事実かと思います。