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日米を問わず名選手を紹介。

大杉勝男(4)

2009-06-30 21:06:01 | Weblog
1970年のシーズン、大杉勝男はキャリアハイのシーズンを迎えます。前年までは恐ろしい程の長打力はあるものの、未だ打撃に粗さが見かけられ、三振も多かったのですが、このシーズンは本当に絶好調で0.339.44本塁打,129打点と抜群の成績を残し、本塁打と打点の二冠王に輝いています。打率こそ同僚の安打製造機張本勲の0.383には、遠く及ばないながらも、0.339で堂々の二位の座を占めています。本当にこの年の大杉勝男の打撃の恐ろしさは、歴代の強打者の内でもトップクラスではなかったかと思います。もの凄くチャンスに強く、又広角に長打を放てる技術等、もの凄く素晴らしいものでした。張本勲とのコンビは当時OH砲として恐れられ、セリーグのON砲ともよく比較されましたが、人気面では劣っていても、実力面では決して劣るものではなかったと思います。しかし当時の球団に色々な問題があったのでしょう。翌年以降徐々に大杉勝男は成績を落としていきます。

巽一

2009-06-29 20:36:12 | Weblog
1959年から1970年まで、国鉄ーサンケイスワローズ、サンケイアトムズ、アトムズ、ヤクルトアトムズと名称は変れど、同一球団に所属した左腕投手です。但し1964年は登板していません。彼が入団した当時の国鉄スワローズにはに日本一の左腕と認めざるを得ない本格派の金田正一がエースとして存在しており、巽一も同じ左腕でしたが、全ての面で大きく見劣る感じは否めませんでした。金田正一と比べかなり小柄な為か、やや腰の捻りの少ないスリークォーターよりやや低い位置から投じられる球は、決して速くはありませんでしたが、切れ、伸びには長けるものがあったかと思います。又球質も軽く長打を浴びる傾向は強かった記憶があります。あまりにも偉大な同じく左腕投手が同一チームに所属していた為、目立ちませんでしたが、地味ながらも堅実な成績を挙げた投手と言えるのではないでしょうか?通算成績では下記の如くかなりの負け越しですが、もっと強い球団に所属していたら、かなり数字は異なっていた様な気がします。


通算成績   351試合   40勝66敗   防御率  3.69   684奪三振

山本公士

2009-06-28 20:32:03 | Weblog
1963年に阪急ブレーブスに入団、翌1964年から1970迄実働の右投右打の外野手です。公称165cm,85kgとなっていますが、小柄な選手なので身長はともかく、体重85kgは有り得ないと思い、幾つかの資料を調べましたが、いずれもその数字でした。多分何かの間違いのまま、訂正されずにいったのでしょう。実際の彼は身長こそ低いものの、俊敏さを売り物にする選手でした。彼の名前を一躍有名にしたのは,1966年殆どの出場が代走にも関わらず盗塁王を獲得したシーズンの活躍でしょう。盗塁を非常に警戒される中での彼の走塁は、特にスタートのタイミングが巧かった記憶が残っています。当然脚も速かったのですが、もの凄い俊足と言う程のレベルではなかったと思います。当時5年連続で盗塁王に輝いていた広瀬叔功が、故障により出場試合数が少なく、28個の数字に終わっていた事にも幸いしたと思います。その後数字こそ落ちたものの、貴重な代走要員として活躍しましたが、通算1065盗塁の福本豊の台頭により、活躍の場を失い福本豊、盗塁王の年に引退しました。


通算成績    645試合   69安打   103盗塁   43盗塁死    0.212

ジョエルズマヤ(Joel Zumaya)(4)

2009-06-27 21:38:22 | Weblog
本当にしつこいのですが、驚異の豪速球投手ジョエルズマヤ投手の紹介です。先日シカゴカブス戦の8回に、セットアッパーとして登場したのですが、素晴らしく球が速く、テレビの画面では最速104マイル(167.3km),球場での表示は103マイル(165.7km),ストレート系の球は殆どが100マイル以上を計測、最も遅くても98マイルを記録していました。この試合シカゴカブスの先発は、もの凄く球の速い事で知られているリッチハーデンでしたが、先発とリリーフとの違いこそあれ、あのリッチハーデンすら決して速くは思わせない程の凄まじい速さでした。兎に角彼の球速は、速球投手の多いメジャーの投手の内でも、立ち向かう者がない程の速さを誇っています。彼のみ100マイルの表示は当たり前、逆に100マイルを計時しない試合は、球速に関してはかなり不調の試合というレベルでしょう。是非今シーズンは、2006年に記録した自己ベストの100マイル以上233回という記録を更新して欲しいものです。投手の価値は決して球速のみでは無い事は、重々承知の上ですが、矢張り球の速い投手には魅力を感じざるを得ません。

大杉勝男(3)

2009-06-25 20:40:08 | Weblog
今回は大杉勝男の守備、走塁に関して触れたく思います。豪打、強打を欲しいままにした大杉勝男でしたが、残念ながら守備、走塁に関しては良い評価は殆どなかったと思います。先ずは守備面ですが、殆どファーストでしたが、守備範囲、捕球能力共に優れているとは言えませんでした。しかし大きなミスは少なく、良く評価すればそれなりに無難にこなしており、同球団の同僚、張本勲の様に打っても、守っても安打製造機と揶揄される程の致命的なエラーをするレベルではありませんでした。1972年、ゴールデングラブ賞を獲得していますが、決してその賞を獲得出来る程の守備力ではありませんでした。又走塁に関しても、脚はかなり遅く、その為か次の塁を狙うという走塁は殆ど見られず、彼にとっては、かなりマイナス要因だったと思います。脚が遅く、チャンスに登場する機会の多い選手に多く見られる様に、大杉勝男の場合、併殺打は非常に多かったものです。しかし彼の場合、無類の勝負強さを活かし、併殺打の多さを跳ね返す程、チャンスには素晴らしく強く、数多くのタイムリーヒットを多く打ったものです。

八田正

2009-06-24 21:17:08 | Weblog
1955年から1971年まで、大映スターズ、ユニオンズ、大毎オリオンズ、東京オリオンズ、阪急ブレーブスで活躍した右投左打の最初は遊撃手その後二塁手として活躍した選手です。阪急ブレーブスでは殆ど代打要員であり、彼のイメージとして最初に浮かぶのは大毎オリオンズ時代です。大毎オリオンズがそれなりに強かった昭和30年代中頃、彼は主に一番打者として活躍していた記憶があります。やや低く構えた姿勢からミートする技術は素晴らしく、長打力、派手さとは無縁でしたが、非常にいぶし銀的な働きをするチームにとっては、本当に貴重な選手だったと思います。しかし投球にバットを合わせる技術は優れていても、当時の多くの打者に見られる様にスイングスピードには、かなり欠けていたかと思います。その為か、規定打席到達でも最高打率は0.278と今一つ物足りないものでした。しかし堅実な守備と俊足は、チームにとって貴重であり、何故かその残した数字とは別に非常に記憶に残る選手でした。


通算成績    1549試合   1148安打   0.263    56本塁打    360打点

追悼 和田博実(博美)

2009-06-23 20:08:47 | Weblog
又昭和の名選手が一人亡くなりました。非常に残念です。和田博実は1955年から1972年迄、西鉄ライオンズ一筋に活躍した選手です。ポジションは、オールドファンはご存知の如く捕手ですが、晩年には外野も守ったりしていました。彼が活躍した当時の捕手は野村克也、森昌彦、土井準に代表される様に、太目の体型、俊敏さには著しく欠ける選手が多かったものです。その内で和田博実は異色の存在で、もの凄くスマートさの目立つ捕手でした。昭和30年代当時打てる捕手は野村克也を除いてはいない時代に、和田博実は昭和37年の0.325,打率6位の成績を筆頭に、その前後の35年から38年迄は、規定打席にこそ達していませんが0.270以上の打率を残す等非常に安定していました。打撃フォームは力みが全くない、自然体の構えから、素直に打ち返していた記憶があります。特に手首の使い方が柔らかく、3割以上の年が1回、規定打席到達が2回という数字以上に好打者のイメージが凄く残っています。


通算成績   1565試合    1104安打    0.257    100本塁打   486打点

松井秀喜(16)

2009-06-22 20:00:37 | Weblog
メジャーリーグでは通算打率の規定打数を5000打数以上と定め、日本での4000打数とは異なっています。又現役選手の通算打率の順位を紹介する際、一応3000打数以上を基準としている様です。この3000打数という基準に、今シーズン松井秀喜選手が日本人ではイチローに次ぎ、到達しました。メジャーである期間実働出来たという証かと思います。今シーズンで7年目の松井秀喜は現時点で3091打数902安打、0.292,122本塁打、535打点という数字です。現役選手での打率ランキングは32位ですが、彼より上位の選手の内、引退宣言こそしてないものの、実質現役としての活動をしていない選手も何人か見かけられます。打率、及び打率順位に関しては、かなり頑張っている数字かと思います。しかし矢張り通算122本塁打、25.3打数に1本塁打という数字は、日本での数字を考えると本当に寂しい感じです。この事に関しては、このブログで嫌と言う程しつこく繰り返していますが、幸い今シーズンの彼の数字を見ると、昨シーズンの彼より遥かに本塁打が増えています。昨シーズンは9本塁打37.4打数に1本塁打が今シーズンは、既に10本塁打、19.9打数に1本塁打と約倍増に近い感じです。この数字が膝の故障によりあまり走れない為、長打を狙った事による結果なのか、彼の長打への意識改革なのか解りませんが、決して外国人選手に負けないだけのパワーを誇る彼にはより長打力を発揮して欲しいものです。


大杉勝男(2)

2009-06-19 21:18:35 | Weblog
大杉勝男の打撃フォームの最大の特長は、懐の深さかと思います。本当に懐の深さを十分に活かし、投手の投じた球を十分に引き付け、決して広くはないスタンスから、あまりステップせずに、バットにボールを巧く載せて広角に運ぶ感じでした。十分に引きつける為、左方向のみならず、右中間にも大きい当たりを度々放っていました。この打撃スタイルは、同チームの先輩張本勲の長所を取り入れたのでしょうか、かなり似通った部分があったと思います。より広角に自在に打てる点では矢張り張本勲が勝りますが、広角に長打が打てる点では大杉勝男が上回っていたでしょう。特に手首の強さに関しては、どちらかと言うと、弱ささえ感じさせる張本勲をかなり凌ぎ、素晴らしいものでした。しかし張本勲の場合手首が強くない事を逆に利用し、力み無駄のない打撃を心がけていた様な気すらします。大杉勝男は入団3年目から飛躍的に数字を伸ばしていきます。その年から文句なしのレギュラーとなり、打率こそ多少の浮き沈みはあったものの、本塁打数は27,34,36打点も81,89,99と順調に数字を伸ばしていきました。そして1970年、彼にとってキャリアハイのシーズンを迎えることになります。

大杉勝男(1)

2009-06-18 20:44:04 | Weblog
1965年から1983年迄、東映、日拓フライヤーズ、日本ハムファイターズ、ヤクルトスワローズで大活躍した右投右打の、主にファーストを守っていた選手です。個人的には、私が実際に見た右打者の内では歴代を通じて、その勝負強さ、広角に長打を放てる点等、最も好きな選手でした。それだけに1992年、彼の死亡のニュースを聴いた時は、本当にもの凄くショックでした。あの頑健な体の彼が、引退後10年を経ずに亡くなるとは想像すら出来なかったものです。本当に素晴らしすぎる選手でした。先ずは東映フライヤーズ時代の彼を紹介しましょう。テスト入団の彼は、1965年は僅か1本塁打、13打点の成績に終わるも、翌年8本塁打、28打点と順調に成績を伸ばして来ています。しかし未だこの時点では、当時人気薄のパリーグの選手とあって、全国的にはもう一つ知られていない選手なのでしょう。それにも関わらず、入団3年目からの彼は、その類稀な素質を活かし、パリーグのみならず、日本プロ野球を代表する長距離打者としての道を歩み始めます。

通算成績  2235試合  2228安打   0.287    486本塁打    1507打点