昭和37年から41年迄、読売ジャイアンツ、東映フライヤーズ、、再び読売ジャイアンツに在籍した右投左打の外野手です。公称174cm,80kgと上背はあまりないながらも、固太りの体型がもの凄く印象に残っています。先ずはその体型からも見当が付け易い様に、体の硬さが目立ち、所謂柔軟性に著しく欠ける打撃でした。色々なコースや球種に対応出来るレベルではなく、悪く言えば常に同じスイングしか出来ない打者でした。つまりツボにはまらない限り、いい当たりを打つ事は出来ませんでした。又守りと脚に関しても、悲しいかな、かなり低いレベルであったとしか表現出来ません。今回何故彼を取り上げたかと言いますと、昭和38年、当時結構話題になった、村山実、涙の抗議事件の打者が池沢義行であったからです。その場面は今でも鮮明に覚えていますが、当時指折りの豪速球投手、村山実の投じる、左打者池沢義行の内角へ食い込む豪速球をボールと判定された村山実が涙の抗議をし、退場させられた事件でした。確かに際どいコースの判定でしたが、今冷静に考えると、当時の村山実の力を持ってすると、そんな際どいコースで勝負すべく打者ではなかったとも思えます。
通算成績 370試合 13本塁打 76打点 126安打 0.224
通算成績 370試合 13本塁打 76打点 126安打 0.224