3388 野球ブログ

日米を問わず名選手を紹介。

昭和33年の速球王

2011-10-31 20:55:24 | Weblog
昭和33年開幕前に発刊された、週刊ベースボール創刊号の復刻版に、当時の投手の内最も球速のある投手は誰かと言う読者の問いに、5人の評論家が答えている記事があります。左投手では金田、梶本、小野。右投手では藤田、石川、米田の名前が挙げられています。昭和33年の開幕前、未だそんなに多くの試合を観ていた訳ではないのですが、左投手に関しては、その後の彼等の球速を観ていますので十分納得がいくものです。しかし右投手では米田は勿論全く問題はないのですが、藤田に関しては、そんなに球速に優れている投手なのか、若干疑問が残るものです。33,34年と何回となく彼の投球を観ていますが、当時屈指の速球投手とは思えないものでした。但し評論家達は、32年のシーズンでの投球で語っているだろう為、32年度はかなり速かった可能性はあり得るかと思います。しかし解らなかったのが石川と言う姓の投手です。この記事では、投手の名前が姓だけで記載されている為、少し調べて見ました。その後ある程度、投球を観た石川緑はどう考えても速球投手ではありませんでした。石川克彦という投手も、30年までは活躍していますが、31,32年度は殆ど登板がありません。もう一人石川良照という投手が、32年にデビューし13勝を挙げています。残念ながらその後も含めて、観た記憶がありませんが、多分この投手の事を指していたのかと思います。どんな投手だったのか、少し興味があるものです。

OB対現役(3)

2011-10-29 13:41:45 | Weblog
昔の球場は非常に狭いものでした。来日した外国人選手はその狭さに驚き、箱庭と表現した選手もかなりいました。その恩恵に預かり、母国での数字からは信じられない程の、長打力を発揮した外国人選手も多いものでした。張本勲氏はよく、当時の投手には素晴らしい投手が多く、且つ飛ばないボールの為、打者は非常に苦労したが、統一球以前のボールであれば、王貞治は70本塁打以上、或いはもっと多い数字の本塁打を打っていただろうと話しています。彼の話にはよくある事ですが、自分にとって不利になる事は触れない、つまり球場が狭かった事に関して全く無視しています。それ程現在の球場の多くとは、大きさが違うものです。狭い球場にも関わらず、長打になった打球の内、ある割合は外野手の肩の弱さに起因するものかと思えてなりません。球場の狭さが、強肩外野手を現在ほど必要としなかったとも言えるのでしょう。逆に言えば、広い球場が打つだけの選手を淘汰する様になり、打ち且つ守れる選手を育てて行く事になろうかと思います。

OB対現役(2)

2011-10-28 18:33:57 | Weblog
投手の球速の続きですが、昔は限られた人数の投手の球速は確かに優れていましたが、それ以外の投手の球は正直結構遅かったかと思います。スピードガン導入時には、150kmを超す投手は極稀であり、145kmを計時する球も結構速く感じたものでした。又、それ以前の球速を測れない時代の投手全般ですが、スピードガン導入以降の投手達より遅い事はあっても、速いという事はないかと思います。従って速い投手と遅い投手の格差は、現在よりかなり大きく、当時の速い投手の球速がより速く感じられたという事はあったかと思います。しかし現在、かなり多くの投手が150km越えを見せてくれる様になり、140kmを超す投手が大半を占めているのが現状です。少なくとも球速に関しては、現在の投手の方が優れていると断言していいかと思います。次に肩、特に外野手の肩に関してですが、間違いなく現在の外野手の方に、遥かに肩の強い選手が揃っています。特に最近の若い外野手の肩に、驚かされる事も度々あるくらいです、私が野球を見始めた昭和30年代から、かなり長い間、強肩外野手はほんの一握りであり、殆どが肩の弱い外野手であったと思います。昔は打撃優先、守備に関してはおろそかにされていた事もその要因かと思いますが、もっと大きな要因としては、昔と比較して大きく広い球場が増えた事が挙げられるかと思います。

有藤道世(通世) (3)

2011-10-27 21:56:54 | Weblog
今回は有藤道世の守備、走塁に触れたく思います。先ずは守備ですが、強肩且つ華麗な守備と一般的には言われています。確かにそうだとは思います。ダイヤモンドグラブ賞にも4回選ばれており、特に守備面での問題はなかったと思います。強肩と言われていた肩ですが、ほぼ同時期にショートを守り、空前絶後の信じられない程の肩を披露した大橋穣の肩と比較すると、守備位置こそ違え矢張り見劣りする感は否めませんでした。晩年外野にコンバートされますが、慣れない守備位置という事もあるかも知れませんが、年齢から来る体力や、動体視力の衰えも見られ、正直彼の外野手としての守備を見るのはつらいものがありました。次に走塁ですが、脚も非常に速く、盗塁も多く試みていました。主に盗塁を多く要求される打順ではない割に、本当に多くの盗塁を成功させたと思います。中軸を任され、180cm,80kg以上の選手としては張本勲、秋山幸二と並び、最も積極的な走者と言っていいかと思います。入団時同じポジションという事で、長嶋二世と言われていたりしましたが、こと盗塁に関しては、30歳を超えたあたりから殆ど盗塁を試みる事のなかった長嶋茂雄と比較しても、遥かに多く試みた選手と言えるかと思います。

OB対現役(1)

2011-10-26 21:28:43 | Weblog
50年以上、日本プロ野球を観ていますが、現役の選手と過去の選手の実際の力を比較して見たく思います。先ずは投手の球速です。昭和54年以降、スピードガンが導入され、それ以降一応投手の球速は測れる様になりました。当時中日ドラゴンズの小松辰雄投手の球速が素晴らしく、スピードガンの申し子と言われ、確か最速は153kmから155km位だったと思います。その後スピードガンの表示では、この記録は度々更新され、現在日本プロ野球での最速記録は、クルーン投手の162km言われ、一応投手の最速表示は更新されています。では現役の投手が過去の投手より、絶対的に速いのかどうか、それなりに疑問が残るものです。結論を急ぎましょう、ほぼ間違いなく、現在の投手は過去の投手より、球速は上回っているかと思います。これはスピードガンの表示だけではなく、それなりに長く野球を野球を観ているものの感覚と言えるかと思います。しかしこれは、全般的な話であり、現役最速投手イコール、歴代最速投手には繋がらない様に思えてならないものです。

有藤道世(通世) (2)

2011-10-25 21:12:15 | Weblog
有藤道世の攻守走は確かに優れていたとは思います。しかしどれも格別傑出したものではなかったかと思います。先ずは打撃ですが、一応率も残せ、長打もある、タイプから言えば中距離打者になるかと思います。一度0.329で首位打者を獲得していますが、その年は初めて20本塁打に到達せず、厳しい言い方をすれば率と長打を両立出来ない打者かと思います。他4回3割に達していますが、全て3割1分に達していない点も気になります。又打順や、チームの攻撃力等、多くの要素が重なり合って来ると思いますが、キャリアを通じて非常に打点が少ないものです。有藤道世程の実績の選手なら、キャリアハイの打点が80と言うのは、少ない気がしてなりません。当時ロッテオリオンズの人気は高くはなく、テレビ中継も多くはなかったのですが、ここぞと言う時に彼がヒットを放ったと言う記憶はあまりありません。打者としての有藤道世をまとめると、ある程度の率や長打を期待出来るが、チャンスには決して強くはない打者、つまり中軸を任せるには、やや不安のある打者と言えるのでしょう。

有藤道世(通世) (1)

2011-10-23 21:49:44 | Weblog
ドラフト1位で入団、昭和44年から61年までロッテオリオンズ一筋に活躍した右投右打の主に三塁、晩年には外野を守り、ミスターロッテとも言われた選手です。大豊作の年、昭和43年のドラフトでロッテオリオンズに入団しています。当時南海ホークスの鶴岡一人監督が、向こう15年間、ロッテは三塁手に困らないだろうと言う、談話を残していたのを妙に記憶しています。確かにほぼ15年間、彼は不動の三塁手として、オリオンズの主軸として活躍し続けました。結果的に鶴岡一人の言葉は当っていたと思いますが、果たして、実働18年間、本当の意味での期待通りの活躍だったのか、何故か疑問に思えてなりません。入団当初の高い期待度もあり、正直かなり高いレベルを想定しての、辛辣な評価でもありますが、どうしてももう一つインパクトに欠けた選手と言うイメージが、私には拭い去れないものです。通算打率0.280以上,3割以上5回、大卒でありながら、名球会の資格2000本以上の安打、350に近い本塁打数、1000打点以上、首位打者1回、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞も多く受賞する等、素晴らしい実績なのですが、何か物足りなさを感じざるを得ない選手と言う感じがしてならないものです。

連続三割

2011-10-22 22:34:21 | Weblog
非常に残念な事に、今シーズン、ヤクルトスワローズ、青木宣親選手の連続三割の記録が6年で途切れそうな状況です。残り1試合ありますが、6打数6安打で、切り上げ3割にようやく達するというのが、現在の数字です。常識的に考えれば、3時間30分を超えて、次の延長の回には入らないと言う規定もあり、6回打席は回らないだろうし、もし回ったとしても、全てヒットにするという事はまず不可能かと思います。2009年、前半戦を0.249で折り返した時、流石の好打者青木宣親と言えども、連続3割はほぼ絶望かと思ったものですが、後半戦盛り返し0.303の打率で終えた程の実力者の彼の事だけに、3割に満たない打率の時でも、最終的には3割に到達するものと勝手に推測していました。統一球の影響なのか、単なる不調の年なのか、解りませんが、3割に近づいていただけに、誠に惜しいものです。もう一人、多分多くの人が気付いていないかと思いますが、青木宣親より長い、日本での連続シーズン3割の記録を誇る選手の記録も途切れました。その選手とは2004年、メジャーに挑戦、昨年まで7年間メジャーに在籍していた松井稼頭央選手です。彼は2003年まで7年連続して3割以上をマークしていましたが、メジャーで活躍出来なかった事もあり、今やこの記録を覚えている人も少ない様な気がします。

沢村賞(3)

2011-10-21 21:57:53 | Weblog
最近の沢村賞は、一応各項目毎の選考基準があり、かっての名投手により選考されています。選考基準を満たしていなくとも選考される場合もありますが、該当者なしという年度もあります。今シーズンはほぼ間違いなくダルビッシュ有と田中将大の争いになると予想されています。二人とも全ての項目を満たしており、どちらが選ばれてもおかしくない程の素晴らしい成績を挙げています。イニング数、奪三振数ではダルビッシュ有が勝り、勝ち星、防御率では田中将大が勝っており、正直甲乙付け難い数字かと思います。しかし、多分田中将大が選ばれるかと思います。その理由として、少なくとも現時点での両投手の格の違いがあると思います。今シーズンこそダルビッシュ有と遜色のない数字を挙げているものの、投手としての格は、矢張りかなりの差があろうかと思います。球界のエースはダルビッシュ有以外は考えられず、田中将大は今シーズンかなり近づいた投手という位置づけになろうかと思います。日本の選考による多くの賞は、どうしても判官贔屓というか、過去の実績が少ない選手が選ばれる傾向にあります。つまり殆ど差がない成績の場合、過去の実績で劣る選手が選ばれる傾向は否定出来ない気がしてなりません。来シーズン、ダルビッシュ有はメジャーへ移籍するであろう為、田中将大には是非、名実ともに日本一の投手を目指して欲しく思います。

打席数

2011-10-20 16:26:28 | Weblog
打撃成績を表す際、メジャーと日本プロ野球で異なる点があります。全ての成績表がそうではないのでしょうが、日本では規定打席以上の打者の打席数は、比較的容易に探せるのに対し、メジャーではなかなか困難です。そのせいなのか、数多く出されている記録集でも、打席数を省いているケースが多いものです。物凄いとしか形容出来ない程、多くのデータを収集しているサイトMlb.Com.でも打席数(PA)、特に個人別に探すのは、結構面倒なものです。日本と同様、しっかり規定打席数を設けている割には、あまり重要視されていない扱いとしか思えません。それを示すかも知れない、一つの例を紹介します。今シーズン、オリオールズに所属していたウラディミールゲレーロという、全席期には怪物としか形容できない程の、素晴らしい選手がいます。彼に関して、メジャーの多くの文献では1997年から2008年まで12年連続打率3割をマークしたと記載してあります。日本でのメジャー中継でも、この言葉を何回となく聞かされたものです。しかし1997年と2003年は、規定打席にはかなり足りないものでした。異常な程、色々な項目の記録をも網羅しているのに、何故か杜撰な感じがしてなりません。もしどうしても3割以上連続に拘りたければ、規定打席未満の年を含む等の注釈を加えるべきかと思うものです。試合数×3.1が妥当かどうかは別としても、規定打席数以上での記録には、かなりの価値があると思うものであります。