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日米を問わず名選手を紹介。

飯島秀雄

2008-05-31 22:11:04 | Weblog
昭和44年から46年まで、ロッテオリオンズに在籍した選手です。と言うより元オリンピックの100mの代表選手です。当時ロッテオリオンズが代走要員として43年のドラフト9位で獲得しました。当然彼の100m,10秒ちょっとの脚の速さは群を抜くと言うよりも、空前絶後と言える程、プロ野球界では、その脚の速さは他を圧倒していました。しかし彼の残した盗塁の成績は成功23,失敗17、成功率0,575というやや低い結果に終わっています。又117試合に出場しながら打数0という稀な数字も残しています。しかし出来ればもう少しプロ野球に慣れる期間を与えていれば、多少結果は違っていた可能性があるのではないかと思わざるを得ません。彼以外で脚の速い選手としてすぐ思いつく屋敷要選手も、初期の数年間は盗塁成功率が決して高いとは言えない選手でした。如何に野球経験のない飯島秀雄といえども、もう少し猶予を与えていたらと思うものです。結果的には当時不人気球団のロッテオリオンズの話題作りだったのでしょうか?



通算成績    117試合    打数 0 安打 0 盗塁 23




柳田利夫

2008-05-30 21:22:10 | Weblog
昭和34年から45年まで、大毎オリオンズ、読売ジャイアンツ、南海ホークスで活躍した入団3,4年間は主にショートストップ、その後外野を守った右投右打の選手です。名前とその特異な風貌から殺し屋のリュウと呼ばれていました。筋肉質な非常に引き締まった体から結構パンチ力はありました。打撃はどちらかというと球を引きつけるというより、むかえにいくタイプで、タイミングが合わない時は見事な空振りも多かったのですが、巧くタイミングの合った時は、生来のスイングスピードの速さもあり、もの凄い打球を飛ばしていた印象があります。彼には昭和35年の大毎オリオンズ優勝時の主に一番打者として活躍したイメージが非常に強いのですが、今数字を調べて見ると、如何に当時が今より投高打低とは言え、あまりいい数字を残しているとは言えません。(0.249,12本塁打、34打点)守備に関しても粗さが目立ち、折角の強肩を活かすべく外野に転向した様に記憶しています。残した数字ははっきり言ってたいしたことはありませんでしたが、その風貌とニックネームが合致していた意味で本当に忘れられない選手です。



通算成績   1031試合     630安打    0.234   68本塁打     287打点

菅原紀元

2008-05-28 21:43:13 | Weblog
昭和34年から38年の間、35年を除いて大毎オリオンズで一軍登板した右腕投手です。今回彼の記録を調べて見ると、意外にも活躍したと言えるのは、37年の一シーズンのみでした。他のシーズンは殆ど登板しておらず、私のイメージにある彼の姿は、ほぼ間違いなく37年度次の彼の投球だと思います。当時の投手としては比較的長身の180cmながら、腰の捻りを利かした、スリークォーターよりやや横に近い位置からの投法で、右打者の内角に食い込む球を武器にしていた様に記憶しています。球速はやや速い方かと思いますが、球質は重かったと思います。何故この年度以外活躍出来なかったのか、今にして思うと結構不思議な気がします。新人の年でもない37年に200イニング以上投げ、12勝を挙げた投手が他のシーズン全く活躍していないのも意外と稀な例でしょう?



通算成績     66試合    12勝10敗    防御率   3.45    147奪三振

長嶋清幸

2008-05-27 21:42:45 | Weblog
昭和55年から平成9年まで、広島カープ、中日ドラゴンズ、ロッテマリーンズ、阪神タイガースで活躍した左投左打の外野手です。イメージとしては広島カープ時代が一番に浮かぶ選手です。まず最初に彼を見て驚いたのは、公称170cm,81kgという豆タンクの様な体型にも拘わらず、非常に脚が速いという事でした。特に一塁に駆け込む時の速さは、かなり印象に残っています。又打撃も素晴らしく、脚が短いせいもあるでしょうが、スタンス幅の狭い打撃フォームで、やや窮屈さを感じさせ、その為か長打力には欠けましたが、ミートポイントは正確で頼りになる打者でした。守備もその俊足を活かし広い守備範囲を誇っていましたが、肩は決して強くはなかったと思います。又その俊足の割に盗塁数もあまり伸びず、盗塁成功率も決して高くはありませんでした。最近多いスタイルの良い選手とは正反対のタイプですが、妙に印象深い選手の一人でした。



通算成績     1477試合    1091安打     0.271    107本塁打    448打点    94盗塁

宮崎昭二

2008-05-26 22:08:38 | Weblog
昭和37年から50年まで、東映フライヤーズ、日拓フライヤーズ、日本ハムファイターズ、阪神タイガースに在籍した右腕投手です。183cmの長身ながらも、非常に迫力のないスリークォーターよりやや下から投じる変化球を主な武器としていました。腰の捻りが少なく、その為か、腕の振りも小さく又鋭くはなく、球速は遅い方の部類に入っていたと思います。しかし好調時には落ちる球を活用し、打者を巧く内野ゴロに仕留めていた記憶があります。42年には自身唯一の二桁勝利の12勝を挙げ、防御率もリーグ2位の2.10と健闘しましたが、他の年は規定投球回数に達せず、矢張り二流投手の域は脱せなかった投手といえるのでしょう。



通算成績     399試合   38勝46敗   防御率   3.42   481奪三振

牧憲二郎

2008-05-25 15:49:47 | Weblog
昭和41年から48年まで、南海ホークス、阪急ブレーブスに在籍した右腕投手です。昭和40年の第一回ドラフトで南海ホークスに一位指名を受けて入団しています。快速球投手、森安敏明、堀内恒夫と同じく一位指名、当時の二位指名には鈴木啓示、木樽正明等がいます。それなりに騒がれての入団でしたが、強いて活躍したと言えるのは、47年の3勝の年だけでしょう。悲しいかな同期入団の彼等とは、一目見て、全くレベルが違いが解る程の歴然とした実力の差がありました。やや太めの体から、腰の捻りの少ないスリークォーターの投球フォームからの球は、所謂棒球で著しく伸びを欠いていました。又球速も決して速い方ではなく、平均をやや上回るくらいかと記憶しています。これと言った変化球もなく、制球も優れている事も有りませんでした。典型的な二流投手だったと思います。


通算成績     24試合    3勝5敗   防御率   3.38   24奪三振

羽生田忠克(忠之)

2008-05-24 22:06:21 | Weblog
昭和62年から平成7年まで、西武ライオンズ一筋に活躍した右投左右打の外野手です。以前に別ブログでも紹介しましたが、彼の持ち味はその並外れた肩の強さにあります。約50年日本プロ野球を見、更に約10年メジャーもしっかり見てきたつもりですが、彼程肩の強い外野手を私は知りません。主に守備固めとしてライトを守っていましたが、矢の様なもの凄いスピードの送球は、それだけで観客を魅了するものでした。本当にその肩だけで銭の取れる選手と言えるでしょう。送球のスピード、正確性に関しては、現在メジャーで圧倒的にNO.1の評価を受けるイチローをも凌いでいるかと思います。俊足を活かし、スイッチヒッターに挑戦したりしましたが、彼は打撃力が不足していた為、主に守備固め、代走としての出場に終わりました。ある意味日本が世界に誇れるのはイチローの洗練された打撃術と、彼の脅威的な強肩かと思われる位に素晴らしかったものです。



通算成績   341試合  115安打   0.258   1本塁打    31打点

鎌田実

2008-05-23 22:58:40 | Weblog
昭和32年から46年まで、阪神タイガース、近鉄バファローズで活躍した右投右打の二塁手です。職人という言葉が最も似合う選手の一人と言えるでしょう。特に素晴らしいのは守備で30年代の阪神タイガースで、ショート吉田義男、サード三宅秀史、セカンド鎌田実と三人の守りの超一流プレーヤーが揃ったのは空前絶後と言えるのではないでしょうか?鎌田実の場合守備勘がもの凄く良かった印象があります。打撃に関しては、悪球打ち、大根切り打法が有名でしたが、腰の捻りの不十分な所謂手打ちに近く、非力というイメージは拭い去れませんでした。しかし高目のボール球を巧くおしつけて、ライト方面へ結構打っていたものです。37年には全試合出場、セリーグで最も多い打数ながら0.199と2割を切るという面白い記録も残しています。残した記録よりも、本当に記憶に残る名選手の一人でした。



通算成績    1482試合   1041安打    0.234    24本塁打    264打点

バーンサイド

2008-05-22 23:16:23 | Weblog
昭和39年に、メジャー、セネタースから阪神タイガースに入団した左腕投手です。188cmの長身ながら、腰の捻りが少なく、尚且つ開きも非常に早く、全く迫力を感じさせないスリークォーターよりややサイドに近い投球フォームから、球を置きにいく様な感じでした。従って球速は遅い投手の部類に入る程でしたが、変化球には見るべきものがあり、制球も決して悪くはありませんでした。2年間で10勝と成績には見るべきものはありませんでしたが、何故か印象に残る投手の一人でした。又通算でも大きく負け越している割には、投高打低の当時としても防御率は悪くはなく、見方の援護には恵まれなかった様に思います。特に40年には剛球村山実、くせ球バッキーに次ぐイニングス数を投げ、阪神タイガースでは3番手の投手というイメージが残っています。


通算成績   61試合    10勝22敗   防御率  3.10 奪三振 101
   

公平な日本、不公平なメジャー?(5)

2008-05-21 22:40:12 | Weblog
メジャーは162試合制ですが、対戦相手は先ず同一地区のチーム相手が一番多く、残りを同一リーグの他地区のチーム、更に他リーグとの交流試合で組まれています。従って毎年、同一リーグのチームでも同じ試合数が組まれる訳ではなく、交流試合の場合、ニューヨークでのヤンキーズ対メッツ、シカゴでのカブス対ホワイトソックスの様に、必ず行われる試合もありますが、基本的には毎年対戦相手が変るシステムになっています。何と公平さを欠いているシステムと言えるのではないでしょうか?各地区のチーム数が違う上に、対戦相手もチーム毎に異なり、最初から公平さを欠いているため、メジャーはプレイオフを実施しているのではないかと思ってしまうものです。勝率5割以下のチームがワールドチャンピオンに輝く可能性すらある訳です。一方日本の場合、前に紹介した様に各チーム共、同一条件での争いになっています。何故このシステムでプレイオフを行う必要があるのでしょうか?中日の落合監督が提唱している様に、144試合での一位の価値を重んじる必要があるのではないでしょうか?