3388 野球ブログ

日米を問わず名選手を紹介。

引退 松井秀喜(3)

2012-12-31 14:07:16 | Weblog
実働13年  1248試合  4458打数1294安打    0.290(0.322)      171本塁打(31)      621打点(83)


上記の数字、前回紹介しましたメジャーでの松井秀喜の成績に似ているかと思います。読売ジャイアンツに在籍した中畑清の通算成績と()内は同じくキャリアハイの数字です。試合数、打数、本塁打数がが大きく変わらず、打率で中畑清が上回りながらも打点数ではかなりの差があるという感じかと思います。勿論この数字で二人の実力を比較している訳では決してありません。日本とメジャー、実力の違いは明らかなので、あくまでも似ている数字という意味で比較しています。中畑清は人気球団所属の選手という事で、人気はかなりあった選手だったと思います。しかし実力面に関してですが、デビュー時から見ていますが、打撃3部門、更には守備、走塁を含めても傑出した点はなく、一流選手とは決して言えなかったと思います。打率に関しては、打数は決して多くないながらも思ったよりもいい数字という印象すらあります。この中畑清と似ている数字の選手、やはり一流の成績とは言い難いと思います。

引退 松井秀喜(2)

2012-12-30 12:52:37 | Weblog
実働10年   1236試合   4442打数1253安打(192)   0.282(305)    175本塁打(31)    760打点(116)



上記松井秀喜のメジャーでの通算成績と()内はシーズンのキャリアハイの数字になります。メジャーの打率の通算成績の基準は日本と異なり5000打数以上という事なので、彼の通算打率に順位が付く事はありません。通算打率0.282は決して悪い数字ではないと思いますが、もし規定打数に達していたと仮定してもメジャーでの通算打率の順位は343位になります。又本塁打の通算は367位、打点の通算は498位です。通算順位に関しては、日本より歴史が古く、チーム数が多く、試合数が多い事等を考慮したとしても、素晴らしい数字とは言い難いかと思います。例によって少し厳しい言い方をすれば、メジャーで目立った成績を残した選手とは言えないのでしょう。確かに2009年ワールドシリーズMVPを獲得したり目立った活躍はありますが、ワールドシリーズはあくまでも短期のシリーズであり、1シーズンフルに働いた成績とは比較すべきではないかと思います。従って決して一流プレイヤーとは言えない選手がメジャーでの松井秀喜と言えるかと思います。

引退 松井秀喜(1)

2012-12-29 23:09:01 | Weblog
松井秀喜が引退を発表しました。日本プロ野球とメジャー、それぞれに10年間、計20年間の在籍お疲れ様でしたと先ずは言いたいと思います。在籍年数もそうですが、試合数、通算打数も日米大きな差がなく他の選手より日米の成績の差を比べ易い選手と言えるかと思います。日本では1年目の途中からメジャーに移籍するまで連続試合出場を達成し1268試合出場、メジャーでは今年も含め3回の規定打席未満がありながらも1236試合に出場しています。打数では日本4572打数、メジャー4442打数と試合数比とほぼ変わらない打数比になっています。松井秀喜が読売ジャイアンツに在籍していた頃の試合数が130試合から140試合の間で組まれていた為、1年目の57試合出場を除き全試合出場しているのですが、故障による欠場の多い年とシーズン途中入団且つ7月末戦力外通告の今年を含めても合計試合数でも大きく変わらないのは162試合制で一貫しているメジャーとの試合数の差から来るものと思います。従って通算成績で日米比較するのは意味があるとは思いますが、シーズン毎の成績の比較、特に積み重ねの記録に於いてはもう一つ意味がないかと思っています。

その後の尾崎行雄(3)

2012-12-28 15:14:41 | Weblog
尾崎行雄の急激な成績の落ち込みは酷使による右肩痛が原因と言われていました。一説には、当時流行りだしたボーリングに凝り、ボーリングの重い球の投げ過ぎも影響しているとも言われていました。酷使に関してですが、昭和40年、378イニングとかなり多く投げていますが他の年は300イニングを超えていない等、その当時の投手としても彼だけが酷使された訳ではないかと思います。矢張り体に負担の大きいというか無理のある投法の影響が大きいかと思います。又、指に豆の出来る体質に苦しんだともよく伝えられていました。しかしこれに関しては、体質もあるのでしょうが、もの凄く強い握力の持ち主と言われる彼が、人一倍速い球を投げようとして思いっきり強く球を握って投げた影響の方が大きいように思えてなりません。破格の球速のみで勝負してきた彼には、元々ストレート以外の球種は殆どなく、球速の衰え=成績の衰えにつながったのでしょう。同じ様な例としては後の山口高志も挙げられますが、球速のみで勝負出来た投手の変身出来ない末路と言えるのでしょう。それにしても短い期間とは言え、全盛期の彼の豪速球の凄さは未だに忘れられるものではありません。

その後の尾崎行雄(2)

2012-12-27 13:52:04 | Weblog
尾崎行雄の現役生活は昭和37年の入団から48年の退団までの12年間です。前半の6年間に3年連続の20勝を含む計4回20勝以上の勝ち星を挙げ、通算104勝を稼いでいます。しかし後半の6年間は43年から3年連続で0勝に終わった後、46年に久し振りに勝ち星3勝を挙げた後、47、48年と連続して0勝に終わり引退をしています。大活躍した前半と、全くと言っていいほど使い物にならなかった後半と言ってもいいかと思います。選手生活の前半に104勝、後半に僅か3勝、こんなにアンバランスな選手は他にはいないかと思います。もし尾崎行雄が現在のメジャーリーグに所属していたなら、こんなに長く現役は続けられず、もっと早く戦力外通告なりの処遇を受けていたのではないかと容易に想像出来るものです。FAのなかったその時代、現在の日本プロ野球よりも力の衰えたかってのチームへの貢献者に対してはかなり優遇された対応をチームはとっていた様に思います。尾崎行雄が急速に成績を落とした理由は明らかで、何度も書いていますが球速の衰えとそれに対応する術がなかった事に尽きると思います。

その後の尾崎行雄(1)

2012-12-26 15:03:15 | Weblog
尾崎行雄の高目に浮き上がる豪速球は本当に速く威力のあるものでした。変化球もあるにはありましたが、投げなくても打者を抑えることが出来たというのがこの年昭和37年の尾崎行雄だったと思います。同じく威力ある変化球なしに十分通用した投手に、江夏豊の名が挙げられると思います。しかし江夏豊の場合は、球速こそ尾崎行雄に若干遅れをとるとは言え、抜群の投球術ともの凄く精密な制球力がありました。残念ながら尾崎行雄にはこの両方共、将来的にも備わないまま現役生活を終える事になったかと思います。自慢の豪速球も本当に速かったのは入団後4年間のみで、5年目の昭和41年には24勝こそ挙げたものの、球速の減退はもの凄く明らかになって来ていました。この年同じチームに恐ろしく球の速い森安敏明が入団し、尾崎行雄に次ぐ速さの投手とマスコミはキャンプの時点で多く書いていた様に記憶していますが、その時点で最早尾崎行雄には森安敏明と太刀打ちする程の球の速さはありませんでした。翌42年急激に6勝14敗と成績を落としてしまい、彼の投手生命は実質的にこの年で終わったと言ってもいいのかと思ってしまいます。

昭和37年の尾崎行雄(5)

2012-12-25 13:14:00 | Weblog
尾崎行雄の球速はどの位のものか、現役の速球投手との比較や、日本一の速さではないかとの話題はその当時当分尽きないものでした。前述しましたが、球速自慢の金田正一は自身の優位性を予想通り強調していました。尾崎行雄との球の速さの比較で最も多く名前が出て来たのが、同じパリーグ所属の同じ右腕投手の米田哲也でした。当時プロ入り7年目のシーズンを24歳で迎えた米田哲也ですが、後に武器となるフォークボールは未だ投げておらず、素晴らしく速いストレートと当時で言うドロップ中心の投球でした。二人共右腕で重い球質、けた違いの速さを誇る点等似通った処はありましたが、高目に浮き上がる球を武器とする尾崎行雄に対して、米田哲也の球は低めにズドンと食い込む様な重い球に最大の特長があったと思います。ではどちらの投手の球が速いのか、昭和37年に関して言うと尾崎行雄の方に分があったかと思います。しかし昭和34,35年の頃の米田哲也の球速も凄く、この二人は甲乙つけがたい存在かと思います。金田正一との比較では、私の見た彼の33年以降シーズンでの比較になりますが、尾崎行雄の方が速かったと思います。

昭和37年の尾崎行雄(4)

2012-12-24 12:32:08 | Weblog
尾崎行雄の最大の武器はホップして高目に食い込む豪速球にあったと思います。殆ど全ての投手は、常に低目への制球を考えて投球するものですが、破格の球速を誇りしかも浮き上がる様に伸びて来る球を持つ尾崎行雄にはその必要はありませんでした。制球ミスで高目にいってしまった球を狙い打たれる投手と違い、尾崎行雄は意識して高目を狙った球で面白い様に三振が奪えました。ダブルヘッダーの両試合でリリーフとして起用され、合計7イニングで15奪三振を記録し、その内8連続三振と記録の9連続三振に迫ったりしていました。途中経過ではありますが38イニングで61奪三振と凄い三振率を誇っていたものです。一応ライバル視されていた柴田勲の球威不足が明らかになった事もあり、尾崎行雄への評価、注目度はもの凄く高かったものでした。この年オールスター戦まで18勝を挙げ一体いくつまで勝ち星を伸ばすものかと思っていましたが、残念ながら後半戦は急失速してしまい、最終的には20勝で入団1年目を終えています。少なくとも前半戦の尾崎行雄は評判通りあるいはそれ以上の豪速球の威力を見せつけたものと思います。

昭和37年の尾崎行雄(3)

2012-12-23 20:40:33 | Weblog
尾崎行雄投手の投球フォームに就いて触れます。腕の位置はスリークォーターより低く横手よりは高い位置から出ており、彼の公称身長176cmという事からも察する通り、決して角度のある投球をしていた訳ではありません。左脚の胸元への引きつけ、十分に捻られた腰、思い切って後方に引かれた右腕、胸板の厚さを強調するかの如く見事な胸の張り等速球投手に必須の要素は備えてはいましたが、投球フォーム自体かなり無理があり、体への負担はかなり大きかったものと思います。又腰の回転自体も腕の出処がそうである様に、オーバースローと言うよりも横に近い為、巧く腰が回転出来なかった場合、所謂手投げと言いますか打者に正対して投げる危険性もはらんでいた様に思います。晩年の彼の投球にはこの投法が多く見られたものです。確かに金田正一が指摘した様に、変則気味で決して理にかなった投球フォームとは言い難い彼の投手生活が長く続くという事は、考えにくいものだったとは思います。尾崎行雄は当時、自身の球が最も速かった時期はプロ入団後ではなく、高校時代と話していました。しかし高校を2年で中退した彼は甲子園での優勝時16歳と11ケ月、この年齢で恐ろしく速い球を投げていたプロ入後より速かったのでしょうか、高校時代の彼の投球は見ていないだけに妙に気になるものではあります。

続 週刊プロ野球データファイル

2012-12-22 12:22:32 | Weblog
今週第87号が発売され、現在残りは13冊となっています。歴代一軍出場約6000人の選手名鑑と、その内名選手1000人のデータファイルという事になっています。以前にも書いたのですが、もの凄く気になっていたのがその1000人の選手の選考とその選手への評価でした。今まで購読して来た処、正直何故この選手が1000人の内に入るのだろうかと疑問に思った選手は何人かいました。全巻完成した訳ではないので、現状何とも言えないのですが、何故この選手が漏れてしまうのか逆に疑問に思える選手も多く出てくる様に思えてなりません。又投手、打者共に5項目を5段階評価しているのですが、その評価にも疑問を感じざるを得ません。最近の選手は兎も角としても、昔の選手に関してはその評価を下した記者はその選手のプレイを見た事が全くなく、ベースボール・マガジン社に残る記事等を中心に推測で評価しているのでしょうが、実際にその選手を見て来た者としてはかなり食い違いを感じているものです。当然人それぞれ見方は違い評価も違って来るものとは思いつつも、あまりにも大きい隔たりに驚きを感じざるを得ないものです。無理して5項目5段階の評価を入れるよりも敢えて外した方が、この本の価値を高める様な気がしてなりません。