昭和52年から59年まで、南海ホークスに在籍し、外野、サード、ショートを器用にこなし、ほぼレギュラーの座を自分の物にしかけた右投右打の選手です。正直数多く彼のプレイを観た訳ではありませんが、派手さはあまりないものの、チームにとって不可欠な選手に育って来た選手という事で、彼の事は見て来ました。公称176cm、72kgと決して大きくない体ながらも、多くの守備位置を無難にこなし、打撃も、やや投手寄りにバットを傾けたフォームから、結構思いっきり振り、意外な程のパンチ力を見せてくれる事もありました。将来スター選手にならずとも、毎年安定した成績を残せる選手に成長していくものと期待していました。しかし当時、物凄く驚いた事に、仕事始めの正月、新聞紙上にて彼の急死を知る事になりました。確か帰省先で新年会に出席した夜、体の不調を訴え急逝したという事でした。自動車事故で亡くなった中日ドラゴンズの加藤斌投手以来のショックでした。26歳と若いスポーツ選手でも、急死があると言う事で、今でも忘れられない選手となりました。
通算成績 770試合 602安打 0.258 44本塁打 239打点
通算成績 770試合 602安打 0.258 44本塁打 239打点