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日米を問わず名選手を紹介。

菊川昭二郎

2007-07-25 22:22:02 | Weblog
昭和38年に近鉄バッファローズに入団、その後西鉄、太平洋クラブライオンズ、ロッテオリオンズに移籍し14年間の現役生活を終えた内野手です。はっきり言ってこの選手のプレーには、殆ど記憶がありません。記憶に残っているのは、八百長問題でかなり騒がれている時に、当時この問題に熱心だった、比較的、創刊間もない週刊ポストが、八百長実行選手として、与田、益田等と共に彼の名前を実名で挙げていた事です。当時は疑わしき選手に関しては、イニシァル報道が殆どで、私の知る限り実名報道はなかったと思います。もし八百長を彼が実際にやってないとしたら、何故彼は訴えなかったのでしょうか?非常に疑問の残る選手です。結果としては、八百長問題では、彼は全く処罰はありませんでした。しかし実際はどうだったのでしょうか?その後2年間だけ規定打席に達し、活躍した年もありましたが、全体的には中途半端な成績に終わった選手です。




通算成績    878試合   522安打   0.236    21本塁打    159打点

永易将之

2007-07-24 22:43:43 | Weblog
昭和37年に東映フライヤーズに入団、その後43年に西鉄ライオンズに移籍し、翌44年に永久追放されるまで、6年間の実働年数の投手です。腰の捻りの少なく、重心の高いアンダースローからの投法は、残念ながら二線級投手そのものの球威でした。何故この投手が40年に10勝3敗、1.93という成績を挙げられたか不思議でなりません。結果的にこの予想外の好成績が、この投手を八百長に誘い込んだ様に思えてなりません。何故なら所謂二流投手に、わざわさ八百長を依頼する必要はありません。如何に点数のハンディがあるとは言え、依頼しなくても敗北の可能性が高い訳ですから?従ってフロック的にある時期のみ活躍し、その後本来の力通りの成績に甘んじている選手こそ、格好のターゲットではないでしょうか?八百長が発覚した当初、西鉄ライオンズは彼だけが実行していた様なコメントを発表していますが、全く有りえない話です。当然多くの選手に波及していったものです。多分八百長をしていながら、その後野球界に存在し続ける元選手も非常に多いと思える為、黒い霧、八百長問題に就いては、又触れたく思います。



通算成績   133試合    17勝17敗    2.81    187奪三振

土井正博

2007-07-23 21:04:59 | Weblog
昭和36年に高校を中退し、近鉄バッファローズに入団し、その後太平洋、クラウン、西武ライオンズに移籍し、大活躍した右投げ右打ちのスラッガーです。バットを投手寄りに傾けた豪快なフォームからの、プルヒッティングは素晴らしく、打球は殆どレフト線への強烈なものでした。兎に角、目の覚める様な打球を常に飛ばしていた選手でした。入団2年目に、打者を見る目には驚異的な別当監督に見出され、常時出場するが、流石に荷が重く、その年には0.231,5本塁打、43打点に終わっています。しかし翌年からは主力打者として申し分のない成績を残しています。3割7回、20本塁打以上16回は素晴らしい成績と言えるでしょう。但しギャンブルには目がない様で、現役時代、及び引退後も様様な事件に巻き込まれています。色々な噂がありますが、願わくば、野球での賭博の無かった事を祈っています。


通算成績    2449試合    2452安打    0.282    465本塁打    1400打点



白石静生

2007-07-20 22:29:48 | Weblog
昭和44年に広島カープに入団、50年に阪急ブレーブスに移籍し実働16年を記録した左腕投手です。一言で言えば、非常に中途半端な投手でしょう?ややぎこちないスリークォーターから投じる球は、格別速くもなく、又コントロール、変化球共に、特に優れているものはなかったと思います。更に眼鏡をかけた風貌も、そのイメージを増長させるものでした。通算成績も100勝、1000奪三振に近づいたものの、達成は出来ませんでした。とは言え、先発に救援、色々な分野で活躍した貴重な投手でした。



通算成績   394試合    93勝111敗    3.81    943奪三振

長谷川繁雄

2007-07-19 21:20:17 | Weblog
南海、中日、近鉄と在籍した左投げ左打ちの外野手です。殆どの人が知らないと思いますが、黒い霧、つまり八百長問題に関しては必ず登場する選手です。間違いなくやっていたと思われている選手です。打撃に関しては、パワーはあまりないながらも、結構巧く打ち分けていた印象があります。守備、走塁の問題はあるでしょうが、その打撃の割には常時出場が出来ませんでした。矢張り、当時の監督は彼の八百長を見抜いていたのでしょうか?引退3年後、彼は事故死しますが、これに就いては色々な憶測が流れているものです。それにしても彼の華麗な打撃はもう一度見てみたいものです。



通算成績   837試合   537安打  0.269
   54本塁打    240打点

森昌彦

2007-07-18 22:34:53 | Weblog
昭和30年から49年迄、巨人一筋に捕手として活躍した選手です。捕手としてのリード、インサイドワークが良いとされているが、果たしてどうでしょうか?巨人のV9時代に、正捕手を務めていたという事で、多分に過大評価されているのではないでしょうか?マスコミの影響が強すぎる様な気がします。はっきり言えるのは、その貧打と弱肩及び鈍足でしょう。先ず打撃は左投手に対する時は、オープンスタンスを取り、自ら苦手を認めている感じでした。又バットスイングは残念ながら、非常に遅く速い珠には、殆ど対応出来ませんでした。阪神の豪速球左腕江夏豊の評価は、完全な安全パイと言う事でした。更に肩は非常に弱く、当時の投手は、盗塁を防ぐ為に、彼の要求するピッチドアウトに困惑した様子でした。脚は捕手の内でも、群を抜く遅さで、しばしばダブルプレーを喫していたものです。ベスト9を8回受賞等、巨人贔屓のマスコミが作り上げた代表的な選手と言えるのではないでしょうか?



通算成績    1884試合   1341安打   0.236    81本塁打    582打点

ジョンスコット

2007-07-17 21:16:20 | Weblog
昭和54年から56年にかけてヤクルトスワローズで活躍した、右投げ右打ちの外野手です。外国人選手特有の、もの凄いバネの利いた俊足で、滅茶苦茶に広い守備範囲を誇る選手です。又肩もかなり強く、走者の進塁を防いでいた記憶が強く残っています。打撃はやや粗いながらも、一発長打もあり、油断出来ない選手でした。当時の日米の力の差を感じさせる選手でした。しかし、その走力程の盗塁数は記録出来ず、盗塁に関しては、中途半端な記録に終わってしまいました。現役の選手では、今年、広島に復帰したアレックスが近いかと思います。彼が2度ゴールデングラブ賞を獲得したのは、その守備力からして、当然の事でしょう。



通算成績   279試合    265安打    0.262    48本塁打    159打点   42盗塁

松本匡史

2007-07-16 17:02:24 | Weblog
昭和52年に内野手として巨人に入団、55年には外野手に転向、又スイッチヒッターになり62年の引退迄巨人一筋に活躍した選手です。彼の最大の魅力は俊足です。特に昭和58年には76個という素晴らしい盗塁数を記録し、広島の高橋慶彦の70個を凌ぎ、ハイレベルの盗塁王争いに競り勝っています。打撃もスイッチヒッター転向が良かったのでしょうか?パワーは全くないながらも、それなりの数字を残しています。又守備も主にセンターを守っていましたが、俊足を活かし、守備範囲は非常に広かった記憶があります。しかし最大の弱点は、もの凄いという形容を付けたくなるほどの弱肩でした。本当に弱く送球は山なりで、浅いフライでも走者は次の塁を狙う程でした。彼の肩の弱さはあの弱肩で有名な張本勲、江藤慎一クラスかと思います。それにしても、如何に守備範囲が広いとは言え、この彼がゴールデングラブ賞に3回も選ばれた事には、非常に疑問に感じざるを得ません。




通算成績    1016試合    902安打    0.278    29本塁打   342盗塁

太田幸司

2007-07-13 22:50:13 | Weblog
昭和45年、甲子園のアイドルとして近鉄バッファローズに入団し。その後57年迄、13年間在籍しました。更に巨人、阪神と移籍しましたが、登板はありませんでした。人気とは裏腹に、残念ながら投手としては二流と言わざるを得ないでしょう?球速、制球、変化球、勝負度胸全てに於いて、物足りないものでした。投球フォームはオーバースローに近い感じでしたが、威圧感に欠け、常に球を置きにいってる様子で、打者にとって怖さは全く感じなかったでしょう。しかしその球威で、二桁勝利3回は結構頑張った数字かと思います。


通算成績    318試合   58勝85敗    4.05     604奪三振

藤井栄治

2007-07-12 20:56:29 | Weblog
昭和37年に阪神タイガースに入団し、その後太平洋クラブライオンズ、阪急ブレーブスに移籍し17年間活躍した、右投げ左打ちの外野手です。12年間在籍した阪神時代の印象がもの凄く強く残っていますが、非常に綺麗な打撃フォームでミートが巧いのと、かなりの強肩で結構走者を刺していた記憶があります。又鉄火面という渾名をつけられていた様に、本当に表情の変わらない選手でした。生涯唯一の3割が、同じ年度の徳武定之と共に繰り上げ3割という事も、非常に印象深い選手でした。



通算成績    1650試合    1344安打    0.260     73本塁打    545打点