3388 野球ブログ

日米を問わず名選手を紹介。

左利きの選手(2)

2008-11-29 22:21:01 | Weblog
何故左利きの外野手に強い肩の選手が少ないのでしょうか?結論としては,左利きの選手の投げ方にあるかと思います。かなり前から疑問に思っていたのですが,左利きの人とキャッチボールをしてみると、殆ど100%の左利きの人が、右利きの人より下がった位置から送球してくるのです。又プロ野球でも,試合前のキャッチボール等で、左利きの選手がオーバースローで投げているのを私は見た記憶がありません。何故だか解りませんが、ほぼスリークォーターの位置から送球してくるのが左利きの選手です。この腕の位置は、外野からの遠投になった場合でも変らず、矢張り右投げの選手より低い腕の位置から送球してきます。例えば右投げ強肩のイチロー,英智、福留、新庄等は本当にオーバースローから送球してきます。しかし一方俊足を誇り,守備範囲の広さに凄く定評のある福本、島田,中等でも、投げ方はより低い位置から腕が出ており,従って送球には威力がありませんでした。何人かの選手の例だけでは、判断は出来ないでしょうが、左利きの選手は肩が弱いというより、投げ方に問題がある為、力強い遠投が出来ないのではないかと思います。

左利きの選手(1)

2008-11-28 22:56:53 | Weblog
現在メジャー、日本プロ野球共に、かなり多くの左利きの選手が見かけられます。その内には打つのは左で、投げるのは右という選手は結構多く見られます。逆に打つのは右、投げるのは左という選手も稀には見かけられます。阪神で大活躍した長距離砲ハルブリーデンや、盗塁世界記録保持者のリッキーヘンダーソン、ビッグユニット、快速球左腕のランディジョンソン等はこのタイプになります。又右利きの俊足の選手に多いのが、左打席の方が一塁に近いという事で、プロ入り後スイッチヒッターになる例も結構多いものです。今回は純粋の左投げ左打ちの選手の、守備に関して触れたく思います。投手を除けば、左投げの選手の守備位置は、一塁及び外野に限られます。右利きと左利きを比較した場合、打球を捕るまでの守備力は、総体的に殆ど差がないと思いますが、その後の送球に関しては、大きな差がある様に見えてなりません。一塁手の場合、最も遠くに投げても三塁までなので、肩の差はあまり,解りにくいかと思いますが、かなりの距離を投げる外野手の場合、私の知り得る限り、強肩外野手は圧倒的に右投げに多く、逆に弱肩外野手は左投げに多いと思います。当然右投げの外野手の方が数は多い訳ですが、その割合以上に右投げと左投げの選手では肩の力に差があると思えてなりません。次回は、何故左利きの選手に強い肩の選手が少ないかに就いて、具体的な選手名も含めて追求したく思います。

中暁生(利夫、三夫) (3)

2008-11-27 21:40:04 | Weblog
中暁生は俊足を活かしセンターの守備でも、もの凄く優れていました。打球勘が素晴らしく、守備範囲は本当に広いものでした。シーズン最多刺殺を2度記録していますが、これは彼の類稀な守備範囲の広さを実証すると共に、両翼の守備範囲の狭さも表ししているかと思います。両翼の選手が頼りなかった為、彼が捕球したケースもかなりあった様に記憶しています。しかし外野手としての肩は、決して強くはなく、残念ながら彼の好返球は見た事がありませんでした。この点は後のゴールデングラブの常連、福本豊と通じるものがあるかと思います。又走塁に関しても素晴らしく、前述のバントヒットの巧さ、相手のスキを見て次の塁を狙う姿勢等、本当に油断出来ない選手でした。当然盗塁も多いのですが、通算347盗塁に対して167盗塁刺を喫し、盗塁成功率67.5%と意外と低い数字に終わっています。又最多盗塁刺も4回記録する等、私の抱いてきたイメージとはかなり異なるものでした。当然盗塁企画数の多い選手程、失敗も多くなりがちでしょうが、たった1回ですが成功の2倍近くの失敗も記録しており、30盗塁以上も2回と記録的にはもう一つだったかも知れません。総合的には本当に素晴らしい選手でしたが、小柄な巧打者の多くに見られる様に、晩年は急激に力を落とし、引退していったものです。

中暁生(利夫、三夫) (2)

2008-11-26 21:11:40 | Weblog
中暁生は未だ体力がついてこなかったのでしょうか?入団5年目まではあまり優れた成績を残していません。確かに昭和30年代当初は投高打低の時代ではありましたが、それにしても、注目すべき数字ではありませんでした。同期入団の安打製造機榎本喜八も未だ開発途上にあったと思いますが、毎年規定打席に達し中暁生を遥かに上回る成績を残しています。しかし中暁生は6年目に初の3割を達成し、打撃ベスト10の常連となり、42年には首位打者に輝いています。その打撃はどのコースのボールにも対応出来、左打者の彼の打球は右中間に多く飛び、その俊足もあり多くの三塁打を記録したものです。又前回にも書きましたが、三振が非常に少なく、シーズンでの最多が39個、通算は473個であり通算では13.9打数に1回の三振ともの凄い少なさを誇っています。更に彼は俊足をより活かすべくバントも結構試み、巧くヒットを稼いでいました。彼の全盛期は本当に理想的な1番打者だったかと思います。

中暁生(利夫、三夫)  (1)

2008-11-25 20:58:51 | Weblog
昭和30年から47年まで、中日ドラゴンズ一筋に大活躍した攻守走揃った外野手です。公称168cm,73kgになっていますが、見た目の体重はもっと少なく見えました。本当に小柄な体躯でしたが、ミートする力は抜群で異常な程三振の少ない打者でした。しかし今回記録を調べてみると、意外な程本塁打を放っている事が解りました。私のイメージでは新井宏昌や篠塚和典と同じく本塁打は少ないながらも、巧打の持ち主と思っていましたが、通算本塁打139本、シーズン二桁本塁打が7回と結構長打力も兼ね備えていたのでしょう。打撃スタイルとしては、非常に自然体に構えながらも、、小柄な体躯を巧く利用し、投球に応じて体を上下に動かし、ただでさえ狭いストライクゾーンをより狭くする技術に長け、投手としては本当に厄介な選手だったでしょう。ほぼ同時期に活躍した吉田義男と比較しても打撃術に関しては、かなり上回っていたと思います。主に昭和36年頃からの同じく俊足巧打の高木守道との1,2番コンビは、史上有数の素晴らしさでした。



通算成績     1877試合   1820安打     0.277    139本塁打    541打点     347盗塁

米田哲也投手(19)

2008-11-24 10:23:46 | Weblog
米田哲也投手が主に昭和40年頃から主武器としたフォークボールに触れたく思います。当時フォークボールの使い手としては、セリーブの村山実と共に、パリーグの米田哲也、この2人が双璧だったと思います。後にフォークボールを駆使する村田兆冶の数多くある自著には、度々米田哲也のフォークを参考にし、学んだという記述が見かけられます。米田哲也のフォークの特徴としては、前にも記しました様に、制球が非常にいい点です。暴投の多い球種にも関わらず、殆ど捕手が取り逃がす場面は見た事がありません。又落差も結構大きく、鋭くストンと落ちる感じでした。しかし落差の比較ですと、佐々木主浩、村田兆冶の方が、より大きいかと思います。フォークボールの使い手というと杉下茂、村山実、村田兆冶、野茂英雄、佐々木主浩等が代表者として挙げられますが、彼等は皆ほぼ全盛期、つまり球速のある時期から使っていました。しかし米田哲也の場合、明らかに球速が落ち投手として、曲がり角を迎えた時期から、その対策として使い出した球種であり、あまり高い評価は受けませんでしたが、その威力はかなりあった様に記憶しています。

米田哲也投手(18)

2008-11-22 22:03:00 | Weblog
昭和45年から引退の52年までの米田哲也投手を振り返りたいと思います。流石にかっての凄まじいまでの豪速球は全く影を潜めてしまいました。数年前から使い出したフォークボールを主武器に、球威の衰えを、かってはあまり必要が無く、従って優れていたとは思えない投球術でカバーする様に変ってきました。この時点で矢張り球威の衰えはいかんともしがたくなってきた為、豊富な経験を活かし今度は緻密な投球を心がけてきた点は本当に大投手らしく、素晴らしい転身かと思いますが、残念ながら驚異の豪速球投手、米田哲也投手は既に終わりを告げていました。従って私のイメージとしては、全く違うタイプの投手でした。しかし米田哲也投手は、球威が著しく落ちたにも関わらず、6年連続10勝以上を挙げ、通算では19年連続10勝以上を挙げています。引退の年、及び前年こそ2勝ずつに留まったものの、この8年間で80勝、つまり年平均10勝という数字には、腐っても鯛と言えるのではないでしょうか?

米田哲也投手(17)

2008-11-21 20:59:18 | Weblog
米田哲也投手の球速に於いては、やや衰えを見せ始めた昭和38年から44年までの力を分析したいと思います。投げ過ぎの影響でしょうか、かっての信じられない様な豪速球は影を潜めかけていました。しかし米田哲也の素晴らしい点は、投手としては非常に短い指にもかかわらず、フォークボールを身に付けた事でしょう。多分主に40年頃から使っていたと思いますが、最大の特長としては、制球を付けにくい球種ながらも、フルカウントからでも投げられる制球の良さではないでしょうか?多分多くの打者が球種の予想を外された事でしょう。又落差も素晴らしく、指が短くても、これだけのフォークボールが投げられる事を実証しました。そのフォークボールを巧く生かし彼はこの7年間に141勝を挙げ、球速に於いては遥かに劣りながらも、31年から37年までの7年間より多くの勝ち星を挙げる事が出来ました。しかし矢張り、球速の衰えは隠し様がなく、奪三振数はMVPに輝いた43年のみ200以上を記録しましたが、かっての怪物もどきの快刀乱麻の投球はもう見られなくなっていました。


米田哲也投手(16)

2008-11-20 21:31:56 | Weblog
米田哲也投手の全盛期の実力を分析したいと思います。全盛期という事ですが、決して最も多く勝ったという時期ではなく、彼の驚異の豪速球が最も威力を誇っていた時期に絞りたいと思います。従って時期的には主に昭和31年から37年位になると思います。その時期の彼の投球は、大きく分けて目にも止まらぬ豪速球と大きく落ちるドロップ(現在ではカーブと表現)の2種類かと思います。主にその2つの球種だけで7年間の内に20勝以上4回、合計129勝を挙げています。その豪速球は当時のパリーグでは文句なしにトップであり、セリーグの快速球左腕金田正一をその速さ、重さでは凌ぐ程の凄さでした。しかし豪速球投手にありがちな欠点として、投球術には今一つ優れていませんでした。ある意味球威だけで抑えられる投手には、投球術は必要ないのでしょうか?米田哲也の場合決してコントロールの悪い投手ではないのですが、大事な場面での信じられない不用意な投球、所謂ポカがかなり目立ったものです。その点が当時殆ど下位に沈んでいたチームに所属していた弊害でしょうか、勝負弱いという面も見せていました。しかし彼程本格派投手というイメージを抱かせる投手は、他に知りません。後に主武器としてフォークボールを身に付け、技にも長けるのですが、私のイメージとしては無類の豪速球を誇った典型的な本格派投手という事が一番に浮かびます。

米田哲也投手(15)

2008-11-19 21:11:42 | Weblog
最近2,3年間の内で、雑誌野球小僧、別冊宝島、ベースボールマガジン等で米田哲也投手のインタビュー記事を見かけます。素晴らしい実績の割に地味な存在の米田哲也投手にスポットライトが浴びせられるのは、非常に喜ばしい事ですが、ふと冷静に考えてみました。主に昭和30年代に大活躍したパリーグの投手を振り返る場合、快速球左腕の梶本隆夫、小野正一、神様仏様稲尾様の稲尾和久、日本シリーズ4連勝の杉浦忠、その杉浦忠の陰に隠れながら、彼以上の勝ち星を重ねた皆川睦夫等、本当に残念ながら皆亡くなっています。そういった点もあり、米田哲也投手へのインタビューが増えたかと思います。ほぼ同時期に活躍した投手としては、189勝の石井茂雄,187勝の足立光宏、162勝の土橋正幸等が挙げられますが、実績に於いて米田哲也とはかなりの差があります。その為、実績抜群の彼へのインタビュー記事が増えたかと思いますが、次回は彼の全盛期の実力を分析して見たいと思います。