よっちゃん農場のドタバタ日記

「よっちゃん農場」の日常。
 ~いち農家から小さなブランド作りの奮闘記~~

初めてのしめ縄作り。/消えていく風景。

2015年12月16日 | Weblog


念願だった、地域の「しめ縄教室」に初参加。いや~楽しかった。

人生初めて、自分が作った正月飾りで年を越す!という気分は上々です。


昨年は指を電鋸であやうく切り落としそうな怪我で断念した企画。



まんずはいつもと違い、シメの記念写真から。満足感でいっぱいな顔がならんでいます。





上野目地区の重鎮、千葉さん指導のもと、総勢13名参加。

「初参加の高橋さんでーす!」と紹介してもらって ? と思っていたら、みんなベテランで毎年参加している方々ばかり。

初心者はオラ一人だけでしたが、道の駅の出荷仲間だったり、おんなじ集落だったり、地域で知っている方がだいたいで緊張せず良かった。

作るしめ縄、ひとり3つ。

一つは自分のお持ち帰り用だけど、あとの2つは地域内の一人暮らしの方へのプレゼントで配るとのことで、

初心者のおらで大丈夫すかっ!!! と始まりからプレッシャーでいっぱい。




何が難しいって、おらが独学でやってきた縄ないは「右綯い」というもので主に手の指先を中心としたエリアで上へ上へ(外へ外へ)と編んでいくもの。

それに対して今回は「左綯い」

神社だったりこういう注連飾りなど「福を引く」という事で手のひらの使い方も逆になり、左親指の下の腹に力を込めて、手前に引きながら編む。

利き手とはよく言ったもので、これが中々慣れるまでが大変。藁に撚りがかからずうまく出来ない!

しかも、右綯いは普通二本の束を編んでいくのにくらべ、3本を編みこんで仕上げるので更に難易度はあがる!いや~深い深い!

けんども先生を始めみんなベテラン揃いなので丁寧に指導してもらってなんとか慣れました。









お昼ごはんもみんなで囲み、とうとうオラほの集落にもイノシシが渡ってきてしまった話題でみんな農家なので盛り上がり、来年のタケノコ山を心配しつつ午後の部へ。


午後はカタチを作り、松や昆布を飾り付けしてあっという間に終了。楽しい時間はあっという間だ。





オラが作ったものはこの3つ。

このうち2つは誰か家のお正月飾りになります。うれしい。



新聞ばっぐも一緒だけれど、先生は段取り追って説明しようとするんだけれど、ベテランで慣れてるのもありお年寄りだし、

始まると勝手にどんどん進み(笑)、私にもあれこれと話しかけてもくれる。

唯一の初心者のオラは必死にメモを取りつつ誰の話を聞いたら良いんだか、また遅れまい!と必死な時間でした。

とはいえ今年挑戦してる「さんだわら」の編み方や、藁の処理の話など「わら編み仲間」が出来たのは大きいです!


最後に先生も嘆いてましたが、

今は産業優先になってしまって、売られている飾りは殆どが「わら」を使ってないという。

カヤだったりい草だったりするものもあり、飾りのひとつひとつの云われより「とりあえず販売するもの」として

表記も平気で中国語のパッケージが盛りだくさん。。。。


そもそも岩出山には今の季節「つと納豆」が看板商品だった。

わら(つと)に直に入っている納豆。

それが作られなくなったのはつと編みする人の高齢化が主な理由かと思っていたら、わらの質の変化が大きいという。

昔は手刈り、バインダーで自然乾燥、という時代があり穂付で刈り取られたワラは刈り取った跡も穂がワラの養分を吸うので、

残ったわらはしぶとさがありわら細工に使っても丈夫ないい商品が出来たらしい。


時代は転じて今はコンバインで自然乾燥は殆ど無い。長いわらは取れるけれど、穂とすぐに分けられてしまうため、

栄養がわらに残っていまい、つと納豆のパッケージに使おうとしてもなんだかクズわらが引っ付いたような質になり、

工芸に使ってもぼそぼそで編みこむとキレやすいものしか取れなくなってしまったという。


技術の進化は必要だとは思うけれど、相反して四季や日常の人の営み・文化がそれによってなくなっていって単に形式化していまい、

並んでいるから買うもんだよね、というだけになって意味すら考えなくなってしまうのは寂しいことだと思います。




時代は変わる。けれども遺すための方法はまだまだあるはず。

今日は色んな意味で、奥の深い、ヒントをいっぱいもらった一日になりました。


満足。

これから毎年正月飾りは自前で作るど!

ワークショップもいつか自分がやりたい!