よっちゃん農場のドタバタ日記

「よっちゃん農場」の日常。
 ~いち農家から小さなブランド作りの奮闘記~~

海の手山の手ネットワーク会議。

2012年05月23日 | 復興プロジェクト

一日中あれやこれやとてんてこ舞いに過ごし、夕方から海山会議。
深夜一時まで続きました。



震災から立ち上がった海の手山の手ネットワーク。
主導する4人は、私、佐藤農場の宗一さん、もちと花きの曽木さん、NPOで地域づくりをする小玉さん。

昨年はとにかく、出会った海の手沿岸部に仕事をとそれぞれの生業への雇用を始め、
沢山の方々に頂いた材料で新聞バック、布小物製作の仕事を作り、それぞれのルートや頂いた話で販売をする、
という「支援」がメインでやって来ました。

一年が経ち、被災地としての現状はまだまだ。
復興への道筋は見えない。
けれども取り巻く状況は変わっていき、外との意識差は広がるばかり。

その中で、我々自身も必死にならなければならない上の「支援」重視を考えるのは難しい。

これはわかっていたことでもあるし、昨年来ずっと考え続けてきたこと。

曽木さんはいう。
「震災の時にここは丸々一週間、電気が止まった。ガソリンも無かった。
 こんなに便利な世の中で、全国的に同じだけ停電した、という状況があったなら"今の世の中"はもうちょっと違った動きがあったはず。」

だからこそ、発想したのかもしれない「出来ることは…手仕事だ」と。

それは私にとっては前からやってきたことで、これからも変わらない私の、この地域の価値だと思っている。

新聞バックで出会った四万十の畦地社長と初対面の時にすぐに共感した「これからは田舎。地方が面白くないとダメだ」
にも通ずることで、震災だから出来たことでもあるし、また普遍的な価値を持つものに昇華させる任務が、これからの地方に求められるのだと思う。



で、今から海山はどう動くのかをみんなで考えました。
私の頭にあることを全て、時間をかけて説明しました。

組織としての考え方。
モノ(商品)を最終出力にする商売を最終目的にしつつ、
そこには海の手沿岸部との縁もあり、それはお金では計れない価値があります。
それをキチンと形に落とし、外部に発信する地域と外とのパイプ役の面も持ち合わせている。

営利とソーシャルな部分の共存が海山の面白さでもあり、可能性でもある。


そして手法。

目を向ければこの一年間で本当に沢山の新たな御縁を頂き、またそれまでのご縁も結びつきが強くなりました。

そんな外との繋がりや力を地元に落としこむ。
また、それを循環させ、地域の活性化、進化して逆に外に対して主体性のある動きをどんどん作るためにはどうするか?

答えは「教室」(仮称)をやろう!! に、私は行き着きました。

これまでメンバーがそれぞれ拡散してきたものを、ここでギュッと絞り込む。ここが一番の肝。
そしてそれを教室に参加したすべての人で共有し形にする。もっとギュギュっと絞り込む、、、で、ビヨ~ンとバネが伸びて飛び跳ねる!

支援が偏ったバランスでは継続出来ないように、やはり「価値の共有」は大前提で、
外から繋がってくれる人も地域の考え方もミックス出来る場所、空間は絶対に必要不可欠で、
それが無いと新しいモノは生み出せないというのが私の考えです。

よく地域が変わる第一歩は、外部からの交流人口が増えることでというのはよく聞く話ですが、
そこを意識的に作っていくのが海山の教室の役割だと思っています。


そこで同じ土俵から積み上げるベース(空間)を構築し、その教室の運営を事業の軸にしてはどうか。方向として。


東北村も似たようなコンセプトですが、やっぱりそこに行き着く「過程」にもうワンクッション必要な気がするし、
この地域でそのローカルオブローカルスタンダードを積み上げる、集約する場を担う一つが海山であっていい。


それだけの活動であったし、それだけのご縁がある!(自信をもって)
それを活かさないのはもったいない。抱え込むのは多いほうが、形にしやすいし。


その辺りを整理しつつ、今日はお開きにしました。
具体案は次回までの課題です。


関わって頂いている皆様、今後共どうぞよろしくお願い致します。