近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

大坂の古い街並散策 大阪市平野本町

2007年02月03日 | 文化
大阪市の南東部の端に位置する平野区は、江戸時代から明治・大正期などの建物を残す、歴史ある町。



写真は、当地に残る古い家並。

秀吉は大坂城下町を築く際に、当時大坂の堺と並んで最も商業が発達していた、平野の富商業を天王寺に移転を命じているほど。
戦国時代、平野は堺と並ぶ自由都市で、集落の周りを堀で囲んだ環濠集落であった。



写真は、環濠の痕跡と見られる、平野公園内の土塁。
平野の環濠は、戦国時代動乱の自衛、灌漑・排水・洪水の調整池などの目的を持った堤と濠で、二重の濠も見られると云う。

中世以来南蛮貿易で富を成した豪商たちが居住する当地は、大坂の陣のとき、秀吉・徳川両軍の軍事拠点として争奪戦が繰広げられ、兵火で焼失したと云う。





写真は、杭全神社の大門及び重要文化財指定の朱塗りの本殿。
杭全神社は平野郷一円の守護神として信仰を集め、大門は鎌倉時代のもので、市内最古の木造建築と云われ、又周囲の環濠は平野川へ通じ、平野川を経て、大坂天満に荷物を運ぶ船着場が、神社の東側にあったと云う。



写真は、現在の平野川光景。
酒・綿・こんにゃくなど平野の産物を大坂に送り、米・肥料などを平野に運び返す、海上交通ルートが平野の発展を支えたと見られる。





写真は、庄屋を勤めた奥田家の屋敷塀及び、がんこ平野郷店の屋敷前景。
いずれも江戸時代の建築で、重要文化財に指定されている。
平野家住宅は、母屋・納屋・米蔵などを持つ900坪ほどの敷地を有した屋敷で、一方がんこ平野郷店は、季節を感じさせる庭園を伴う、1100坪もの広さをもつ歴史ある平野郷屋敷。「ほんま!」



写真は、大念仏寺の本堂。
大念仏寺は昭和初期の再建ではあるが、総檜造りで府下最大の木造建築物であり、ほかにも社寺など歴史的建造物を残す、由緒ある街並は伝統を感じさせる。
「ええやん!」