近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

大坂の歴史散策 大阪の台所を支える旧商店街

2007年02月04日 | 文化
大坂に古くから存在する商店街には、前述の空堀商店街のほかにもあり、中でも代表的商店街をいくつか紹介する。

先ず「黒門市場」は、大阪の中心部、いわゆる大阪ミナミに位置する商店街であり、野田市場と並んで食の宝庫として、大阪の台所を守っている市場。
鮮魚と野菜の店を中心とするが、食肉などを扱う店もある。



写真は、現在の日本橋黒門市場。
古書「摂陽奇観」によれば、「文政5年(1822年)~6年の頃より毎朝魚商人が黒門辺りに集まりて魚の売買をなし、午後には残りの魚を持ち寄りて、日本橋にて売り捌くこと南陽の繁昌なるや」とあり、この記述が黒門市場の起源であると考えられる。
 その後も魚商人による売買が継続され、明治35年に公認市場として認可された。

「千林商店街」は、旭区全体が住宅地帯だったときから、生活必需品の需要を満たす為に、当初は呉服、衣服、身廻品及び生鮮食料品を主に取り扱う商店街だった。



写真は、現在の旭区千林商店街風景。当日は多くの店が閉店していた。
その大きさは全長660mで東西に延び、その両側に220店舗が並ぶ、大阪でも1、2をあらそう大商店街。



写真手前のドラッグストアーが、ここ千林商店街でダイエー元1号店が出店していた所。
特に戦後、大手スーパーのダイエーが現在の千林駅前・商店街の入口に第1号店をオープンし、又その後すぐにニチイが開店してからは、スーパーと商店街の小売店との競争により「日本一安い商店街」として有名になった。

次に「天神橋筋商店街」は、大阪北区の東部に位置する、北は長柄橋、南は中之島まで、天神橋1丁目から8丁目までの約2.6kmに渡る、日本一の長さを誇る商店街。




写真は、現在の天神橋筋商店街の光景、6丁目辺りと2丁目辺り。
この天神橋地域は、大阪天満宮をはじめ、歴史的・文化的遺産が多く存在する大阪の顔とも言える地域。

天神橋筋は、近くにある学問の神様「菅原道真」を祀る「大阪天満宮」の門前町として栄え、明治時代に入ってから現在のような商店街としての顔を見せ出した。
商店街は、自然発生的に形成され、300年の伝統と近代化へと革新をとげながら大阪を代表する商店街として発展してきた。
将に”食い倒れ大阪”を象徴する商店街。



写真は、現在の大阪天満宮。
毎年夏に行われる日本三大祭の一つとして有名な“天神祭”の舞台となるのが、ここ大阪天満宮。

元々は南の大川、北の淀川から「大阪天満宮」の参道だった通りに店が集まり、人が集まって、このような長い天神橋筋商店街が誕生・発展してきたが、大阪商人の心意気が感じられる賑わいの街。
「わや すきやねん!」