遊び半分・面白半分

脳梗塞により左半身麻痺になり現在リハビリ中、健康回復日誌

ピアニスト館野 泉 と私の左手

2019-08-06 20:21:28 | Weblog
2019年8月6日(火)
 先月(7月)NHK放映の達人スィッチというような番組があった。
今年の5月に放送した番組の再放送だ。
 館野 泉 氏は、16年以上前に、演奏会で脳出血で倒れられ
脳梗塞となり右半身麻痺となったピアニストです。フィンランドで倒れられたので
フィンランドでリハビリをされたようです。
 私が自宅から病院通いでリハビリをしていたころ、NHKで館野氏のインタビューの
番組があり、私はそれをみていました。その中で彼は紅茶のはいったカップを右手で持って
飲んでいました。そのころの私の左手は全く使い物にならない状態でしたので、フィンランドの
リハビリは進歩しているなあ、と思った次第です。そんな彼も、その時点では両手でピアノは
弾けないようでした。その後も両手でピアノが弾けるように努力をされたようですが、上手く
いかなかったようです。今の私なら、その難しさがよくわかります。
 その後、左手だけの楽曲を手にいれられ演奏活動始められました。有名な曲に
ラベル作曲の「左手のためのピアノ協奏曲」があります。オーケストラを伴いますので
個人での活動には大変でしょう。日本の作曲家に作品を依頼されたり、探されたりして
レパートリーを増やされたりされたことでしょう。今回の番組の中で、ブラームス編曲の
バッハの曲(左手のための編曲)を練習していて、両手では味わえない音楽の息吹を感じたと
言っておられました。新たな境地に入られたようです。たしかお歳は70代後半あるいは
既に80代では。
 私は、彼の最初の番組で麻痺になっても動くようになるのだと思いました。
 その後は、自分のやりたいことをするのが人生を良くする方法なのだ、と思いました。
 私も音楽をやりたいため、リハビリを続けてきました。両手でないと奏でられない
楽器のため、日々悪戦苦闘をしています。個人的な練習はは、ほぼ毎日の午前中に。
仲間とのアンサンブルは週二回行なっています。年々少しづつ動くようになっています。
最近やっと一つの曲として成り立つように音がでるようになってきました。その代償は、
左手指先の強い痺れと肩や肘が抜けるような痛みです。これは神経的な痛みで発生したら
寝るまで付き合わねばなりません。そして、偶におこる指のケイレンです。仲間とのアンサンブルの
最中におきます。音楽どころではございません。その後は、前述のような痛みの状況が
寝るまで続く次第です。ですが、音楽をする喜びも増大しています。次なる目標にに
絶えず挑戦の毎日です。
 止められないのです、止めたら退歩しかないのです。楽しみが悲しみになってしまうのです。
だから、続けるしかないのです。

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