早起き鳥 

【未明混沌】今日も必ずお元気で…!

rakuten

人生における最大の嘘・・・

2017年06月25日 05時09分36秒 | コラム




・・・哲人

人生における最大の嘘、

それは「いま、ここ」を生きないことです。

過去を見て、未来を見て、

人生全体に薄ぼんやりとした光を当てて、

何か見えたつもりになることです。

あなたはこれまで、

「いま、ここ」から目を背け、

ありもしない過去と未来ばかりに

光を当ててこられた。

自分の人生に、かけがえのない刹那に

大いなる嘘をついてこられた。


・・・青年

・・・・あああ!


・・・哲人

さあ、人生の嘘を振り払って、

恐れることなく

「いま、ここ」に

強烈なスポットライトを当てなさい。

あなたには、それができます。


過去も未来も存在しないのですから、

今の話をしましょう。

決めるのは、昨日でも明日でもありません。

「いま、ここ」です。


  嫌われる勇気

          岸見 一郎、古賀 史賀 著



     







 「いま、ここ」を怠惰するという

人生における最大の嘘をつきながら生きてきたような

そんな気がしている

確かに過去も未来も、現実ではなく空想の世界

あるのはいまという「いま、ここ」でしかない

決断をして行動するのは今でしかない


いましなくちゃいけないこと

めんどくさいから明日にしよう・・・

そして、何をするのかといえば、

何もせずにボーッといまを過ごす

その何もしないいまに幸せを感じている

こんな人生最大の嘘と指摘されれば

恥ずかしさで身の毛がよだつ・・・


いまこうしてブログを更新している「いま」

「いま」この瞬間は嘘つきではない

こうして何か行動している

「いま」をコツコツ積み重ねて

人生の大半、嘘を突き通してきた過去を反省して

「いま、ここ」に自分だけのピンスポットを当てて、

行動する楽しみを味わっていこうと思う



       早起き鳥




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やるべき時が来たらやろう・・・!

2017年06月24日 04時36分18秒 | コラム




・・・哲人

たとえば、大学に進みたいと思いながら、

勉強しようとしない。

これは「いま、ここ」を

真剣に生きていない態度でしょう。

もちろん、受験はずっと先のことかもしれません。

何をどの程度勉強すればいいのかわからないし、

面倒に感じるかもしれません。

しかし、毎日少しでもいいから、数式を解く。

単語を覚える。つまりはダンスを踊る。

そうすると、そこには必ず、

「今日できたこと」があるはずです。

今日という1日はそのためにあったのです。

決して遠い将来の、

受験のために今日があるのではありません。


これはあなた自身の人生についても

同じことが言えます。

「本当はこれがしたいけど、

やるべき時が来たらやろう」と考える。

これは人生を先延ばしにする生き方です。


  嫌われる勇気

          岸見 一郎、古賀 史賀 著



     







 自分はこうなりたい!

こういう仕事がしたい

と目標を立てて、見事、試験に合格して

なりたい、自分になれた

ある意味、22歳の若さでゴールした気分だった

でも本当の人生はそこからがスタート

紆余曲折があって、いろんなことを経験した


22歳の若さで、これからの人生など、描けなかった

ただひたすらルーチンワークを

消化していくだけの日々

25を過ぎた頃からか、

自分の目標らしきものが見えてくる

まずは所帯を持って、

最低課長には昇進して、その上も視野に入れて

となんと無味乾燥な目標でしかなった


そして迎えた定年退職、

目標に向かって戦略的に生きて来たわけではない

日々コツコツと頑張って来ただけ・・・

でも、人生とは健康ならまだ20年以上も残っている

足腰は弱って来ているが、

ここからが本当の幸せを

感じる時なのかもしれない

することがあって、

語る人がいて、誰かを喜ばせることができる

そんな人生がずっと続いてほしいものだ


       早起き鳥




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強烈なスポットライトを浴びて・・・

2017年06月23日 05時02分53秒 | 読書




・・・哲人

自分が劇場の舞台に立っている姿を

想像してください。

この時、会場全体に蛍光灯がついていれば、

客席の一番奥まで見渡せるでしょう。

しかし、自分に強烈な

スポットライトが当たっていれば、

最前列でさえ見えなくなるはずです。


われわれの人生も全く同じです。

人生全体にうすぼんやりとした

光を当てているからこそ、

過去や未来が見えてしまう。

いや見えるような気がしてしまう。

しかし、もしも「いま、ここ」に

強烈なスポットライトを当てていたら、

過去も未来も見えなくなるでしょう。



  嫌われる勇気

          岸見 一郎、古賀 史賀 著



     








 強烈なスポットライトを

浴びるようなステージに立つ

なんとも素晴らしいシチュエーション、

大勢の観客のいるステージで

ピンスポットを浴びて主役を演じる・・・

なんと素晴らしい、

そんな経験を一度でいいから体験したいものだ


そんな緊張はごめんという

考え方もあるだろうけど、

僕はそんな緊張が嫌いではない

いま、この歳になっても、

1年に2度はマスターズ水泳のレースにエントリーして

コース台の上に上がるという緊張を味わっている

その緊張感と言ったらない

なんというか、オシッコがちびりそうな緊張・・・

でもその緊張がたまらなく

今でも味わっている

そしてみっともなくないように、毎日泳いでいる

あのコース台という舞台に上がるために・・・


過去も未来もどうでもよくて、

今、この緊張感がたまらなく、今を生きている

そんな感じかな・・・



       早起き鳥




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人生、途上のままだったら・・・

2017年06月22日 04時16分31秒 | 読書




・・・哲人

もしも人生が山頂に

たどり着くための登山だとしたら

人生の大半は

「途上」になってしまいます。

仮にあなたが山頂に

たどり着けなかったとしたら、

あなたの人生はどうなるのでしょう?


事故や病気などで

たどり着けないこともありますし

登山そのものが

失敗に終わる可能性も十分にありえます。

「途上」のまま

「仮のわたし」のまま、

そして「仮の人生」のまま

人生が中断されてしまうわけです。

いったい、その場合の人生とは

なんなのでしょうか?


・・・青年

そ、それは自業自得ですよ!

わたしに能力がなかった。運がなかった、

実力不足だった、それだけの話です!

ええ、その現実を

受け入れる覚悟はできています!


  嫌われる勇気

          岸見 一郎、古賀 史賀 著



     








 人生、発展途上のままだったら・・・

とはいやはや面白くない人生のようである

自分で描く「登頂」という目標があり

その達成があってこその人生

と青年はおっしゃるのだろうけど、

それほど登頂にこだわるのなら

登る山を低い山にすればいい・・・

ということになる


ではどんな目標なら納得するのだろう・・・

僕自身に問いかけているつもりでもあるが

要するに比較の論理なのでは・・・


たとえば、富士登山

20年近く前になるだろうか、

我が家に留学生がホームステイしていた頃

富士登山を家族で経験した

とても苦しい思いをしたが、

なんとか山頂でご来光を見る感激を味わった

あの苦しみと達成感は今も忘れない

留学生も素晴らしい経験をしたことと思う


2度も3度も襲ってきた

高山病という呼吸困難を思い知った

山を馬鹿にすることなく

ゆっくりゆっくり確実に一歩づつ

それに沢山の人との連携も

苦しかったことを思い出す

一人分の隙間もないところでの睡眠、

トイレに立ったらもう寝場所を失う


早朝のご来光を得るための

最後の登頂への渋滞

でもなんとか山頂で

ご来光を見ることができた


ご来光を山頂で見れなかった多くの人が

その光景を全ての人が自分の立つ位置で

日の出に手を合わせている

富士山の美しさを実感しながら、

ご来光の美しさを目の中に吸い込まれていく


もう2度と登りたくない富士山だが、

下山の時感じたことを思い出す

富士山があまりにも美しい形をしているから

富士山は見る山であって登る山ではない

というのが正直な素人の僕の感想


要するに言いたかったことは

自分の満足感と幸福感があれば

目標がどうであれ、途中経過がどうであれ

結果さえもどうでもいいのでは・・・

と思えてならない



       早起き鳥




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普通であることの勇気・・・

2017年06月21日 05時26分56秒 | 読書




・・・青年

全ての人間が「特別によくある」

ことなど、不可能ですよね?

人間にはどうしたって得手不得手があるし、

差が出てしまう。

天才などこの世にごく一握りしかおらず、

誰もが優等生になれるわけではない。

だとすれば、敗れた者はみな

「特別に悪くある」しかない。


・・・哲人

そう、まさにソクラテスのパラドクス、

「誰ひとりとして悪を欲する人はいない」なのです

問題行動に走る子供たちにとっては、

暴行や窃盗でさえも、

「善」の遂行なのですから


・・・青年

ひどい!出口のない論理じゃありませんか!


・・・哲人

そこでアドラー心理学が大切にしているのが

「普通であることの勇気」という言葉です。


  嫌われる勇気

          岸見 一郎、古賀 史賀 著



     








 「普通であることの勇気」

普通である存在を脱して少しでも優秀でありたい

その他大勢、で終わりたくない・・・

と僕もずっと若い時からそう思ってきたけど、

普通であることの意味、普通であることの喜び

そんなモノを今実感しているところである


もっと読み進めれば

「普通であることの勇気」の正体が見えてくるだろう

でも普通であることとは、

今の状況が本当に普通なのだろうか

自分の暮らしのレベルを下げれば

それはそれは「素晴らしい暮らし」である

今を幸せに暮らしていて

これ以上の満ち足りた暮らしを

追求すること自体、無意味


僕も青年もが考える「特別な存在」とは

預金残高であり、

肩書きなのではないだろうか・・・


そして人は誰でも特別な存在でありたいと願う

その願いが叶わないとなれば

悪い道に手を染めることのなんと多いことか


でも逆に、犯罪者であったり、

病気や怪我で苦しんでいる人たち

生まれながらにハンディキャップを

抱えた人たちにとっては

五体満足、「普通のであること」

それだけで幸せだと思える

結局は比較の問題!

いやはや、飽くなき強欲との戦いなのかも・・・



       早起き鳥




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