・・・青年
扶養されている家族には、
何も反論できないところがあります。
父親の
「誰のおかげで飯が食えると思っているんだ」
という暴力にも似た声
・・・哲人
おそらく、そうした父親は
「行為のレベル」でしか、
自分価値を認めることが
できていないのでしょう。
自分はこれだけの時間を働き、
家族を養うだけの金銭を稼いでいる、
社会からも認められている、
だから自分は家族で一番価値が高いのだ。
しかしたとえば、歳をとって定年退職して、
年金や子供達の援助によって
生きざるをえなくなる。
あるいは若かったとしても、
怪我や病気によって働くことができなくなる。
このとき、「行為のレベル」
でしか自分を受け入れらない人たちは
深刻なダメージを受けることになる。
嫌われる勇気
岸見 一郎、古賀 史賀 著
「誰のおかげで飯が食える・・・!」
最低の暴言を吐く父親、
でも言葉にしないまでも
心の底にはいつも存在するこの言葉
僕にもその言葉は、
決して口に出してはいけないと封印していた
だから口に出す人よりは
もっとストレスを溜め込んでいたに違いない
結局は「行為のレベル」
にあるということは同じである
アドラーはこの考え方を明確に否定し、
「存在のレベル」で人と接するべし!
とおっしゃっている
この「存在のレベル」を
受け入れるためには自分が
より大きな人間に進化しなければ
到達しえないレベルのような気がする
でもこの哲人が以前おっしゃっていた
親が子を思う気持ちは
「行為のレベル」ではなく「存在のレベル」だと・・・
同様に子が親を思う気持ち
「居てくれるだけで十分・・・」
でもその気持ちになるのは親の死に際だけかも・・・
他人との人間関係を
家族と同様に接することがすなわち成功の鍵・
それはまさしく縦の関係ではなく、
横の関係と言えるのかもしれない
そしてそう思えた瞬間から幸せになれそうである
早起き鳥
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